それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

意味不明のあれこれ 1

2018-04-13 14:49:07 | 教育

 (花をたくさん付けた庭のリンゴの木)

 大相撲協会が、ちびっこ相撲から女児を除外するという方針を発表。その根拠は、けがをしないための配慮だという。だれが聴いても、とってつけた理由で、意味不明。男児はけがをしないのか、けがをしてもかまわないのか。
 レスリング協会の副会長という某私大学長が、取材でテレビ局の記者に腕をつかまれて軽傷を負ったとして警察に届けたという。いろいろな大学があり、いろいろな学長もいるが、先頃の記者会見は、横柄で、全身パワハラの印象を与えて、一般受けが悪かったところに持ってきて、この措置である。テレビ局はビデオをチェックして,暴行の事実はなかったとしてコメントを発表したが、レスリングという競技は,腕を掴まれて訴えてなんぞしては成立しない格闘技ではなかろうか。
 国会の騒ぎには,もはや国民はうんざりで、問題の本質が見えなくなっている。嘘をついた,隠し事をしているなど、児童会レベルの混乱である。いや,児童に失礼か。官僚も、議員も、きちんと国民の方を見て,児童に見られても恥ずかしくない、いやお手本になる存在であって欲しい。時間が惜しいから,劣化した国会中継なんぞ見なくなった。
 すったもんだの末に開学した加計学園の獣医学科の入試倍率は20倍を超えるという。他の獣医学科ともども高倍率である。ということは、社会的な需要はあるということであろう。医師、教員などと同じように、計画養成をする場であろうが、免許取得希望者が多数であるという需要に応えることは,十分に開設理由の一つになり得るような気がする。獣医師として自立できるかどうかは、本人の努力、能力次第である。首相も、自分と妻は何も知らないと,腰が引けるのではなく,「特区」だから、規制を取り払って実現するように力を貸したと言い切ればよいのにと、余計なことながら,不思議に思っている。官僚の自死まで引き起こした改ざん問題も、さして複雑な手順、流れがあったとは思えない。早く問題を整理して、国家の重要事に対応してもらいたい。国際情勢は,米国追随ではどうにもならなくなっている。屋根の上ではしごを外された首相を持つ国家の行く末は,のんびりしていてよい状況ではない。
  サッカー日本代表の監督の突然の解任と新監督の任命が、事情を混乱させている。解任された監督は解任を受け入れていないようだ。新監督の就任会見時の言葉が自信なさげ、かつ意味不明の日本語であった。語句レベルの問題でなく、思考力、認識力の問題のようで、先が思いやられる。このところのスポーツ界は、どうしてこんなに後味の悪いことが続くのか。メジャー・リーグに出かけた大谷が光るだけに、いっそう侘びしい。
 日本郵便は、正社員と非正規社員の格差を無くす措置として,一部の正社員に支給していた住居手当を廃止することにしたという。不利益な方に合わせた訳である。これまでの住居手当は根拠のないものだったということになるのか。社員の誰も納得しないであろう。いっそ,管理職手当をすべて廃止するとでもしてみれば潔くてよかったのに。


どの口で言うか -2

2018-04-06 13:58:19 | 教育

  (団地内・桜並木)

 安倍総理は、国家公務員合同初任研修会における訓示の終わり部分で、以下のような内容のことを口にしている。
 「これから国家公務員として歩む人生、全体を見渡し、あらゆることに思いを巡らし、 国民の信頼を得、負託に応えるべく、高い倫理観の下、細心の心持ちで、仕事に臨んで ほしい。」

 言っていることは正しい。至極当然のことであって、国家公務員は、かくあって欲しい。ただ、あなたが口にしていいかどうか、説得力があるかどうかも考えて欲しい。
 しかし、よくよく考えてみれば、このような発言が堂々とできるようでなければ、政治家になんぞなれないのであろう。(問題山積の政治状況下で抱いた思い・疑問であった。)


われわれはいかなる国に住んでいるのか

2018-04-05 15:58:10 | 教育

 (近くの農家の芝桜と桜)

