ぶろぐのおけいこ

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七里の渡し跡~   「歌行燈」の続きに~

2022-07-25 19:28:06 | PiTaPaで歩く

 熱田神宮から、南へ1kmほど歩けば七里の渡し跡です。ここを自分の目で見てみたかったのです。今はGoogleストリートビューのおかげで、自宅に居ながらかなりリアルに風景を感じることができますが、やはり自分の身体がその場所にあるというリアリティにはかないません。このあたりは元の宮宿。

 東海道最大の宿だったそうで、旅籠が約250軒あったらしい。今、宿場の面影はほとんど見ることができません。丹羽家住宅と呼ばれる建物がありますが、脇本陣格の旅籠だったそうです。その数軒となりにも歴史ありそうな建物があって、説明書きによると、明治29年に料亭として建てられたものだそうです。江戸時代の建物ではありませんが、江戸時代の様式を模して造られているそうです。

 

 現代の宮の渡し公園あたりが、江戸時代には伊勢湾の一番奥であったはずです。つまり、江戸時代にここから南側を眺めれば、伊勢湾が遠くまで眺められたのだろうと想像をします。現代では南側も埋め立てられ、この場所から海を感じることはできません。

 堀川と新堀川に囲まれたところが七里の渡しの渡船場だったようです。地図で確認すると、堀のかたちが刺股(さすまた)に似ています。柄の部分が伊勢湾につながる部分。左右に分かれる分岐点が七里の渡しの渡船場。マタの左側(西側)が堀川、右側(東側)が新堀川。そんな感じです。七里の渡しの跡から南側を見ると1kmほど先に東海道新幹線が堀川を渡るのが見えます。七里の渡しの面影は、鐘楼と常夜灯と、桟橋くらい。長崎の医師、シーボルトもここを通って江戸を往復したとか、松尾芭蕉がこの熱田を何度も訪れたとかいう説明書きがありました。

 東海道中膝栗毛では、宮宿で一泊した後七里の渡しで桑名に向かうことになっていますが、熱田神宮に参ったという記述がないのはなぜだろうと思います。それに、風景描写がほとんど出てこないのも不思議。宮宿でのいくつかのエピソードは、小便の竹筒のことを除いては、他の宿での出来事として書いてもまったく問題がないように思われます。不思議のもうひとつ。宮宿では「名物」のうどんを弥次さんが食べようというシーンが出てきますが、きしめんではなく、うどんというのも不思議です。

 東海道という視点から眺めるので七里の渡しと考えますが、ここは熱田湊。尾張最大の物流拠点だったようです。案内板によると熱田湊は現在の宮の渡し公園よりも北にあったそうです。

 バス停の名前も七里の渡し。バス停の前のYAMAHAのお店は、元倉庫だったようです。

 七里の渡しの時代はここから桑名まで27km。4時間の旅。干潮時は沖を走らなければならないので十里になったということですが、それは伊勢湾がいかに遠浅だったかということでしょうね。その原因は急峻な木曽三川が、土砂を運んできて、伊勢湾が遠浅だったということ。輪中の成り立ちともつながりのある話でしょう。

 宮の渡し公園に面した道路は付近が整備された後の道路であると、案内板で知ったので、それより一本北側の道路を歩いてみました。こちらの通りのほうが歴史があるはず。北の突き当りの一角。何かありそうです。「旧魚半別邸」という言葉が気になったので、検索してみると、「魚半」という料亭が昔あって、その建物が現在に残っているものだということでした。洋館と和館、そして、レンガ造りの倉庫があるということですが、そういや、洋館から道路を隔てた南側に古いレンガ造りの蔵のようなものも見かけました。訪れた日は閉まっていましたが、その「旧魚半別邸」を活動の拠点にしているのが、NPO法人堀川まちネットだそうで、このNPOが、東海道七里の渡し船旅学習会といって、熱田、桑名間の七里の渡しを現代につなげているのです。不定期で七里の渡しが運行されると、どこかで聞いたことがありましたが、その本拠地がここにある。

 なんと。そして初めのほうに記した、現在高齢者福祉施設になっている明治29年に料亭として建てられた料亭というのも、「魚半」。同一の料亭だったわけです。つながった!

 その道路を東へ十字路まで歩くと、南北に通っている道路が旧東海道だそうな。旧東海道を堀のほうへ歩くと、道路沿いに喫茶店があるのですが、それが会員制と書かれています。名古屋圏の喫茶店はかなり他の地方とは違う進化をしていると聞きますが、会員しか入れない喫茶店ってどんなんでしょうね。

(つづく)

 追記

 7月末に東海道新幹線に乗る機会がありました。上りが名古屋を出発したあと、七里の渡しが見えるはずだと構えていたら、撮れました。 こんなに新幹線から近いところに七里の渡し跡があったんだと驚きました。下りの新幹線でも挑戦してみましたが、下りでの撮影は難しいことがわかりました。

 

 

 


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