運動選手というと、技量は人並み外れていても寡黙な印象を持っていた。あまり饒舌であることはスポーツになじまないと思っていたが、どうやらまちがいだったようだ。
アスリートの中には弁舌家もいる。スケーターの羽生選手は独特の話法を持っていて聞き手が戸惑うこともある。MLBのイチロー選手も同様で、もっと率直、端的に言えば分かりやすいのにと思うことしばしばである。しかし、これも個性の、重要な構成要素ではある。
解説者の言葉にも人柄が表れる。時にテレビの主音声を消して、解説者に退室願うこともある。
マラソンの解説者には、有名な饒舌家がいる。事前にあれこれ調査して、あたかも週刊誌、イエロー・ジャーナリズムの如き有様で、少なくとも私には必要ない。球場に行きながらラジオ中継を聴いている人もいるが、これも私には意味不明である。解説に頼らず、自分流に楽しみたい。
先日、スポーツ中継を視聴していて、次のような解説者の言葉に遭遇した。
「野球は、再現性が求められるスポーツですから……」
野球は、自然科学や医学のような実証科学になってしまったかと感動したのであるが、その真意は、「キャンプでできたことは、本番でもできなくてはならない」という平凡なことを言っているのであった。持って回った言い方である。一般に野球の解説は、特に解説の必要などない内容が多いが、ここまで屈折すると、解説の解説が必要になるあ。
ものの考え方が暗い解説者も困りもので、贔屓チームのチャンスも心から喜べないことが多い。選手や解説者は、どのような言語表現の訓練をし、またコーチを受けて仕事をしているのか気になる。