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今年の 「駐名古屋大韓民国総領事館SNSサポーターズ」 の
“ワークショップ” は、テーマが 『朝鮮通信使縁地巡り』 ということで
その足取りを追って、滋賀県までやって来ました。
その続きです。
… … … … … …
『CLUB HARIE・近江八幡日牟禮ヴィレッジ』 で、楽しく買い物をした後、
駐車場に向かう道すがら、とても美しい景色に出会いました。
『八幡堀』
近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たしたそうです。
この風景が目に飛び込んできたとき、今が令和の時代ということを忘れました。
再びバスに乗ってやってきたのが、
彦根市の 『宗安寺』 です。
こちらは、京橋通りにある浄土宗のお寺になります。
彦根藩で徳川家康をまつる朱塗りの 「赤門」 のお寺で、
別名 「赤門寺」 とも言われているそうです。
佐和山城の正門を移築されたと伝えられ、馬に乗っても通れるほどの高さがあります。
「赤門」 の南側にある 『黒門』
唐人門と称する小さな黒門は朝鮮通信使を通行させた門とされてきましたが、
近年では、食料などを運び込む勝手口用の門とみられています。
ご馳走に欠かせない肉類を仏寺として正門から搬入が出来なかったので、
この門が使われたんですね。
朝鮮通信使は正徳元年 (171年) 以来11回宗安寺に宿泊し、
この門から出入りしたんだとか。
道沿いには、立派なプレートも設置されていて、
知識の乏しい私でも、興味をもって散策できるように工夫がされています。
最初、このお寺についての詳しいお話を住職から本堂でお聞きしました。
そのあと、いくつも和室が並び、寺の文化財等が祭られている仏像をお参りし、
書院の奥まで進んできました。
「彼岸白道の庭」 がちらりと見えましたが、何百年も昔に
あの庭を朝鮮通信使の方々も見られたのだろうかと感慨深いものがありました。
徳川の将軍が替わるごとに祝賀のため朝鮮から来朝し、
「宗安寺」 は使節団の中心である上使・福使・従事官の三使の宿泊施設となったんだとか。
また、奥の間に李朝高官肖像画が残されています。
寛延元年 (174年)の造作や見積もりは、
現在の1億円相当が投入されているそうです。
朝鮮通信使訪日400周年の記念に送られた掛け軸です。
『誠信交隣』
「まごころで…」 の文字が心に響きました。
こちらは、ほんの一部ですが、
この広間で朝鮮通信使の方々が道中の疲れをとったのであろうか…
現在の本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したものだそうです。
間口が広く 「十二間」 屋根の低いことや欄間・釘隠しなどに桃山建築の特徴があるそう。
先ほど、お話を伺った際に、本尊の阿弥陀如来立像を拝みましたが、
そちらは大坂夏の陣の時、淀君の念持仏と思われる仏像を持ち帰ったもので、
鎌倉時代の作といわれているそうです。
晴れていれば… と充分に散策できなかったことに
心が残り、また必ず訪れようと思ったお寺でした。
この後、最後の訪問地に向かいます。
【宗安寺】
彦根市本町2-3-7
ポチっと押して頂くと皆さんには何もありませんが、しゃかしゃか母がHappyになります 人気ブログランキングへ
今年の 「駐名古屋大韓民国総領事館SNSサポーターズ」 の
“ワークショップ” は、テーマが 『朝鮮通信使縁地巡り』 ということで
その足取りを追って、滋賀県までやって来ました。
その続きです。
… … … … … …
『CLUB HARIE・近江八幡日牟禮ヴィレッジ』 で、楽しく買い物をした後、
駐車場に向かう道すがら、とても美しい景色に出会いました。
『八幡堀』
近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たしたそうです。
この風景が目に飛び込んできたとき、今が令和の時代ということを忘れました。
再びバスに乗ってやってきたのが、
彦根市の 『宗安寺』 です。
こちらは、京橋通りにある浄土宗のお寺になります。
彦根藩で徳川家康をまつる朱塗りの 「赤門」 のお寺で、
別名 「赤門寺」 とも言われているそうです。
佐和山城の正門を移築されたと伝えられ、馬に乗っても通れるほどの高さがあります。
「赤門」 の南側にある 『黒門』
唐人門と称する小さな黒門は朝鮮通信使を通行させた門とされてきましたが、
近年では、食料などを運び込む勝手口用の門とみられています。
ご馳走に欠かせない肉類を仏寺として正門から搬入が出来なかったので、
この門が使われたんですね。
朝鮮通信使は正徳元年 (171年) 以来11回宗安寺に宿泊し、
この門から出入りしたんだとか。
道沿いには、立派なプレートも設置されていて、
知識の乏しい私でも、興味をもって散策できるように工夫がされています。
最初、このお寺についての詳しいお話を住職から本堂でお聞きしました。
そのあと、いくつも和室が並び、寺の文化財等が祭られている仏像をお参りし、
書院の奥まで進んできました。
「彼岸白道の庭」 がちらりと見えましたが、何百年も昔に
あの庭を朝鮮通信使の方々も見られたのだろうかと感慨深いものがありました。
徳川の将軍が替わるごとに祝賀のため朝鮮から来朝し、
「宗安寺」 は使節団の中心である上使・福使・従事官の三使の宿泊施設となったんだとか。
また、奥の間に李朝高官肖像画が残されています。
寛延元年 (174年)の造作や見積もりは、
現在の1億円相当が投入されているそうです。
朝鮮通信使訪日400周年の記念に送られた掛け軸です。
『誠信交隣』
「まごころで…」 の文字が心に響きました。
こちらは、ほんの一部ですが、
この広間で朝鮮通信使の方々が道中の疲れをとったのであろうか…
現在の本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したものだそうです。
間口が広く 「十二間」 屋根の低いことや欄間・釘隠しなどに桃山建築の特徴があるそう。
先ほど、お話を伺った際に、本尊の阿弥陀如来立像を拝みましたが、
そちらは大坂夏の陣の時、淀君の念持仏と思われる仏像を持ち帰ったもので、
鎌倉時代の作といわれているそうです。
晴れていれば… と充分に散策できなかったことに
心が残り、また必ず訪れようと思ったお寺でした。
この後、最後の訪問地に向かいます。
【宗安寺】
彦根市本町2-3-7
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