マサイ伝統の変化、現代の若者の通過儀礼 ケニア
2023年10月22日 8:00 発信地:ナイロビ/ケニア [ ケニア アフリカ ]
https://www.afpbb.com/articles/-/3478205?cx_part=top_latest
まずは記事を読んでください。
記事では儀式・儀礼と書かれています。
しかし実際には、大人になるための教育であることが分かります。
少年から戦士になるための教育が、エンキパータ。
戦士から若き長老になるための教育が、ユーノート。
本格的な長老になるための教育が、オルンゲシェー。
『これらは2018年に国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。』
もちろんお祝いの意味もありますから、儀式的な要素もあります。しかし昔は・・・
『モランはかつて「エマンヤッタ」と呼ばれる隔離された村で2年間を過ごした。今は学校の休みに集まり、マサイの歴史や伝統、社会生活のルールを学ぶ。』
2年間の学習期間を経て大人の仲間入りが出来たようです。大人になる日本なら成人式の段階が、ユーノートです。
昔は学校などなかったのでしょうから、これが大人になるための教育であったわけです。それが今では民族の象徴的な儀式として残っています。
学ぶべき部分は、成人になる前の2年間の教育期間です。この期間の中で社会に出てから必要な様々な知識やルール、技術などを学んだのであろうと思います。そう言ったことを学習してその後、社会に巣立つわけです。
多分、外国もそうだと思いますが日本の成人式は本当に形式的ですね?しなくても、いいくらいのものです。
成人になる前に受ける教育は、ペーパーテスト的な知識だけです。しかも実社会では、ほぼ役に立ちません。
成人したら適用される法律が変わります。基本的な法律ぐらい教えないとだめですね。全然、教えていません。
社会に出て自分が一つの人格として行動する場合には、色々な知恵や知識、あるいは社会のルール(法律とは違う)を学ぶことも必要です。
何となく学べ!方式で、何も教えないでしょう。
昔は、社会がそれを教える仕組みや風習があったと思います。周囲の大人が若者に教えてあげるのですね?
今、そんなことはないです。うっかり教えると出来の悪い若者が逆切れするでしょう。
何も学ばず(教えず)いきなり社会人になるから、常識のない法律を守らない身勝手な思考をする人間ばかりが社会に出てきます。それが世代を経て拡大再生産されます。
例えば、「闇バイト」です。それ犯罪の手先ですね。実に気軽に若者がそれに応募しています。そして犯罪を犯します。
これが一番典型的な例で他にも似たような事は沢山あると思います。
社会に出てから必要な様々なことを家庭教育に押し付けている今の教育制度に欠点があるのは、明らかです。学校教育の中で教えるべきです。それがマサイ族のユーノートです。
個人主義だの自由主義だの民主主義だの形式的な価値観を重視した結果、必要な価値観や社会生活に必要な順法精神やルールやマナー、道徳と言うべきかもしれません、言葉で言い表すのも難しいですが・・・
社会に出てから必要な基本的な事柄の教育が、ほとんどされていなしと思います。ペーパテストの点数で判断する今の教育制度の欠点だと思います。
ペーパーテスト的知識で必要なのは、読み書き算盤です。それがあれば最低の部分は間に合います。足りないところを専門的・技術的な部分で教えればいいと思います。
それより大切なのは、何が大切なのか?どのように生きていくのか?何をしてよく何をしたら悪いのか?
人間性や人格、古い言葉だと道徳ですね。
この部分の教育が足りないと、それに欠けた人間ばかり出てくると言う単純な理屈だと思います。
「ゆとり教育」の考え方が目指したのは、このような事を考えたのでしょう。しかし、それが教育現場ではペーパテスト的学習の分量を減らすだけに終わったようです。
更に言うならペーパーテストの学習の内容と分量が多すぎると思います。ペーパーテストの教育は、教育の中の一部分にすぎません。
学校で友達と遊ぶことだって、子供たちにとっては大切な学習だと言うことが分かっているのでしょうか?
遊びの中でコミュニケーションとか集団の中での決まりとか振舞い方を学ぶわけです。友達との遊びが、学校では一番大切なことだと思います。
さっぱり結論らしくなりませんでしたが、教育について根本的に考え直すべきでしょうね。優れた教育は、その国の財産です。子は宝と言います。社会にとっても宝です。その宝物を育てるのが、教育制度です。つまり優れた教育制度を持つ国は、世界の中で進歩して行くと言うことです。