九州最高峰の九重連山(ウィキペディアより)
●ヒメ 9月26日(金) 19:00
今晩わ。「壬申の乱殺人事件」、やっと刷り上がりました。みなさん、ありがとうございました。近々、出版社から本を送らせていただきます。
●カントク 19:02
じゃあ、次回は卑弥呼でパーティとしよう。
●ボク 19:03
ヒメ様の「ありがとうございました」は気になりますね。ひょっとして、「卑弥呼殺人事件」の時のように、私をマザコンキャラで登場させてません?
●ヒメ 19:05
当然ですよ。皆さん、大活躍です。
●ボク 19:06
また「振られ役」じゃあないでしょうね?
●ヒメ 19:07
今回は、ヒナちゃんも登場するから、期待していてね。
●長老 19:08
「半径1.5m」のモデルは止めてくれいない。キャラ設定はもっと工夫して欲しいなあ。
●ヒメ 19:09
創造性は殺人事件の謎解きと歴史謎解きで十分。キャラには凝らないのよ。
●カントク 19:10
まあまあまあ。作品は内容が勝負じゃ。我が故郷、筑紫の話に戻そうぞ。
●マル 19:11
スサノオ・アマテラスの生誕の地の「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は宮崎か甘木か、から徹底的にやりましょうよ。
●ボク 19:13
古事記では九州全土を指すときは「筑紫島」、現在の福岡県にあたる地域は「筑紫国」と使い分けています。「筑紫の岡田宮」のように「筑紫の○○」という時は、後の筑紫国の範囲を指していると思います。
●マル 19:16
そうすると、ニニギ命が天降ったという「筑紫の日向の高千穂のクジフル嶺」も同じように福岡県にあった、というの?
●ボク 19:18
その可能性は高いと思います。古田武彦氏は、「高千穂のクジフル嶺」は前原市(魏志倭人伝の伊都国)の「日向(ひなた)峠」近くの山としています。日向勤氏は、現在は大分県になりますが、筑後川上流の九州最高峰「久住山(九重山)」ではないか、「久住」の「フル嶺」、天から祖先の霊(ひ)が降る山、という説です。
●ホビット 19:22
「高千穂」はどう解釈するのでしょうか?
●ボク 19:23
いよいよ、登場ですね。両説とも、地名でなく、「高い山々」という形容詞とみています。
●ホビット 19:24
「日向」はどうなのですか?
●ボク 19:25
「日向」を「ひなた」と読むと、旧甘木市に「日向石」の地名があります。「ひな」と読むと、「蜷(ひな)城」という地名があり、神功皇后が「蜷城」と名付けた、という伝承が残されています。
宮崎の方は、日本書紀によれば、「ひむか」と読むのは、景行天皇が子湯県(現在の西都市)を訪れた時に、「この国は日の出づる方に向いているので、日向(ひむか)と名付けた」とされています。
●ヒナ 19:30
古事記の国生み神話では、筑紫嶋は「筑紫国(白日別)」「豊国(豊日別)」「肥国(建日向日豊久士比泥別)」「熊曾国(建日別)」の4つとされており、「建日向日豊久士比泥別」に「日向」として含まれていますから、起源は古い可能性もあります。
●カントク 19:33
もともと、宮崎・鹿児島は「日向」=「熊曾国」ではなかったかな?「建日向日豊久士比泥別」を「建日向・日豊久士比泥別」と区切るのではなく、「建日・向日・豊久士比泥別」と区切って読むと違ってこようぞ。
●ヒナ 19:36
確かに「白日」「豊日」「建日」の国名がありますから、「向日」の国名があってもいいですね。
●マル 19:37
さすが、柔らか頭のヒナちゃんだわ。そうすると宮崎を「日向(ひむか)」と名付けたのはずっと新しい。
●ボク 19:39
石頭のボクから言わせてもらえば、「肥国」は今の佐賀県・長崎県・熊本県ですよね。熊本県の球磨地方は「熊曾国(建日別)」に含まれていましたから、「建日」が「肥国(建日・向日・豊久士比泥別)」に含まれていることは説明できます。
●マル 19:42
「向日」はどうなの?
●ヒナ 19:43
今の佐賀県・長崎県が「向日」ではないでしょうか。お盆にお墓から祖先の「霊(ひ)」を提灯のろうそくに移し、仏壇に移して灯す、という儀式が現代まで続いているように、古代から「霊(ひ)」=「火」でした。さらに、記紀では、「神産巣日(かみむすひ)神」=「神皇産霊尊」と書かれていますから、霊=日でした。
阿蘇山の噴火を太陽が昇る方向に望む、熊本・長崎・佐賀が「向日」だったのではないでしょうか?
●マル 19:48
「豊久士比泥別」はどうなの?
●ヒナ 19:49
「豊」の「クジ日嶺」と考えられます。ニニギ命が天降りした場所を、古事記では「クジフル嶺」、日本書紀では「クシ日の高千穂の峯」としています。豊(福岡県西部、大分県)にある「クジ」¬=「クシ」の霊=日(ひ)が降る高い山という意味と思います。これは「久住」にある「高千穂」といえば久住山以外にないと思います。
●カントク 19:53
お見事。
「豊国」に属していた久住山は、霊の降り立つ最高峰であったが、「肥国」に属していたこともあり、筑後川の源流ということで「筑紫国」と見られていた可能性もあるということじゃな。
●マル 19:55
そうすると、宮崎を日向(ひむか=ひゅうが)というのは、ずっと後世の命名だよね。日向宮崎説は棄却されざるをえないね。
●ホビット 19:57
世界各地の例を見ても、地名や伝承は人々の移動とともに移っていきます。甘木の地名や伝承が、宮崎県の高千穂町や宮崎市に移っていった、という可能性は大いにあります。
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
,,,
●ヒメ 9月26日(金) 19:00
今晩わ。「壬申の乱殺人事件」、やっと刷り上がりました。みなさん、ありがとうございました。近々、出版社から本を送らせていただきます。
●カントク 19:02
じゃあ、次回は卑弥呼でパーティとしよう。
●ボク 19:03
ヒメ様の「ありがとうございました」は気になりますね。ひょっとして、「卑弥呼殺人事件」の時のように、私をマザコンキャラで登場させてません?
