それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

「身の丈」発言

2019-11-01 21:58:39 | 教育

 教育基本法には、次のような条項がある。憲法も「経済的理由」を除いて、ほぼ同じ内容の条項がある。

第3条 (教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。 2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。     文科大臣が、共通試験のうちの外国語外部試験利用に際して、受験生に有利不利が生じるのは問題だという指摘に対して、「受験生は諸事情を考慮して、身の丈に合わせた対応をして欲しい」と言って問題になった。今日(11月1日)には、外部試験(民間試験)には制度上、いろいろ問題があるので当面は実施しないと、前言を翻す発言をして、また物議を醸した。

  教育基本法の規定に示されていても、全国の受験生が均等、平等な状況で受験をし、教育を受けているわけではない。地理的な条件から文化格差が発生するであろうし、弱少自治体の財政は教育施設に潤沢な手当のできる自治体より見劣りがすることもあろう。保護者の経済状態は、同じ自治体にあっても多様である。

  能力の多様性に応じた教育の規定は、機会均等の意味がやや異なるようでもあるが、どの子にも同じ内容、程度の教育を施すべきである、どの子も同じ能力を有しているという理想(幻想)に駆られた教育もあり、かえって不幸な学習者を生むこともあった。すべての児童に同じ点数、成績を与える教師も出た。「ひとしく」「機会均等」と言う言葉は美しく、温かい。しかし現実の世の中は、いろいろな場面で「身の丈に合わせて」生きざるを得ないのであり、そうしてもいる。現実は絵空事ではないのである。我々にできることは、均等な機会を得られない者への、それこそ身の丈に合わせた援助と励まし程度のことである。基本法にあるように、機会均等を実現するのは「国及び地方公共団体」なのである。今回の文科大臣の譲歩、翻意を、「鬼の首」でも取ったような自慢げな態度を見せている野党議員諸氏は、現実に存在する不平等をどう改善しようとしてているのだろうか。対案はあるのか。抽象的な平等論を口にしているだけでは、受験生の不幸は解消できない。与党も野党も、具体的な提案をすべきである。5年間の猶予を得た外国語試験を導入するためには、文科省、文科大臣だけでなく、少なくとも与野党国会議員は、このやっかいな問題を解決していなくてはならなくなっているのである。

 大学入試については、共通試験、それも民間機関による外国語試験など、本当に必要なのか。このことは、すでにこのブログに書いた。自分の大学に入学したい人間の選抜くらい自前の試験によるべきではないのか。大学ごとに問題を作成するなら、今回の事態は生じなかった。

 問題自作によって隠れてしまう不平等の状況は、別の観点と方法で改善、解決の努力をすべきである。最善の努力を重ねても、憲法や基本法のような理想的な状況にはならないであろうが……。