「北の山・じろう」日記

内容は主に時事問題。時々株式投資関係の記事も交じります。

過去の歴史とウクライナ民族主義とウクライナ紛争を概観する<2023.12.05

2023-12-06 00:52:26 | 中立の視点で見るウクライナ紛争

過去の歴史とは、スラブ民族の歴史のことを言っています。全部書くと長すぎるので第1次世界大戦の頃からの歴史を振り返ると、そこに見えて来るのが❓

ほぼ、今のウクライナ紛争の原型が見えます。
それが、ウクライナ過激民族主義です。
過激と言う言葉を使うのは、独立を追求する手段として暗殺や爆破などの破壊工作を手段としているからです。

①ウクライナ軍事組織
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%B5%84%E7%B9%94
②ウクライナ民族主義者組織
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%B0%91%E6%97%8F%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E7%B5%84%E7%B9%94
以下、引用
活動期間 1929年-1950年代
活動目的:反ロシア 反ポーランド 反ハンガリー 反ルーマニア 反セム主義 国家コーポラティズム ウクライナ独立 
前身:ウクライナ軍事組織
後継:ウクライナ蜂起軍
関連勢力: ウクライナ人民共和国亡命政府
敵対勢力:ナチス・ドイツ ソビエト連邦 ポーランド チェコスロバキア

※これを見ただけで、現在のウクライナ紛争の原型が分かると思います。第1次世界大戦後、ヨーロッパの各民族が独立を果たしました。その中で現在のウクライナのウクライナ人も独立を志向しますが・・・
(引用)
『1919年、ポーランド・ウクライナ戦争の終結により、ポーランドは西ウクライナ人民共和国が主張していた領土の大部分を接収し、その残りの領土はソ連に接収された。
研究者の多くは、1920年代初頭のウクライナの民族主義組織の結成について、「1917年から1921年にかけてのウクライナ革命の敗北、ウクライナの国家資格の喪失、他の国々(ソ連、ポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニア)によるウクライナ民族の土地の分割に対する、ウクライナ社会における痛みを伴う反応として出現した」と考えている。

ウクライナ人民共和国軍大佐のイェヴヘーン・コノヴァーレツは、ポーランドとチェコスロヴァキアの領土内にて、ウクライナ人で構成された軍事部隊を編成し始めた。しかし、1920年11月、ウクライナ革命は崩壊し、ポーランドとロシアの間で休戦協定が締結された。ウクライナの国家資格は喪失し、ウクライナ西部の土地は、ポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニアに分割されることになる。 』

①ウクライナ軍事組織が分派し複数のウクライナ独立組織になっていきます。

③ウクライナ蜂起軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E8%9C%82%E8%B5%B7%E8%BB%8D
※ナチス・ドイツと協力しかなりあくどい事をやっています。

④ウクライナの歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
「第二次世界大戦始まる」の項目をご覧ください。

ウクライナは、独ソ戦の舞台となり多くのウクライナ人が巻き込まれて死亡しました。一方で「ウクライナ蜂起軍」が他民族を虐殺し、ナチス・ドイツの大量虐殺の手先ともなっています。

その一方で、ソ連軍に従軍してナチス・ドイツとの独ソ戦に参加したウクライナ人も多数います。約450万人が従軍したそうです。(ウクライナ蜂起軍側は、参戦30万人協力者70万人)

(引用)
『ウクライナは第二次世界大戦において最も激しい戦場になったとされ、その傷跡は今日にまで各地に残されている。ドイツ空軍機による破壊は文化財にもおよび、多くの歴史的建造物が失われた。ソ連政府は、ウクライナ人への懐柔策として「南方戦線」と呼ばれていたこの地域の戦線を「ウクライナ戦線」と命名し、ウクライナ人を前線へ投入した。

第二次世界大戦後、ウクライナ社会主義共和国の国境は旧ポーランド領であったハリチナー地方などを併合して西に拡大し、ほとんどのウクライナ人が単一国家の下に統合された。ソビエト連邦内では、ロシアに次いで2番目に重要な共和国となり、「ソ連の穀倉」といわれた。 』

このような経緯を経てスターリンがポーランドのハリチナー地方などを併合する事により、ウクライナが統一されました。

主にウクライナの過激民族主義者の活動の舞台になったのが、旧ポーランドのハリチナー地方(西ウクライナ)です。

旧ソ連からの独立運動の中心になったのもウクライナの過激民族主義者です。

その後、2014年クーデターの中心になったのもウクライナの過激民族主義者です。

1900年代の初頭に形成された①ウクライナ軍事組織が長い歴史を経て現在のウクライナの過激民族主義者になったと言えると思います。

このような近い過去の歴史を見てくると色々な事が分かります。

◎ポーランドがウクライナを憎む理由
◎プーチン氏がウクライナ政府をネオナチと呼ぶ理由
◎ハンガリーのオルバン首相がウクライナを嫌う理由
◎チェコやスロバキアが、あまりウクライナを支持しない理由
◎ゼレンスキー氏がプーチン氏を異常に憎む理由
◎メドヴェージェフ元大統領が「ウクライナのNATO入りにはキーウ放棄が必要」と言った理由=元の西ウクライナに出ていけ!

色々な事が、一つの風景として動画として浮かび上がってきます。
ウクライナ紛争がアメリカとNATOが急遽作ったキレイなプロパガンダやフェイクニュースとは、全然違うものだと理解できると思います。

この経緯を大雑把に知るだけで「ウイキペデイア」の記事を最低四つは読む必要があります。到底、1本の日記には書けません。

マス・メデイアがこんな複雑なことを報道できるはずもありません。新聞やテレビの報道など、ほんの一瞬の絵にすぎません。1枚の絵を見て全体像を知ることも理解することも出来ません。知るために理解するためには、自分で資料や記事を探して調べるしかありません。

※言いたいこと・・・
プロパガンダやフェイクニュースに騙されるなかれ・・・
真実や事実は自分が探求することにより得られる❓
(頭は生きているうちに使え❓私も今年の9月まで騙されていました⇒自分の愚かさに哭いています・・・人生60年生きて❓❓❓
自分は、こんなに愚かだったのか!!!)

※関連日記
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メドヴェージェフ元大統領、ウクライナのNATO入りにはキーウ放棄が必要
https://grandfleet.info/russia-related/medvedev-says-ukraine-must-abandon-kyiv-to-join-nato/

 

カテゴリー 『中立の視点で見るウクライナ紛争』
https://blog.goo.ne.jp/kitanoyamajirou/c/4d98d9f4c3fb26ff0cf59d1eb97ae90c



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