
ふと気づくと、ずいぶん長いこと記事を書いていないのでした。書こうと思うことがないわけではなくて、あっちのノート、こっちのメモ帳に走り書きはたくさんあるのですが、ブログ記事として体をないためのエネルギーがもたない。毎日、朝が来て夜が来て一杯飲んでおしまい!の繰り返しです。
さて、先日の朝、出掛けに靴箱を探したのですが、デザートブーツがみつからない。奥へ声をかけてどこへやったと聞いたら、あろうことか返事は、「捨てた」というのです。まぁ確かに痛んではいたと思うけれども断りなしに捨てなくてもええやないかと思いました。あのデザートブーツ。指折り考えてみるに、26歳の冬に買ったはず。とすると、足掛け24年間履いていたことになる。これは驚き。クラークのデザートブーツといえれば格好もいいのでしょうが、今同様に生活に貧窮していて(独り身のあの頃は飲み代に回ってしまったもので)、郊外の量販店でたぶん5000円で買ったものと記憶します(ちょっとあいまいですが)。それが幸いなことに割と自分の足にフィットして、お気に入りになりました。もっとも、24年間ずっと履いているわけではありません。冬場に取り出してきて履くのですが。さすがにここ数年はソールのゴムが痛んできたというか溶けてきて、靴底に小石をいっぱいひっつけるような状態にはなっていました。でも甲の皮は手入れらしい手入れもしていないのですが綺麗なものでした。
今シーズンでさよならするか、もう一年働いてもらって四半世紀でさよならするかだなと思って先に写真を撮っておきました。しかしまぁ、24年という時間。若い頃は「一生もの」なんて言葉は自分の背の届かないところにあると思っていました。一生の使用に耐えるには、それなりに金額をかけてものでなければ長持ちしない、よって自分のような貧しい者には無縁と思っていました。ところが、ふつ気づくと自分の身の回りに20年選手や30年選手がちょいちょいいるのです。それはものが丈夫で長持ちするということなのか、人の一生というものが存外短いものなのか、よくわかりませんが。
面白い記事ですね。
うちのかみさんも私に断り無く、いろんなものを捨ててくれます(^^;)
クラークスのデザートブーツいいですね。
年齢に関係なく履けますし、どんな格好にもよく合います。
でも私は靴で何年も履いているものはないです。
同じものを集中して履いて履きつぶすタイプだからでしょうか。
「一生もの」…デジタルものにお金をかけることが増えて余計に縁がないような気がします。
コメントを読んだきり、お返事を書かないまま一月以上過ぎていましたました。お許しください。
デジタルの時代、ユニクロの時代、100均の時代。モノはぐっと安くなって手が届くようになりましたが、結局は使い捨ての時代ですよね。地味でいいから長く安心してつきあえるようなものがいいなぁと思っています。
あっ、それから。新しいデザートブーツを買ってもらいました。今日、履き初めです。