ぶろぐのおけいこ

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無量寺 30数年ぶりの串本(2)

2021-12-13 20:15:29 | PiTaPaより遠くへ

 円山応挙という絵師の名前を知ったのは小学校3年生くらいだったと思います。国語の教科書に出できたように思うのです。どんなお話しだったかはまったく覚えていませんが、円山という地名を知っていた私には名前だけは記憶にあります。

 その円山応挙の作品がなぜ本州最南端にあるのかよく知らないまま、この年になってしまいました。串本へ行くならぜひ訪ねてみたいと思ったのでした。

 串本の町中、特に住宅地は道路が狭い。そこで町立文化センター横の、防波堤のところにクルマを置いて、無量寺まで歩いて行ってみました。住民の方々とも観光客ともほとんど顔を合わせない、静かな住宅地でした。

 無量寺の本堂前を抜けて同じ敷地内の串本応挙芦雪館に入る。コロナ禍により、6人以上は入館できないと入り口に書かれています。もっとも私が訪ねた時には私しか入館者はいず、ベルを押して係の人を呼ぶような状況でした。入館料を払ったらテレビで番組を見せられます。テレビ東京の「美の巨人たち」。25分ほどだと思うのですが、これを先に見ておくと、私のようにほとんど知識のない者でも、作品がよくわかったような気になれるのが不思議です。テレビ画面の左右には、ふすまに描かれた長澤芦雪の「虎図」と「龍図」どちらも重要文化財だそうですが、早まってはいけません。本物はここにはないのです。本物はこの建物を出て収蔵庫にあるのです。係の方に案内されて収蔵庫に入る。閉じ込められたら決して出られないような厳重な収蔵庫です。

 「虎図」はふすまに描かれた、とっても大きなものですが、実は顔が虎らしくない。虎の絵だと思ってみているから虎なのですが、どちらかというと、猫の顔です。これには仕掛けがあって、このふすまの裏面にべつの絵(「薔薇に鶏・猫図」)が描かれているのですが、その絵の中に、水際で魚にちょっかいを出している子猫が描かれているのです。この子猫を魚の側から見たら、「虎図」のように見えるように描かれているというのです。

 芦雪は、こういうくすぐり、遊びの得意だった人のようです。絵を見て納得して、そのあと、オチがあって、にんまりするという作品たちです。

 きっと日本史の授業で芦雪も勉強したのでしょうが、もうすっかり忘れているのか、初めから私の脳みそに刻まれなかったのか、芦雪と言う人物も作品も知りません。しかし、無量寺にある作品たちは応挙よりもむしろ、芦雪が主役なのです。

 江戸時代後期、無量寺の再建にあたり、以前からこの寺の愚海和尚と親交のあった応挙が、寺の再建の際には作品を描くという約束をしていました。ところが、当代人気絵師であった応挙は串本まで出かけていくわけにいかず、1000人ほどいた弟子のうち、長澤芦雪を串本に派遣したそうです。芦雪は10か月ほど南紀にいたそうですが、その間に絵の雰囲気も変化し自由奔放な画風になり、滞在中270点ほどの作品を書いたらしい。

 収蔵庫を出て、今度は本堂へ案内されます。ここにも、「虎図」「龍図」があります。もともと、本堂の襖絵ですから、ここにあるのが正しい。しかし、保存のため本物は収蔵庫で守られ、そのレプリカが、本堂と応挙芦雪館の本館に置かれているということです。

 でもなぜ串本で?と思いますよね。今でも京や大阪からは遠い。串本が風待ち港だったゆえ要人たちもここを訪れているのだそうです。勝海舟も十四代将軍徳川家茂も、この無量寺の上間一之間で過ごしたことがあると、スタッフの方が説明されました。

 当初は私一人だった入館者は最後には10人ほどになっていました。スタッフの方は一人でも10人でも、素人なら素人にわかるように丁寧に解説してくださいます。とっても理解ができたように思われる無量寺と応挙芦雪館でした。尤も、私なんぞ、どうせすぐに忘れてしまうのでしょうが。

 

「masaya's ART PRESS」というブログの次のページを読んでいただくとよくわかると思います。

【新美の巨人たち】長沢芦雪「虎図」①【美術番組まとめ】

(つづく)

 

 


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