首都の知事の学歴を巡ってもめている。外国の大学を正式に卒業しているのかどうか、卒業しているのなら卒業証書を示せという要求があり、それにきちんと答えていないのだという。
本来なら揉めるような事案ではあるまい。きちんと卒業しているのなら,書類を公開すれば良いだけのことである。
問題は,もう一つあるようで、当該大学を「首席で」卒業したというのであるが、これも疑われている。
選挙に際して,立候補者のプロフィールに、○○大学を卒業したと書くのは普通のことのようだが,特に有名大学、偏差値の高い大学、海外の大学の場合は付加価値があるようで、時に見栄を張って,事実と異なることを書いてしまうこともあるようだ。
事実に反することは許されるべきことではあるまいが,根拠の薄弱なことも避けるのがよい。上記の「首席で」等は、公的な文書には馴染まない.多数の学部や学科、講座のある大学に在籍する多種多様な履修形態の全学生の中の首席を,どのようにして決めるのか。正確な比較のための努力はなされていようが、客観的に判定するすべはない。従って、外に向かって堂々と口にすべきことではない。最近は,就活に際しても自己PRなどと称して臆面もなく自慢するという悪弊が一般化しているが,好ましいことではない。
そもそも、政治家にとって学歴や大学での成績の順位は必須のことだろうか。このところの政治家や高級官僚と言われる人々の言動、特に不祥事を見ると、学歴や学業成績とは関係がないように思えてならない。人間性や人格と学歴、成績が「正比例」の関係にないことを考えれば当然ともいえる。時に「反比例」ではないかと思うことがある。さてさて、信頼できる,有能な政治家を選ぶのは至難の業である。
(広島県選出の代議士夫妻が公選法違反容疑で逮捕された日に)
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