ベトコンはゲリラ兵士でありながら軍隊の実態は見えないから子供、老人、女性、だれでも兵士であり只の農民なの
だ。対する米軍は戦闘機、爆撃機、戦車、近代兵器何でもあれの装備を使って戦うが劣戦続きは最後まで挽回で
きなかった。私の思う事、ベトコンには自分たちの土地、地域、国を取り戻したい、守りたいと言う強い意志があるの
に、若い米兵たちには祖国から遠く離れた国に来て闘う意義を見い出せない、しかも北ベトナム軍ならまだしも、ジ
ャングルの中で女子供、年寄りを相手に戦うという事に対して。トンネル群の近くにはB52大型爆撃機が落とした爆
弾跡があり、今でも直径10mくらいの穴が開いており水溜りになっていた。
米軍は雨あられのように砲弾を撃ち込む、ベトコンは空薬きょうを拾い加工して自分たちの道具や兵器を作ったりし
ていた。タイヤはスリッパの材料に、ヘリなどの軽合金も加工して日常品にするから、米軍の攻撃は相手に塩を送る
ようなことにもなっていた。多くの人がトンネル内で生活するために必要な設備は全て整えられており、手術のできる
病院には自作のメスを始めとする医療器具まであった。そうした施設があることを地上から分からないようにするため
の工夫も必要で、台所から出る煙はアリ塚のようなもので煙突をカモフラージュしている。
このジャングルの下には司令部、病院、加工工場、ベトコンの暮らしがありながら、上空やジャングルの隙間から、それ
を垣間見ることは出来ないようになっている。ベトコンに破壊された戦車が展示されていた。US ARMYと書かれたもの
の前でアメリカ人と思われる観光客が記念撮影をしていたが、どのような心境だったのだろうか。施設として珍しいの
はジャングルを案内されていると突然、銃声が聞こえてくる。演出のために銃声を流しているのかと思えば、銃の体験
ができる施設から聞こえる本物の銃声だ。其処では短銃から機関銃のような連射できる銃まであり、値段によって選
べる銃が異なる。
私は昔のことだが猟銃を扱っていたので、お金まで払って銃を撃つことはないから素通りした。
トンネルの中を体験できると言うから先導の案内人について入ってみることにした。私の細い体がやっと入る幅の穴
に入る、1m位下に横穴がありそこから真っ暗な所を手探りで前に進むが、灯りはないから頭を打ったり顔をぶつけた
りしながら上がったり下がったりする。
時々、横穴がありベトコンはここに侵入してくる米兵を待ち受け、そこから攻撃する。身体の大きい米兵は殆ど身動き
できない状態でここまで侵入して、攻撃があればなす術はなく果てる。
多分、10mくらいの距離だったが10分近くの悪戦苦闘で出口についた。案内人は私を残しさっさと出てしまっていた。
アメリカが近代兵器を操出し戦った相手は超ローテクで翻弄してしまったから、叶わず絨毯爆撃だの枯葉剤によるジ
ェノサイドに走らせたものの、最後は自分たちの土地を守り通そうとする意志の強さが勝利を呼ぶことになった。
台所
司令部
地下病院
米軍の砲弾を再利用する様子
1970年、遅延型地雷で破壊された米軍戦車