それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

身近な危険

2019-05-11 10:58:37 | 教育

 このところ、歩行者が犠牲となる事故が多発している。歩行者に何らの責任のないものが少なくない。運転者は、高齢者の場合も、そうでない場合もある。

 今や、一家に一台どころか一人一台の車を所有する時代である。車は便利で、生活に必須の存在になっている。「愛車」などと呼ぶと、なにやらかわいらしいペットのような響きさえある。

 しかし、ちょっと考えて欲しい。車の持つ特徴を並べてみよう。

 1 大きい:大人が4人も5人も乗れるほどの大きさを持つ。荷台を持つものも巨大な  存在である。   2 堅い、重い:多くの部分が金属でできている。   3 速い:鳥を除く生物の移動速度をはるかに超える。   4  複雑である:アシスト機能があっても、本来、複雑なメカニズムを持つ機械である。   このほかにもいくつかの特徴を付加することができようが、ここに挙げただけでも、私たち柔な人間が簡単に使いこなせる存在ではないことが分かる。「軍用車両」と大した違いはない。思慮分別の未熟な若年層や運動・判断能力の低下した高齢者が特に不利であるとしても、すべての人間にとってやっかいな機械なのである。

 運転者は、だれも、自分が事故を起こすなどと考えてはいまい。限られた寿命の人間でありながら、自分が死ぬと考えずに、誕生日や記念日を気楽に祝う人間が多いのと同様である。

  機械に対する生身の人間のひ弱さ、迂闊さを自覚しよう。機械そのものの怖さを認識、実感しよう。先日も、高校で実施された交通安全講習会において、事故のプロフェッショナルであるスタントマンが生徒の目前で事故死しているではないか。また、自損事故であっても周囲に大きな影響を与えるのに、他者の命を奪ったり、傷つけたりすることの重大さを考えれば、安易に使用してよい機械ではない。

 考えてみれば、便利な生活を目指して創造された多くの道具や機械には、便利さと危険性が同居している。自転車でさえ危ない存在である。危険性を認識しにくいという点では、いっそう危ないともいえる。空飛ぶ自動車が生まれようとする時代を生き抜くためには、運転者のみならずすべての人間が危険な環境の中を怯えながら生きていくしかないのか。


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