食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『震災鎮魂の旅、中越地震Ⅱ』

2013年06月24日 18時02分33秒 | 旅行

木籠(こごも)地区という名は知らなかったが、山崩れで川の下流が堰止められ自然

ダムが出来てしまい集落が水没した被害のことは知っていた。当時の報道などで小

地谷市、山古志村の地名はよく出ていたし、錦鯉の銘産地であることや牛の角突き

が有名なこと、確か山古志村長は国政に打って出たと記憶している。

この他にも国道291、山林などの崩落の惨状が流され、今でも鮮明に記憶している

のは、国道が削り取られガードレールの一部が残された現場だ。

昨日、訪れた妙見(みょうけん)の災害現場が291号線の入口で、ここから木籠地区

に登って行くことになる。

あの時の地震で大きな被害を受けたのは山の高い所にある山古志村を中心とした、

山々に取り囲まれた集落と、山林そのものの大崩落、アクセス道路などが大きな被

害を受けた。

地震からそう時間が経過していなければ、山の崩落の状態をはっきりと見ることがで

きたと思うが、今はかなり自然回復した所もある。しかし、崩落の規模は自然回復を

しても未だ当時の状態を残しており、あちこちに崩落して剥げた場所を見てとれる。

差し詰め、地滑り危険地帯の真っ只中に村があったと言うことに他ならない。車は登

り坂をぐいぐいと登って行くが、ナビの案内で向かおうとしたら道は工事のため通行

止めになっており、別ルートに向かう。

途中は錦鯉養殖や販売店などの看板がたくさんあり、やはり銘産地であることには

変わりなさそうだ。木籠は有名だから案内看板くらいあるかと思っていたが、中々巡

り会わず山道を走り続ける。

小地谷市役所の支所があったのでそこで道を聞き、その方向に行くと小さな看板が

あり従っていくと土産物屋のような店があった。そこは木籠地区の自治会が自主的に

作った災害記念館のようなもので、2階に皆が持ち寄った写真や新聞記事などが展

示してあった。震災直後、国道の崩落で孤立した際に『SOS』を道路に書いて援助を

求めた時のものや、テント内に避難していた時のものに加えて、槌音高く地区の復興

に向かう姿などの資料もあった。

そこを出て川の方に行くと、写真にある水没した家が当時のまま残されている。堰止

めされた水を一気に抜くと土石流となり、今回の災害以上の被害を起こす可能性を

心配され、慎重な検討がなされた結果、学校などがあった所を水路にして放水され

たそうだ。当時、水は写真に写っているテントより上まであったと言うから、それを貯め

るだけの土砂が如何に多く崩落したことか。

店の中で物色していると活気のありそうな人が声をかけてきた。『何処から来られた?』

『島根県から』『そりゃ、遠くからだ。私たちは島根の隠岐島に行ったことがあるよ。』

そう牛の角突きの関係で交流があるのだ。話をする内、ここの自治会長さんで地域再

生のリーダーを務めて来られた人だと分かった。『地域の再生は官ばかりに頼っても何

も生まれない。民が自分たちで再生させると自ら動かないと、その地域は消滅してしま

う』こういう主旨のことを熱く語られた。松井治二さんがその人だ。

どこでも、再生に成功したリーダーが語られるのは住民が地域を作る意志のない所は

衰退する・・・・お上に頼っていても何もしてくれるはずがない、共通項だ。

この方、有名人のようで牛突きやこの周辺を訪れる子供たちの世話などもしておられる

ようだった。そして『あそこに残っているのは私の家だった』と指を差された。

当時、水没した家は全て高い所に移り、故郷を捨てることなく同じような暮らしが出来て

いるから、福島の人たちよりもずっと幸せだと言っておられた。

負の比較で小さい負だから幸せと言っておられるのではない。自分たちのされた努力

は言うまでもないが、原発で追われることもなく、この地に留まり復興できたことに対して

だと思う。

ここの店に珍しいものが売られていた。『ぺ・ヨンジュン様も食べたアイス』

本当の事だろうが、丁度暑かったので私たちもそのアイスキャンディーをいただいてみ

ると、昔懐かしいアイスの味がした。

 

                        水没した松井さんの家

                当時、水はテントより高く溜まっていた

 祈念の石碑


『スイカの異変』

2013年06月24日 18時01分22秒 | 日記

今年のスイカは少し様子が違う。私の所だけなら今年のスイカは、おかしいのでは

なくいつもの光景なのだが、先生の所も私の所も同じ状況。私の所のスイカは例年

なら活着不良で実の付きは遅いのに、一番子は珍しく6月初めに実がついた。次

々と付くのかと思ったら、それからさっぱり駄目で、やっと今日は7~8の雌花がつき

受粉させることができた。

この間、20日くらいあるから7月20日頃に最初の実を収獲したら、暑いさ中の20日

間は収穫が途切れてしまう。どうして、こんなことになったのか分かるはずはないが、

ジャガイモでも収穫したものが極小で商品にならない現象が起きているとTV報道。

天候の加減には違いないだろうが、先生の所でも同じように、極小ジャガイモの収

獲になったと言っておられたから、広い範囲の現象らしい。

時期として、今は梅雨の最中だからこれからも雨は降り、スイカの受粉条件は悪く

なり、実の付き方は低下すると思われる。夏野菜の中では力を入れて作っている

ので、何とか例年並みの収獲を確保したいものだ。

素人百姓でもそれなりの悩みはあるもんだなー。


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