 先日の新聞一面に、二つの記事が大きく掲載されていた。一つは、カジノ法案に関するもの、もう一つは子ども食堂に関するものである。
 カジノは、入場料を6,000円に設定して、依存症を防ごうというもの。シンガポール並みの金額だというが、初期の自民党案2.000円を大きく超えている。シンガポールの金額がどういう根拠で設定されたかは説明がないので、判断のしようがない。このほか入場区域の制限、入場回数の制限、本人確認のためのマイナンバーカードの活用などの制限が設けられている。これほどの制限を設けるところに、この施設の危うさがある。マイナンバーカードを提示してギャンブル場に入る者がどれほどいるのかに疑問がある(例えば、パチンコ店入場にマイナンバーの提示を求めれば来店客は大幅に減少するのではなかろうか)上に、どう考えても、出入りは控えて欲しいという観点からの規制が設けられている。何故に、こんな施設を創ろうとするのか、真意が分からない。国の品格を下げる行為ではなかろうか。
  この記事の隣には、子ども食堂が、全国に2,200カ所あるという記事がある。法律上の定義や行政の枠組み(?)がなく、全国の実態は従来不明であったのだという。地域の子どもに無料あるいは低額で食事を提供するこの施設は、様々な組織や人々が参画して運営されているらしいが、この崇高とも言える活動には、資金面、衛生面に不安もあるという。子どもの貧困対策法が施行されたともいうが、この法律が、どれほど食堂運営の支えになっているのか不明である。何しろ、財政面に不安があるというのだから。このほかに、貧困家庭に食料を提供する組織も存在することを知っている。いずれも、国民の貧困という事実に対する対応である。
 一方でギャンブルというあぶく銭の行き交う施設を作ろうという努力をし、他方に食事の提供という最も生活の基本的な部分を、財政的な困窮に耐えながら支えていこうとする人たちの存在がある。この二つが同時に抱え込む国とは、どのような国であろうか。安心して今と将来を託してもよい国なのであろうか。
  本日は、また、国技の大相撲に関する問題が発生した。地方巡業中に、挨拶に立った市長が土俵上で昏倒し、救助のために大勢が土俵に駆け上がったが、その中に女性もおり、特に看護士資格を持っているらしい女性の活躍で、救急の措置が講じられた。その処置の最中に、若い行司が「女性は、土俵から降りて下さい」と数度にわたって放送した。状況を弁えないその行為に批判が集まった。イスラムの風習を時代錯誤とは言えない、伝統的かつ偏狭な考え方は、早急に廃止したらよい。それにしても、このたびの女性の働きは見事であった。一般に、同時にいくつもの仕事(multi-task)をこなすことは、女性の方が得意であるという。わが女房殿をみれば個体差ありといわざるを得ないが、土俵上の危機は、女性によって救われたというべきものであった。女性は、正当な反論として、大相撲観戦を拒否する運動をしてみてはどうか。清らかならざる女性が、神聖な相撲や土俵を支える筋合いはないのである。もっとも、女性専用車両のことで揉めている国であってみれば、男のうちの、ごく一部にも言うべきことがあるのかもしれないが……。
  なんだか、妙な国の国民として生きている。


新聞の存在意義

2018-04-04 00:13:26 | 教育

  (近隣の梅林)

 長い間新聞を購読している。購読者の減少が新聞社にとって深刻な問題になりつつあるようだが、わが家では、不満を感じつつ、単に習慣の一つとして購読を続けている。
 言うまでもなく、新聞は情報源であり、購読者は、必要な情報を購入しているのである。毎日、必要な情報が届けられているか、つまり、新聞は、必要不可欠な情報を読者に届けているのかということを考えてみたい。
 わが家では長年、M新聞を購読している。最近、目立った変化を見せているのは、企業広告の占める紙面の割合の増加である。印象として、ざっと半分は広告である。新聞社の経営は、購読料に依存するところは少ないといわれたことをどこかで目にした。収入源の多くは広告であり、広告掲載料は、新聞の発行部数の多寡で大いに変動する、そこで、部数を増やすために躍起になっているのだという。新聞関連の職場がブラック化していることはすでに書いたが、焦りに焦った結果、広告の氾濫になっている。読者にとっては、ほとんど意味がない。折り込みチラシ(これも新聞配達に携わる人間を苦しめる元になっているようだが)の方が、まだ役に立つというものである。その折り込みチラシさえも、新聞によらず、ネットで入手可能になっている。
 今や、多種多様な情報が、テレビ、ネット、雑誌等で否応なく流れ込んでくる。無料のテレビの広告は、さして不愉快ではないが、購読料を支払う新聞には違和感がある。テレビでも、有料の場合には、時に入る広告放送に首を傾げることがあるのと同様である。必要かつ有益な広告に出会うことは、希有である。購読している総合雑誌の場合、広告はあるが、控えめで許容範囲内である。たぶん、週刊誌の方が広告は多く、派手なのではなかろうか、購入しないので分からない。
 新聞の情報のうち、無用なものがまだある。それは、新聞社の自己宣伝である。新聞社主催、共催の行事については、広告だけでなく、記事でも執拗に取り上げ続ける。高校野球関連の記事のしつこさには辟易する。誰のための情報か。新聞社の名を冠した書道展などの情報についても同様である。文化教室の広報、宣伝にすぎないものに譲る紙面があるはずもない。
 つい最近は、こともあろうに、重要なニュースの掲載されるべき第二面に、かなりの紙面を費やして自社の社内人事の記事があった。どれほどの読者がM新聞社の人事に関心があり、価値を認めていると思っているのだろうか。新聞は社内報になりさがったのか。県内面には、これまた、新しい支局長や記者の紹介がある。こんな手前味噌の情報の前に、チャンとした情報(記事)の提供をするべきであろう。以前から、県内面の貧弱さには目を覆いたくなる思いをしている。
 ひところは、大学合格者の氏名が掲載されていたが、昨今は、それを目にしなくなってせいせいしている。本人、縁者以外のだれに必要な情報だったのか。一方、今でも教職員の異動情報は、別刷り、増し刷りまでして届けられる。だれにとって意味があるのか。県庁、警察等の人事情報も同様である。他に必要な情報はあるだろうに。
  こんな体たらくで、NIE(教育に新聞を)という取り組みを進めていることに大いなる疑問を感じる。いかにも、新聞が情報の送り手として立派な役割を果たしていることが前提になっているような印象を受けるではないか。年度末に優秀実践校の表彰の情報を目にすると言葉を失う。


スプリング

2018-04-01 22:10:20 | 教育

その名もずばり「春=スプリング」です。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタです。いかにも春らしく、意外にも偉大な作曲家がロマンチストだと分かります。

??? アンケートへの回答が、このブログにも投稿されました。このままにしておきます。