家庭菜園で出来たと小さなスイカをいただいた。
切ってみたら・・・・
甘かったです。
今日は8月15日終戦記念日です。
戦争に行ったとは聞いていたのですがあまり詳しくは
しゃべりたがらない父でした。
フィリピンで船が沈んで助けてもらった。
その後、学徒動員の女学生たちの先生をしていた。
そこで母と知り合って結婚した。
母17歳、父26歳と聞いている。
それで姉は18の時の子。私は20の時の子。
若い時よね。
原爆投下の広島に兄を探しに行った。
天皇陛下のお言葉を暑い中聞いた。
父、今生きていたら105歳。
10月14日が来たら106歳ですね。
没後18年が過ぎました。
終戦記念日で思い出した父でした。
※ 今日の良い事は?
スイカ。
草取り。
シャワー。
暑い。
味噌ラーメン。
支離滅裂。
負けて悔しい はないちもんめ ♪~
黙祷
父は戦争の話をしたがりませんでした
ですが、南方に行ったことは親戚から聞いておりましたので辛い思いをしたとは想像できます
戦争は命を奪い合うむごいものです
現在進行形の戦争の早期解決を願ってやみません
余り戦争の事を離さなかった父ですが
私にはとても優しかったです。
いつも見守ってくれていた父でしたので
思い出すと懐かしくなりますね。
日々が来ることを願っています。
そう言えば「南方」って言葉を父から
聞いた事がありましたね。
戦艦が沈没して助けられたとは聞いています。
その時にたくさんの方が亡くなられたともね。
早く平和な世界になると良いですね。
コメントありがとうございました。
お母さまが生徒だったのですか。
頭の良い優しいお母さまにお父様が一目ぼれかしら・・
戦争の事は何方もあまり話したがらないようですね。
大変つらい思いをされ、苦労があったからでしょう。
当時の事を覚えている方はだんだん少なくなりましたね。
父は貴重な存在になりました。
三つ編みをしていたと聞いています。
「何で?」と聞いたら
「バナナをくれたから」と言ったのを
覚えています。
戦争中なのでバナナが嬉しかったのでしょうね。
ふふふ。
ここは私も食い意地が張っているね。同じです。