●ヒメ 19:05
当然ですよ。皆さん、大活躍です。
●ボク 19:06
また「振られ役」じゃあないでしょうね?
●ヒメ 19:07
今回は、ヒナちゃんも登場するから、期待していてね。
●長老 19:08
「半径1.5m」のモデルは止めてくれいない。キャラ設定はもっと工夫して欲しいなあ。
●ヒメ 19:09
創造性は殺人事件の謎解きと歴史謎解きで十分。キャラには凝らないのよ。
●カントク 19:10
まあまあまあ。作品は内容が勝負じゃ。我が故郷、筑紫の話に戻そうぞ。
●マル 19:11
スサノオ・アマテラスの生誕の地の「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は宮崎か甘木か、から徹底的にやりましょうよ。
●ボク 19:13
古事記では九州全土を指すときは「筑紫島」、現在の福岡県にあたる地域は「筑紫国」と使い分けています。「筑紫の岡田宮」のように「筑紫の○○」という時は、後の筑紫国の範囲を指していると思います。
●マル 19:16
そうすると、ニニギ命が天降ったという「筑紫の日向の高千穂のクジフル嶺」も同じように福岡県にあった、というの?
●ボク 19:18
その可能性は高いと思います。古田武彦氏は、「高千穂のクジフル嶺」は前原市(魏志倭人伝の伊都国)の「日向(ひなた)峠」近くの山としています。日向勤氏は、現在は大分県になりますが、筑後川上流の九州最高峰「久住山(九重山)」ではないか、「久住」の「フル嶺」、天から祖先の霊(ひ)が降る山、という説です。
●ホビット 19:22
「高千穂」はどう解釈するのでしょうか?
●ボク 19:23
いよいよ、登場ですね。両説とも、地名でなく、「高い山々」という形容詞とみています。
●ホビット 19:24
「日向」はどうなのですか?
●ボク 19:25
「日向」を「ひなた」と読むと、旧甘木市に「日向石」の地名があります。「ひな」と読むと、「蜷(ひな)城」という地名があり、神功皇后が「蜷城」と名付けた、という伝承が残されています。
宮崎の方は、日本書紀によれば、「ひむか」と読むのは、景行天皇が子湯県(現在の西都市)を訪れた時に、「この国は日の出づる方に向いているので、日向(ひむか)と名付けた」とされています。
●ヒナ 19:30
古事記の国生み神話では、筑紫嶋は「筑紫国(白日別)」「豊国(豊日別)」「肥国(建日向日豊久士比泥別)」「熊曾国(建日別)」の4つとされており、「建日向日豊久士比泥別」に「日向」として含まれていますから、起源は古い可能性もあります。
●カントク 19:33
もともと、宮崎・鹿児島は「日向」=「熊曾国」ではなかったかな?「建日向日豊久士比泥別」を「建日向・日豊久士比泥別」と区切るのではなく、「建日・向日・豊久士比泥別」と区切って読むと違ってこようぞ。
●ヒナ 19:36
確かに「白日」「豊日」「建日」の国名がありますから、「向日」の国名があってもいいですね。
●マル 19:37
さすが、柔らか頭のヒナちゃんだわ。そうすると宮崎を「日向(ひむか)」と名付けたのはずっと新しい。
●ボク 19:39
石頭のボクから言わせてもらえば、「肥国」は今の佐賀県・長崎県・熊本県ですよね。熊本県の球磨地方は「熊曾国(建日別)」に含まれていましたから、「建日」が「肥国(建日・向日・豊久士比泥別)」に含まれていることは説明できます。
●マル 19:42
「向日」はどうなの?
●ヒナ 19:43
今の佐賀県・長崎県が「向日」ではないでしょうか。お盆にお墓から祖先の「霊(ひ)」を提灯のろうそくに移し、仏壇に移して灯す、という儀式が現代まで続いているように、古代から「霊(ひ)」=「火」でした。さらに、記紀では、「神産巣日(かみむすひ)神」=「神皇産霊尊」と書かれていますから、霊=日でした。
阿蘇山の噴火を太陽が昇る方向に望む、熊本・長崎・佐賀が「向日」だったのではないでしょうか?
●マル 19:48
「豊久士比泥別」はどうなの?
●ヒナ 19:49
「豊」の「クジ日嶺」と考えられます。ニニギ命が天降りした場所を、古事記では「クジフル嶺」、日本書紀では「クシ日の高千穂の峯」としています。豊(福岡県西部、大分県)にある「クジ」¬=「クシ」の霊=日(ひ)が降る高い山という意味と思います。これは「久住」にある「高千穂」といえば久住山以外にないと思います。
●カントク 19:53
お見事。
「豊国」に属していた久住山は、霊の降り立つ最高峰であったが、「肥国」に属していたこともあり、筑後川の源流ということで「筑紫国」と見られていた可能性もあるということじゃな。
●マル 19:55
そうすると、宮崎を日向(ひむか=ひゅうが)というのは、ずっと後世の命名だよね。日向宮崎説は棄却されざるをえないね。
●ホビット 19:57
世界各地の例を見ても、地名や伝承は人々の移動とともに移っていきます。甘木の地名や伝承が、宮崎県の高千穂町や宮崎市に移っていった、という可能性は大いにあります。
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
,,,