旧山古志村の有名なものは牛の角突きで隠岐の島と同様に、闘牛場があるらしい。
私たちは興味がないので、そこに行って見ることはしなかった。
他に特別なものはなさそうだが、地産池消を売りにした小さな食堂『山古志のごっつ
お(ごちそう)、多菜田』があることを知り、昼食は其処で食べることにした。実は木籠
に行く途中、先にここに来てしまったが開店は11時ということで野菜直売所も閉まっ
ていた。だから正確には2度目の訪問になる。
ガラガラと戸を開けると、普通の家のように玄関と上がり框(かまち)、どう見ても食堂の
ように見えないから、声をしてみると『どうぞ』の返答。
家に上がり戸を開けると10畳ほどの部屋があり、食卓が並べられていた。先客もお
られ、私たちが3組目のお客だった。私は餅に目が眩み『餅入りのうどん』を頼む、
妻は山菜蕎麦にして、付け合わせとして天ぷらを頼んでみた。
これがまた、失敗だった。量が多く食べ残してしまったからtake out用にと詰め込ん
で貰う結果になった。詳細は不明だがこの店は元気ある女性グループが立ち上げ
たもので、宿泊も可能らしい。店の横に野菜直売所はあったが本日は閉店中だ
った。近年の女性グループのパワーは凄いと思う。
男連中は『あれが心配、これが心配』と論議を繰り返すのに対し女性は度胸とばかり
に『やってみければ分からない』と行動を起こす傾向にある。
女性の起業化が多くなっているのも何となく頷ける。
この地では未曾有と言われた被害はあったが、人の力の及ぶ範囲での復興は果た
した。不可能な修復は避けて新たなう回路の建造などで全くの元通りにはならなかっ
たが暮らすのに不便なことは解消されている。
今回は東北地方の災害地と過去に起こった日本海側の地、二つを訪れた。この二
つとも自然災害でありながら、中越地震は山の崩落、未曾有の土砂との闘いで人の
努力を以ってすれば克服できる範疇にあったのに対し、福島は幾ら予算がふんだ
んにあろうと、マンパワーを十分に用意しても汚れた核との闘いだから、現時点では
人の努力も空回り状態にある。
阪神大震災、中越地震とも大災害ではあったが人の能力が及ぶものだったから、辛
くても何とか乗り越えられた。これが福島の災害と決定的に違う所だ。
つまり、人の手で制御できないものを使い、過ちをすると取り返しがつかないことを神
は人間に何度も忠告したのに聞く耳を持たない輩は『愚か』の殻を破ることを知らない
のだ。人類史上から戦が消えないのと同じで、日本列島は放射線で蝕まれ続けて行
くことになるのではなかろうか。
原発の再稼働がなくても、何処かで大災害が発生し原発の冷却不能が生じたら、必
ず第2の福島になることだけは保証されている。
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棚田の風景、奥の山肌は崩落の跡