サッカーは世界のどこでも馴染の人気あるスポーツで、ボール一つあれば、立派
なグランドはなくても超ローカルルールで楽しめる。日本では今でこそメジャーな
スポーツとなり、野球大国の日本でも子供たちの夢はサッカー選手になることが当
たり前のように聞かれる。私が23~4歳の頃、遠く40年以上前はJリーグの前身、有
名企業のクラブがアマチュアリーグで戦っていた。応援や試合観戦を今のように
一般のお客さんが行くのではなく、大半はそのチームの関連会社の社員が動員さ
れた。それ以外は、当時として珍しい余程のサッカー通の人で少数派。
そんな環境下、ヤンマーの釜本はとてつもないストライカーだったが、国際試合が
多くあるのではなく、国内で有名という存在だった。メキシコオリンピックでその力
量を発揮し、当時サッカーをしていた私たちでさえ、日本がメダルを取る快挙を成
し遂げるなんて、これぼっちも考えられなかった。私も会社有志の弱小のチー
ムに入れて貰い、戦術は百姓一揆をやっていた。だから、爺の割にはサッカーが
好きで国際試合などは欠かさないで観ている。
昨晩のオーストラリア戦、失点が後半36分だったから負けを覚悟したが『ドーハの
悲劇』を逆にいくような、天から授かりもののPKで引き分けることができた。ど真ん
中のPK、サッカーをしたことのある人なら分かるが、キーパーに絶対に取られる
心理が働き,蹴ることはできないのだが、本田はそれをやってのけた。
今のサッカー選手のセンスや技術は、カズ、ヒデをも遥かに凌ぐと言っても過言
ではない。こうした選手が次々に出て来ることを大変楽しみにしているし、今後の
更なる活躍を願っている。こうした選手たちの活躍の後に、世界一マナーのいい
日本人サポーターたちが、破目を外したくなるのは理解できる。しかし、日本に
はそうした時に皆が集まって、節度ある喜びを分かち合える場所がない、これは
寂しい気がする。だからと言って、スクランブル交差点で・・・・が許されるはずは
ない。外国には必ず『○○広場』があり、こうした時に集まり祝福をしたり、唄を歌
ったりする。日本のサッカーファンがもっと成熟すれば、逆にスクランブル交差
点をファンのために解放するくらいのことを考えて欲しいものだ。日本人とフー
リガンは似つかない。
祝福する夜に『何のためにやっている?』と聞きたくなるような行為で、あの勝
利に水を差さないようにして欲しい。