森下典子さんが25年間続けてきた「お茶」のお稽古にまつわるエッセイ。
私には「お茶」の心得がまったくありませんが、「お茶」にまつわる解説が十分してあるので、私のような素人には、「お茶」の世界を理解するのにも役立つという側面もあります。お茶の素人大歓迎のエッセイであるということもできましょう。この解説を上手に盛り込みながらお話を進めていく雰囲気はどこで味わったかと考えながら読んでいくことになりました。それは、三浦しをん『仏果を得ず』でした。
「お茶」には流派もあるそうですから、流派その他の条件によって、「それは違う」とか「それは著者の不理解だ」というような場面ももしかしたらあるかもしれませんが、素人にはどうでもいいことです。
恥ずかしながら、私はかなり読み進めるまで、これをエッセイだとは気付きませんでした。小説だと思っていました。恥ずかしさの言い訳になぜそう思い込んだのかを考えてみました。ひとつには、文庫本1冊にもなる長大な(単一の)エッセイに出会うことがすくない(エッセイ集なら、ありますが)ということがいえるでしょう。次に、登場する舞台もほとんどが、師匠である「武田のおばさん」の自宅=お稽古場であること。そして大切なことですが、言葉、文脈にカドが取れて、小説のように、筆者の意図通りによどみなくストーリーが流れていくこと。25年間を凝縮したエッセイであるゆえに、エッセイとはいいながら、小説を構築していくのに近いのかもしれません。たぶん、そんな理由でフィクションだと思い込んだのでしょう。
派手な部分はありません。著者が「お茶」によって、いままで気づかなかった日々の移ろいを感じることでできるようになったことを、文章を通して読み手にも伝えてくれる、どうということのない日々の暮らしの中の喜びを教えてくれる一冊でした。
観てはいませんが、『日日是好日』の映画が公開されているそうです。「武田のおばさん」役は、9月に亡くなった樹木希林さん。この本を読み始めるころ、彼女の『わが母の記』という映画をテレビで観たものですから、この本を読んでいる間も私の頭の中では、「武田のおばさん」は樹木希林さんでした。
ところが、お話も終末になって、私の頭の中には別の人物が浮かんできました。竹内まりや。著者が「日日是好日」の額を「毎日がよい日」と解釈をしたシーン。私の中では、「毎日がスペシャル」が流れ始めました。読んでいる本の世界に没頭していけと、チコちゃんに叱られそうです。
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