ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

41 大海人皇子の「錦の御旗」はスサノオ

2009-05-09 10:51:25 | 歴史小説
伊勢神宮外宮(豊受大神宮:ウィキペディアより)


●マル 21:55
反乱を起こした大海人皇子の軍の「錦の御旗」が、アマテラスではなくスサノオであった証拠はあるの?

●ボク 21:57
中心となった尾張氏は、スサノオが奪ったヤマタノオロチの剣を神体として熱田神宮に祀っています。さらに、その一族の海部氏は津島神社で天王・スサノオと大国主を祭神としています。

●ヒナ 21:59
岐阜県加茂郡七宗町にある神渕(かぶち)神社の社記によると、壬申の乱の時、大海人皇子がヤマタノオロチを退治した十拳剣を祀って戦勝祈願を行った、と伝えられています。
これらの状況証拠と合わせると、大海人皇子はスサノオに戦勝を祈願し、全軍を掌握した可能性は高いと思います。

●マル 22:02
しかし、一刻を争う戦いの最中に、わざわざ神渕神社に出かけて戦勝祈願を行う余裕があったかしら?

●ボク 22:03
大海人皇子が陣を置いた関ヶ原から、神渕神社までざっと60kmです。馬で走れば、容易に往復できる距離です。6月27~29日の3日間、大海人皇子は関ヶ原で軍の集結を図って待っていますから、行けないことはないと思います。

●マル 22:05
しかし、ボクのメモだと大海人皇子は6月26日には天照大御神を遙拝しているわよね。

●ヒナ 22:06
日本書紀の記載ではそうなっていますが、伊勢神宮の内宮に祀られた天照大御神を遙拝したのではなく、この地の支配者であった渡会氏の神、伊勢神宮の外宮に祀られた豊宇気毘売(トヨウケヒメ)神を遙拝したのではないか、という説もあります。

●マル 22:09
トヨウケヒメ神って、どういう神なの?

●ヒナ 22:10
古事記では、イザナミの尿から生まれたワクムスビ(和久産巣日神、稚産霊)の子となっています。
外宮の神職の度会氏は、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であり、外宮は内宮よりも立場が上であるとしています。

●マル 22:13
大海人皇子は、最初に合流した伊勢国の軍に敬意を表して、その氏神を遙拝して戦勝を祈願した、というのね。

●カントク 22:15
もっと奇妙な事があるぞ。
もし「皇国の本主」がアマテラスなら、大海人皇子は反乱の大義名分として、祖先・天照大御神の祭りを盛大に行い、自分こそがその神意を受け継ぐ正統な後継者である、と宣言したはずじゃ。
伊勢神宮に王子の一人を派遣してご託宣を受け、関ヶ原に持ち帰って戦勝祈願の祭を行い、全軍の指揮を高めたに違いない。

●ホビット 22:20
大海人皇子は、「皇国の本主」は天王・スサノオであり、自分はそれを継承する「本主」である、と認識していたからこそ、神渕神社でスサノオに戦勝祈願を行ったのではないでしょうか。

●カントク 22:22
崇神天皇は人民の半数が亡くなるという神の祟りを受け、宮殿からアマテラスの鏡とスサノオの剣、大物主の御霊を出しておる。直系の子孫でもないものが、祖先の祭りを行うと祟られる、と考えられていたんじゃ。
アマテラスの鏡とスサノオの剣は各地を転々としたあと伊勢神宮に祭られるておるが、明治まで、天皇は参拝しておらぬ。祖先の祭りを行っていない。
天皇家がアマテラスの子孫であるというのがそもそも怪しい。さらに、大海人皇子も嵯峨天皇も「皇国の本主」が天照大御神であるとは考えていなかった、ということは明らかじゃ。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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