それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

「見出し」の読み方

2020-05-15 23:40:30 | 教育

 5月10日のM新聞朝刊、社会面の記事に、新型コロナウイルス対策の最前線である保健所職員たちの過酷な実態に関するニュースがあった。その一部は以下の通りである。

 「症状や体温、直近の行動歴など必要な情報を聞き取り、PCR検査の要否や病院での受診を検討する。しかし関係者によると、対応に不満を持つ市民から『俺を殺す気か』などと罵声を浴びることもあるという。」

 保健所の応対窓口の混乱は、次の通り、尋常でない。

 「4台の電話は午前9時の相談開始からひっきりなしに着信音が鳴る。多い日は健康相談を中心に50件を超え、応対は1件あたり1時間以上に及ぶ場合もある。」

  さて、このような事態をどう把握し、どう意味づけてニュースにするのか。記事には「見出し」というものがあり、記者、編集者の意図を端的に表している。

 この場合、大中小三つの見出しが付けられている。
 「中見出し」は、「法改正で統廃合、弱体化」と保健所の機能の弱体化を示し、「小見出し」では「疲弊する保健所職員」として、職員に寄り添っているようだ。

 読者にとって刺激的な「大見出し」は「『殺す気か』牙むく市民」である。不安を抱える市民、国民が、窓口である保健所に駆けつけたり、電話をしたりするが、なかなか対応してくれない、または電話がつながらない。コロナの恐怖に駆られて切羽詰まった状態である。声を荒げる人もいるだろう。そういう状況を、市民が「牙を剝いている」と表現するのが適切であろうか。無法、違法な行為と言いきれるだろうか。なぜ、「苛立つ市民」「不安を募らせる市民」という穏やかな見出しにしなかったのか。

  ニュースは「作られる」のである。トランプ大統領が、しばしば「フェイク」だと怒るが、ニュースは事実そのものという実態のないものの伝達ではなく、取材者、編集者の特定の意図によって作られるのである。したがって、不利益をこうむる者にとっては、「誤報」「フェイク」でしかないものも、屡々存在するのである。しかし、M新聞が市民、国民を敵視しているとは思えない。では、なぜこのような見出しを付けたのか。それが判らない。ただ、保健所職員に寄り添っているということと、結果として市民、国民に不快感を与えたという事実だけが残るニュースの作り方であった。


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