ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

46 スサノオ・大国主ネットワークの勝利

2009-05-30 18:49:03 | 歴史小説
出雲大社の東西の一九社(神在祭に、全国各地から集った神々の宿所)


●ボク 21:19
出雲系の神社というのは、当時、そんなに強力なネットワークを持っていたんですかね?

●ヒナ 21:20
仏教や新興宗教などの絆より強かったと思いますよ。
氏族社会の時代は、先祖を同じくするという血縁意識で人々は結びついていたわけですから、祖先霊を祀る宗教心は強かったと思います。

●マル 21:23
各地で仕事をしていると、いたるところで熊野神社や八坂神社、氷川神社、津島神社、大歳神社、三輪神社、金比羅神社(宮)、稲荷神社、日吉神社、賀茂神社などに出会うけど、スサノオかその子、孫を主祭神としているね。

●カントク 21:26
大国主を併せて祀っている神社も多いよ。

●ボク 21:27
しかし、神社は仏教寺院ができてから作られるようになった、という建築史専門家の説もあります。神話時代にまでは遡りますかね?

●ヒナ 21:28
記紀は、大国主は「天の御舎:古事記」「天日隅宮:日本書紀」に祀られたとはっきりと記していますよ。

●ボク 21:30
梅原猛氏は、出雲大社は壬申の乱後の元正天皇の頃に造られた、という説ですよ。

●ヒナ 21:31
それは出雲臣が、元正天皇の前で「神賀事(かむよごと)」を奏したことを伝えた続日本書紀の解釈の誤りと思います。出雲臣は、祖先の天穂日が熊野神社の地から、今の出雲大社の地へ祖先の祭りを移したと言っているのであって、自分が移した、とは言ってません。

●マル 21:34
ヒナちゃんは、神主の娘だけあって、神社にはこだわるよね。
ところで、ボクちゃん。梅原猛先生は、「私の旧説を厳しく批判し、出雲王国は実在したと主張する本を書かねばならない」とおっしゃっているわよ。いずれ『神々の流竄(るざん)』を批判する本を出されるのじゃあないかしら。

●カントク 21:37 
古事記をみると、神社には2つの系統があるように思うんじゃ。
1つは、大国主の「天の御舎」「天日隅(ひすみ=霊住み)宮」じゃ。出雲大社をみればわかるが、正面に「別天つ神5柱」を祀り、その右手奥に大国主が住んでいた、王の宮殿そのものを神社としたものじゃ。
もう1つは、「御諸山(みもろやま=三輪山)の上に坐す神」など、神那霊山の山上の磐座(いわくら)に天上から降りてくる霊を、麓の拝殿で祀る神社じゃ。

●マル 21:42 
宮殿型と磐座拝殿型、と整理すればいいかしら。

●カントク 21:43 
うまいのう。整理の仕方はさすがじゃな。
磐座拝殿型が古くて、「○○宮」型は新しいのじゃあなかろうか。

●ヒナ 21:45
日本書紀では「天日隅宮」と「石上神宮」、「伊勢神宮」だけが「宮」となっていますよね。

●カントク 21:46
スサノオの時代は磐座拝殿型、大国主以降に宮殿型になったと考えられる。

●ボク 21:47
古事記では、「天神地神の社を定めた」とでてくるのは崇神天皇からですよね。

●ヒナ 21:48
その前に「御諸山の大美和大神の前を拝し祭りたまい」と書かれているように、最初は、拝殿はなくて、祭を行う神籬(ひもろぎ:神域)があったのだと思います。

●カントク 21:50
梅原猛氏の「怨霊史観」に対して、日向勤氏は「霊(ひ)信仰史観」を提唱しており、「ひもろぎ」は「霊(ひ)洩ろ木」説で、神が降臨する榊などの常緑樹や御柱が立てられていた、としておる。

●ヒメ 21:52 
スサノオや大国主の神社ネットワークがあり、毎年、神在月に出雲に集まり、「縁結び」で諸国の王達が婚姻関係を結んでいたとすると、何かことがあると、素早く連携が取れるわよね。

●マル 21:54 
壬申の乱の大海人皇子軍の結集は、まさにそうよね。大和・伊勢・美濃・尾張・三河・甲斐・信濃などの兵を集め、近江朝廷軍の背後の丹後や播磨、吉備、筑紫などの支持も取り付け、大海人皇子がわずか1カ月で勝利したというのは、あらかじめネットワークがないと無理よね。

●ヒメ 21:57
信長から壬申の乱へと、かなり回り道したけど、元にもどりましょうか。カントク、熱田神宮か伊勢神宮から始めます?

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)


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