ぶろぐのおけいこ

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赤川鉄橋

2013-01-03 07:56:24 | PiTaPaで歩く

 一本の橋なのに、鉄道と歩道が同居している不思議な橋が淀川にかかっています。赤川鉄橋と呼ぶそうです。この橋の存在を知ったのはほんの何年か前のことです。ある写真コンテストで知りました。いつか実物を見てみたいものだと思っていたのですが、このたび念願かないました。
 大阪での用事を片づけ、昼過ぎに阪急千里線の柴島駅で降りました。例によって下調べの甘い私のこと。ひと駅先の淡路駅で降りたほうがこの鉄橋には近かったようです。改札口を出て、駅近くの住宅地図を頼りに南へ歩いていくと、200mほどで淀川の堤防には出ました。出ましたが、この堤防はドーンと壁が左右に続いていて、その壁の上が車道になっています。そして困ったことにこの堤防を越えるための階段もトンネルもありません。左右を見渡すと淀川上流方面に400mほど先に歩道橋らしきものがあり、その歩道橋以外には、川に出る方法がないようです。


 住宅街から車道や河川敷に出るための歩道橋で、バス停がすぐ下にありました。河川敷に出ると、川の向こう側にキタのビル群が見えます。問題の赤川鉄橋はすぐ近くにあるものと勝手に思い込んでいましたが、大堰や水道橋が見えるばかりで、私の渡るべき橋は見当たりません。1kmほど上流にあるシルエットが写真で見た目的の鉄橋らしいと思い、河川敷を歩き始めました。鉄橋を渡ったら、毛馬から大川沿いを歩きたいと思っていたので、最初から目的地の反対側へ歩かなければならないこの理不尽。すべて自分の下調べの甘さのせいです。ゴルフ場(淀川ゴルフクラブというらしい)や河川敷の補修工事をしている横を歩いて鉄橋の下へ。


 遠くから見るとふつうの鉄道橋。堤の上の案内板を見ると、なんとこの鉄橋(歩道としての鉄橋。歩道の部分を赤川仮橋と呼ぶらしい)は近いうちになくなるのだと書かれています。平成25年の秋ごろには閉鎖になるということです。それにこの鉄橋は80数年、人を行き来させてきたそうで、戦前からあるらしい。家に帰ってウィキペディアを見ると、この橋ができたのが昭和4年。森光子よりは新しいけれども高倉健よりは古い。城東貨物線の鉄橋として作られたこの橋は、もともと複線対応で作られているのに実際には単線として線路が引かれた。余った半分を地元の便宜にということだったのでしょう。ところが、おおさか東線(城東貨物線を改良して現在、久宝寺【きゅうほうじ】-放出【はなてん】間の営業をしている)が、新大阪まで伸びることになったので、この橋も複線化、歩道がなくなるというわけです。いいタイミングでやってきたなという思いと、少々寂しい(これから初めて渡るというのに)思いがしてしまいました。

 この橋は大阪市東淀川区と都島区を結んでいます。渡ってみると結構な往来があることがわかります。歩く人、ジョギングの人、自転車の人。自転車が双方からやってくるとすれ違いに少し気を使わなければならないくらいの幅です。そういえば、自転車は押して歩くことと書かれていたのに、押している人は誰もありません。みんな自転車に乗っての往来です。これだけ需要があるのに、この橋が通れなくなったら、どうするのだろう。先ほどの案内板には上流の菅原城北大橋を通るようにと書いてありました。その橋までここから約1km。不便になる人が増えそうです。ところで、先ほどから一生懸命に歩いているのに、一向に向こう岸、都島区へ着きません。ずいぶん長い橋だなと思ったのですが、これもウィキペディアによれば、橋長は610mほどだそうです。あの長い新幹線が一編成400mだそうですが、その1.5倍もあります。などと考えているうちに都島区にランディング。偉大な淀川を自分の足で歩いたという、どうでもいいような満足感に浸っております。

(つづく  歩いたのは昨年12月のことです)




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