司馬遼太郎の「街道をゆく」に同行者として出てくる須田画伯とはどんな人だろうと思っていました。例えば「肥前の諸街道」では、諫早駅前で司馬と落ち合った須田画伯はこんなふうに描かれています。
たまたま、東大阪で連れて行かれた喫茶店、屋号を美術館といいます。コーヒーを飲みながら作品を鑑賞してもいいし、飲み物は不要という方は、入場料を払えば入れてもらえます。喫茶店にしては少し広い店内。重厚な木製のテーブルと椅子。タンノイのスピーカー。
壁には抽象画がたくさん掛けられていましたが、そこに須田剋太という文字。これって須田画伯のことではないか。そうです。須田画伯の作品がたくさん並べてあったのです。会いたくて、でも多忙に紛れて忘れかかっていた人に偶然会った気分です。絵のことはわかりませんが、「街道をゆく」ではどちらかというとなよっとした須田画伯ですが、作品はどれも激しく、力強い印象でした。この美術館には須田画伯の作品500点が収蔵されているそうです。
喫茶店の木製の椅子が、思いのほか座り心地がいいです。じっくりと落ち着ける喫茶店でした。
画伯はひとりで見知らぬ町の駅前旅館にとまったことがよほど心細かったらしく、諫早駅の駅舎の軒下で互いを発見したとき、平素駈けることのないこの人が、黒鞄を背負ったままチベット牛のようなゆるゆると駆け寄ってきてくれたときは、他愛もない邂逅ながらも、涙腺がゆるむ思いがした。
また、呼子ではこんな表現もあります。
氏がどんな場合でも大きな声をあげたことがないというのは、これは他者への気の弱さであろう。またどんな火急のときでも、走るという万人共通の動作を試みたことがない。
須田画伯の存在が「街道をゆく」に彩りを加えていることは確かなんだろうけれど、どんな人なのだろうと思っていました。たまたま、東大阪で連れて行かれた喫茶店、屋号を美術館といいます。コーヒーを飲みながら作品を鑑賞してもいいし、飲み物は不要という方は、入場料を払えば入れてもらえます。喫茶店にしては少し広い店内。重厚な木製のテーブルと椅子。タンノイのスピーカー。
壁には抽象画がたくさん掛けられていましたが、そこに須田剋太という文字。これって須田画伯のことではないか。そうです。須田画伯の作品がたくさん並べてあったのです。会いたくて、でも多忙に紛れて忘れかかっていた人に偶然会った気分です。絵のことはわかりませんが、「街道をゆく」ではどちらかというとなよっとした須田画伯ですが、作品はどれも激しく、力強い印象でした。この美術館には須田画伯の作品500点が収蔵されているそうです。
喫茶店の木製の椅子が、思いのほか座り心地がいいです。じっくりと落ち着ける喫茶店でした。
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