初めて能、狂言を観ました。興福寺の薪能とかの屋外で上演されたものをチラ見した経験はあるのですが、じっくりと腰を据えて、ましてそれなりの代価を払ってみたのはきっとこの年になって初めてのはず。これから、なーんも知らん私の体験を書きます。
1月18日(土)大阪、上町の大槻能楽堂。第23回能楽若手研究会大阪公演。大槻能楽堂なんてものが大阪にあることすら知りませんでした。
土曜日なのに電車は満杯。制服の高校生が多い。センター入試を受ける人たちでしょう。車内では前日にプリントアウトした今日の演目、3曲(能・狂言では1曲、2曲と数えるそうです)の情報に目を通します。現代語での解説は初心者の心強い味方です。大槻能楽堂は難波宮跡公園のすぐ南側。地下鉄の谷四からも谷六からも同じくらいの距離です。
11時から若手能メンバーによる事前講座。その講座での印象的な話題は、能はわからないものだから安心しなさいということでした。素養が必要なこと、さらに、具体的なもの(大道具だとか書割だとか)が何もないのだから自分なりの風景を想像して頭の中に描きなさいとのこと。音楽を楽しむように、絵画を楽しむように観てほしいとのアドバイスでした。ふぅーっ、ちょっと安堵。
ところで、この能楽堂の客席は横幅が狭い。右も左も男性の当方、背中を背もたれに任せることができず、膝の上で腕をクロス気味にしての観劇となりました。
13時開演。客席は満杯。中には和服姿の女性も見られて優雅な客席の装いです。一曲目は「羽衣」。三保の松原で漁師に衣を返してもらった天人が月へ帰るというあの話。しかしまぁこのリズム。催眠効果があるような。ゆったりとして、私のようなそそっかしい者には合わないなぁと思っているうちに、少しだけ意識が途切れました。
考えてみると、演目が始まる前に1ベルも2ベルもありません。緞帳もなく客電も落ちません。ざわめく客席にお囃子が聞こえてきてのスタートです。
続いて、狂言「蝸牛」。これはまだ言葉が理解できます。客席からも笑いが何度も出て、ちょっと安心。曲名は「かぎゅう」。しかし俳優のセリフでは、「かたつむり」さらに、山伏は「でんでんむし」と言います。柳田国男になった気分でした。
「蝸牛」の後は20分の休憩。客席から動く元気もなく座席で過ごします。このシートピッチは昭和50年前後の建築かと推測しましたが、実際は昭和58年の杮落しらしい。
地謡、囃子方や後見は、自分の出番でないときは、掌を袴の中に入れるということは気づきました。
最後は「邯鄲」。「一炊の夢」ですね。盧生という男が邯鄲の宿で、一眠りしている間に50年分の夢を見たが、起こされるとその夢を見た時間はご飯が炊けるまでのほんの短いものだったというお話。ここで初心者には疑問が生まれます。夢の中で登場する大臣も舞人も、いでたちが和風ではないかと思うことです。設定は中国のはず。わかりません。(>∩
「邯鄲」では、能のリズムに慣れてきたのか、一度も意識不明に陥りませんでした。そりゃそうですよね。眠るのは盧生なんですから。
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