夏を飾る魚は何と言っても鮎に勝るものはない。春先に途中の堰堤を越えなが
ら、遡上して来た鮎は夫々が自分の縄張りを持ち一国一城の主になったのだ。
鮎の解禁の日は待ちかまえた大公望たちがドッと繰り出し川は一日中、大賑わ
いになる。哀れな一国一城の主は自分の縄張りを侵す者には容赦しないで立
ち向かう習性があり、その習性を逆手にとったのが『友釣り』である。この習性は
簡単に見ることが出来る。国道五十四号線を南に行った所に木次町がある。そ
こで友人と川に潜り鮎の習性をこの目で見た。
一〜二メーター四方の陣地の中をくるくると廻りパトロールする。外部から他の
魚が来るとその魚をめがけて体当たりする。そして棲家だろうかそこで暫くジッと
してから同じことを繰り返す。鮎の主食は川苔で岩に生えているヌルヌルした感
じの苔だ。岩の苔の状態を見ればその縄張りの中に鮎がいるのかどうか判断で
きる。新しい食み跡(はみあと)があればその住民は達者で古ければ誰かの腹の
中という訳だ。
食み跡は横に筋を引いたようなものが幾筋もある。いい苔のある所には威勢の
いい鮎がいることになる。自分の食い扶持がなくなれば外のいい場所に映らなけ
ればならないが先人が居ればそれを追い出すしかない。そこで闘いが始まり勝っ
た方が居住権を手にする。総じて黒い岩の多い所は鮎がおり釣場探しの一つの
目安になる。友釣りはオトリ(無理矢理、他人の住居に連れていかれ闘いをさせら
れる)となる鮎の鼻に輪を通しそこに道糸をつけ、更に引掛け針をつけた糸を尾
の近くに止る。鼻は痛いし、尾の下の方は痛いしその上、望む訳でもないのに闘
いまで強いられ、とんでもない役目を仰せつかる。オトリの鮎は自分の意志で動く
のではない為、衰弱が激しく上手な人ほど一匹のオトリで多く釣る。釣れた鮎は次
のオ卜リになるが、針の掛かり場所によっては使えないのもある。掛かり場所が悪
く元気のないもの、頭に掛かり即死のものと、こればかりは釣り人には選択の余地
はない。上流から泳がせて当たりを待つ。鮎のいる所に行けばその答えは明白だ、
攻をした鮎は待ちかまえる針に突進するのだから一たまりもない、大体が頭から
尾に向けて体当たり攻擊する。ガツンとくる当たり、掛かったのが判らない小さな当
たり、熱練した人はどんな小さな当りでも見逃さない。釣りの中で熟練と技術の面
からいえば、鮎の友がけは間違いなくトップレベルであろう。素人でも釣れないこと
はないが釣果は歴然としている。流れの見方、鮎のいそうな場所の見方、オトリの
泳がせ方、取り込み、何れを比較してもその違いが大きく釣果が差となって表れ
る。友人に連れて行って貰った時も、私が十数匹、釣る間に四,五十匹は釣って
いた。川底は角がゴツゴツしていたであろう石が長年の流れで角を丸く削られ、そ
の上に苔が生えていて、とても滑りやすい。滑り止めのついた靴か草鞋を履かなけ
ればならない。長尺の竿を操り上流からゆっくりとオ卜リを泳がせ当りを待つ、川の
中では死闘が繰り広げられているだろうが外界は至って静かで、せせらぎを耳にし
ながら何と優雅なことか。人は罪作りだ。川蜻蛉が水辺を舞い、色鮮やかな川蝉が
低空飛を披露してくれる。そんな情景の中でウットリしていると強い当たりが鮎釣り
していることを教えてくれる。これは結構な引きだぞ、注意してと・・。流れの急な所
は踏ん張りがきかずバランスを崩し流されてしまうことがある。竿を立て自分の方に
鮎を誘き寄せる、これが難しいのだ、二匹の鮎は夫々が違う方向に引っ張るし流れ
はあるし。
やっとの思いで手繰り腰からタモを取リすくう。手にとるとブーンとスイカともキュウリ
とも似つかないような香りがする。
漁を終え、帰り支度をする。鮎の持ち帰りには秘訣がある。クーラーの中に水を入
れ氷水を作る、出来るだけ冷たい方がいい。その中に鮎を入れると変色しないで
綺麗な色のままで新鮮な鮎を持ち帰ることができる。
鮎は、塩焼きが一般的で蓼酢で頂くとおいしい。これも天然ものは脂が少なく身も
締まっており美味だ。砂地に生息する鮎は砂を嚙んでおり腹わたを食べるとザリつ
とくるので岩場のものがいい。鮎は生き延びても尾花が穂を出すころ、川を下り待
ち受ける粢にかかってしまう。人が放ち再び人に捕らわれる。哀しき柳葉よ。