(つい先日の庭の雪)
先日、新聞記者の回想記を取り上げ、生の意見でなく、事実で語れという教えを受けたということを書き込んだ。
さて、今日は、反対のことを書く。
わが家で購読している今朝の新聞の一面、最下段のコラムで、例の「アルマーニ制服」を取り上げている。このコラムでは、筆者の意見を主張しても何ら問題がない。今、問題になっている公立小学校の高額な、イタリアの服飾デザイナー名の制服について、どのような意見を展開するのか興味をもって読み始め得た。事実関係は、いろいろなメディアによって報じられているので、ほとんど説明の必要はない。
こらむには、意見らしい言葉として、「……学校や街への誇りを培うため、アルマーニの標準服を採用するという話には驚くばかりだ」と言い、さらに「泰明小学校の件では児童へのいやがらせまで起きてしまった。」と、意見の方向は垣間見える。最後にどう決めるのかと期待したが、「アルマーニの賛否はともかく、考え込む.制服は誰のためのものか。」がっかりである。
「ともかく」とは、「さておき」と同義であり、正面から取り上げることを、一時止めることを意味する。最後の最後に、問題を棚上げしてどうするのだろうか。学生のレポートの終わりの部分に、時々「この問題についての私の意見はともかく(さておき)」などの表現が見られて、低い評価になるが、レポートについては、まだ罪が軽い。新聞の、意見を表明して言い文章で、しかも、途中まで意見らしいことを言いながら、最後に棚上げするという卑怯な態度は受け入れがたい。「芝居なら、金返せ!」とでも言いたくなる事態である。
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