新型コロナの勢いは一向に衰えを見せない。感染拡大の初期段階から、特に高齢者しかも基礎疾患のある老人には深刻であると言われていた。逆に低年齢の子どもや青少年の場合は高齢者に比して重篤化しにくいとも言われていた。
このような事実を受ければ、高齢者が神経質になるのは理解できる。特に若い感染者が怖いという気持ちも分かる。だから、
「新型コロナの感染者は、老若男女を問わず怖い存在であるが、特に高齢者にとっては怖い存在です。」
とでも言えば、事実その通りであるから問題はないはずである。
ところが大阪府泉南市の議員が、「高齢者にとっては殺人鬼に見える。」とフェイスブックに書き込んで大問題になっている。同市の第一号感染者が女子高生(=若者)だったことを受けて、72歳という高齢である自身の心配を表明したもののようである。それはそれで同情できる点もある。問題は、「殺人鬼」という恐怖感、嫌悪感、悪意を帯びた表現である。
政治家ないしは政治屋の不適切発言は珍しいことではないが、このところ国会等においては頻出していて、政治家の質の低下が否定できない。主張、説得には言葉が最有力の武器である。不用意な言葉遣い(言語表現)しかできない政治家ないし政治屋は、そもそも政治に関わる資格がないのではなかろうか。国会審議中に総理からヤジが飛ぶなど、この国の政治の場における言葉の寿命は尽きかけている。コロナに劣らず危険である。
そのコロナを巡る説明、解説、警告において、多数の横文字が使用された。日本語という母語は十分に良質な言語であり、横文字に頼る必要はないのに……。
緊急事態宣言下にあって、都知事は、3つのスローガンを発表した(どういうわけか3密を始め、3つが好きというのも気になる)。曰く、Stay home, Stay in Tokyo, Save lives だったと記憶している。「家に居よう、東京に居よう、命を守ろう」という身近な日本語ではなぜいけないのか。危険が迫っているらしい高齢者向けには、さらに適切ではなかろうか。
いい加減な言語表現者の頭の中は、きっといい加減なのであろう。言葉と認識力は、切っても切れない緊密な関係にある。コロナは怖いが、私たちは、さらに怖い状況下に生きているのかもしれない。