串本にやってくるのは30数年ぶりのことです。昭和の終わりごろ、私は日本泳法(日本古来の泳法=水泳)の教室に関わっていて、毎年お盆の間に、海洋訓練で串本に滞在していたのでした。しかし、訓練で来ているのですから、潮岬以外の串本をほとんど知らずにいました。円山応挙に関わるお寺があることは知っていましたが、行ったこともないし、観光客なら訪れるであろう大島も知りません。橋杭岩でさえ、国道を走りながら横目で眺めるだけで、近くまで行ったことはないまま平成の世の中を終えたのでした。同じ近畿地方とはいえ、本州最南端は遠い。用事があるか、よほどの決心をすることがなければ行くことはないのです。
年賀状の図案が気になりだしました。今年は富士山の日の出の写真を使いました。昨年は桜島の日の出の写真を使いました。2022年はどうする?橋杭岩の日の出はどうだろうと思って、例によってたいした下調べもせずに、寝袋等を適当にかき集め出掛けたのが11月下旬のこと。本当は10月の下旬に出かけるつもりでしたのですが、2日間のまとまった時間が取れずないまま約ひと月。その間に日の出の方角はどんどん南へ移動していきました。
早朝に出発して、十津川、新宮経由で橋杭岩に着いたのが11時前。トンネルと橋と高規格道路のお陰で、あの頃よりも時間短縮になっています。十津川では谷瀬の吊り橋の辺りもトンネル化されて、横目で吊り橋を眺めることもできません。温泉地温泉から先はトンネルを3つ潜るだけで十津川温泉に着いてしまいます。新宮からは那智勝浦新宮道路のお陰で、ほとんど海の景色を見ることなく下里まで着いてしまいます。目的地へ早く着けるのはありがたいことですが、味気ない気もします。
道の駅橋杭岩は結構な賑わいです。第一駐車場はほぼ満杯。出発時は9℃でしたが、橋杭岩では15℃。雲がやや多いかなというくらい。
沖のほうでは、浮島現象が確認されます。
南をみると潮岬と大島、その間にあの頃にはまだなかった、くしもと大橋が見える。国道の反対側にはフェアフィールドバイマリオットというホテルができていています。これだけが昔ながら観光地、名勝に違和感を与えています。
とにかく、串本へやってきました。
(つづく)
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