初めて奈良を訪れたのは小学校6年の修学旅行でした。41年前ということになりましょうか。
高速道路網も今と比較すればほとんどない時代でした。たくさんの小学校で団体を組んで臨時列車を仕立てて行くというものものしさ。一泊二日の修学旅行はまず京都まで臨時列車、そこから観光バスに乗せられて京都を観光。清水寺、金閣寺…。夕方に奈良の宿舎まで運ばれるというものでした。今なら京奈和道で一気に奈良まで走るでしょうが、当時は国道24号を走るしか観光バスにはルートはなかったのでしょう。
今でもその時の風景で覚えているものがあります。国道24号線の木津川の堤を走るバスの中から見た夕陽です。いや、夕陽といっても西の山に太陽が沈むところだったのか、空一面がオレンジ色だったのか、詳細なことはわかりません。漠然と木津川の水面がオレンジ色だったような記憶があるのです。なぜか、そういうどうでもいいようなことを、国道24号の木津川の堤を南に向いて走ると思い出すのです。
今日もそうです。ちょうど同じような時間帯。待てよ。小学校の修学旅行は10月の上旬だったはず。ということは季節的にも同じような頃。太陽との位置関係だって似ているはず。41年前の夕陽を体験できるかもしれません。よし、国道24号を走ろう!
冷静に考えてみると、国道24号が木津川の堤を走る区間は井手町の山城大橋東詰から井手町役場横の交差点の間だけです。距離にしてたったの3km。私は41年間、このたった3kmの間の記憶を大切に大切にしてきたということでしょうか。
そして、実際に同じような時刻に走ってみて気づいたこと。この3kmの区間は直線ではないということ。これは太陽の位置との関係でとても大切なことです。地図をよく見ていただきたい(下の地図では、市立中央図書館分室と書かれているあたりから、井手町役場のあたりまで、川沿いの道路です)のですが、京都方面から走ってくると最初は真南よりも東側に振っているために、山の端に近い太陽ははるか後方に位置します。3kmの区間の約半分まで来ると、進行方向は真南、さらに進むと少し西に振るようになります。車の進行方向が南になって初めて太陽は右手真横に位置するようになります。木津川の水面や、見える空がオレンジ色だったとすると、3kmの区間の後半でなければならないことになる。
ところが、後半区間では、肝心の水面そのものが見えません。それは、河川敷に茂る植物の背の高さに遮られているからです。41年前はまだ水量が多く、植物の繁茂がなかったということではないかと見当をつけました。
つまるところ、小学校時代に見た景色を追体験はできなかったのです。
諦めて、井手町役場横の交差点で右折、玉水大橋を渡りました。橋の手前で大阪ナンバーの乗用車が一台止まっています。見ると男性が夕陽の写真を撮っている。私もスクーターを停めてカメラを取り出してみました。
男性は、「綺麗ですね」と言い、私も同意しました。
(おしまい)
今日の走行
距離176km ガソリン3.88L(594円) 45.4km/L
出発から帰着まで10時間50分
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