(古墳群)
3月13日のM新聞に、「学生は本分を忘れずに」という76歳の読者による投書が紹介されている。概略は、以下の通りである。
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自分の学生時代に、父親が生活に必要な額の仕送りはするからアルバイトはせずに勉強に専念するように言われ、その通りに勉学と読書に勤しみつつ、学生時代を過ごした.自分の3人の娘にも同じように、アルバイトは許さず、読書を勧めながら、大学を卒業させた。孫たちも、親の影響を受けて、読書好きに育っている。
大学生協の調査では、大学生の非読者が53パーセントである。その原因の一つがアルバイトのようだ。遊ぶための資金が目的のアルバイトは情けない。勉強と読書という学生の本分を忘れないように
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一見、もっともな意見であるが、今時、生活費のすべてを仕送りでまかなえる学生がどれほどいるであろうか。6人ないし7人に一人が貧困家庭の児童であると言われる。また、低所得者層の数は多く、かつて、1億総中流と言われた格差なき社会は、夢のように崩壊している。投稿者は、私と同世代であるが、私の学生時代に、親からの仕送りだけで学生生活を送れるのは、ごく一部の例外的な存在であり、生活費の不足はアルバイトで補うのは、ごく当たり前であった。その結果、読書嫌いになるか、勉強をしなくなるかは、人それぞれで、潤沢な仕送りの結果、遊びほうける学生が出現する確率と大差ないのではなかろうか。
私は、大学生活を、学部+大学院で、9年間送ったが、仕送りはゼロであった。育英会の特別奨学生となり、家庭教師、塾、学校(高校)の講師なども続けたが、それが、勉学の妨げになり、読書嫌いになったとは思っていない。むしろその逆で、限られた時間を有効に使い、仕事、勉強の方法を工夫し、読書の習慣が途絶えることもなかった。多量の書物を抱え込んで、その処理に困惑しているという現状からは、読書をしない人間が羨ましくさえ思える。
さて、アルバイトは、遊ぶ金ほしさからという短絡的な判断は、どこから来たのであろうか。大学生協のアンケートからの情報であろうか。結論的に言えば、そのように考えられる学生もいるにはいよう。そういう学生は、仕送りが潤沢であっても遊びほうけるのである。
長い大学生活で分かったことは、今も昔も、アルバイトをしなくともよいという境遇の学生は稀、例外的ということである。苦しい経済状況にある多くの家庭にあっては、子女を大学に行かせることは大きな負担である。仕送り可能な額は限られている。それでも将来のことを考えれば大学卒の学歴は欲しい。親と子供の双方にできることは、必要最低限の、不足気味の仕送りをするから、不足分は、アルバイトで補ってくれということであろう。これは、さして稀なことでも、無理なことでもない.私のゼミの学生のほとんどは、このような人達であり、遊ぶためにアルバイトをしている者は、ほとんどいなかった。
投稿者は、そもそも学生の置かれた状況(現状)を十分に理解できているのだろうか。自分や自分の子供、孫のことを自慢したかったのだろうか。「アルバイト=悪」という先入観ないし誤解に基づく見解の表明に過ぎなかったのだろうか。
まあ、しかし、世の中の人が、自分の置かれた状況に即して、様々に考え、主張することは自由である。その意味では、上記の投書も表現、思想の自由に基づく行為であろう。問題は、この投書を選んで掲載した新聞社の投書欄担当者である。多様な読者が読む投書の一つとして、これを掲載することにした根拠はいったい何であろう。その浅薄な認識のありように問題はなかったのか。
このところ、本ブログでは、新聞に対する批判が多くなっている。今回の事例から、ますます新聞が信用ならなくなってきている。
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