ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団75 「一ツ山」「三ツ山」は「舁(か)き山」「曳き山」のルーツ?

2009-11-20 22:30:18 | 歴史小説
御旅山山頂へと登っていく『灘のけんか祭り』の屋台(ウィキペディアより)


長老運転の車で姫路城前の地下駐車場を出ると、待ちかまえていたようにカントクが口火を切った。
「このような置き山祭りは姫路と岐阜、角館にしかないんだな。なぜ、全国各地の祭りでは、置き山ではなく、担ぎ山や曳き山に代わったのかな?」 
祭りマニアのカントクならではの着眼である。
「それこそ、『ずぼら文明進化説』で説明できるんじゃない。大きくて重い『置き山』から、小さくて軽くて持ち運びに便利な『担ぎ山』や『曳き山』に変えて、氏子の家の前まで神々を担いで出前したのじゃあないかしら」
マルちゃんは、しっかりカントクの揚げ足をとっている。
「それは違うんじゃない?」
地元代表として、ヒメがいつもになく真面目である。
「播磨総社の大国主の霊はここにいて動かず、全国の神々を『置き山』に呼び寄せたのだから、山が動いては困るのよ。」
「そう言われると、思い当たることがあるわ。私の実家の大宮の氷川神社では、神輿は境内を出ないのよね。祭神のスサノオや大国主は、神々を迎える側なので動かない、ということなのかしら」
マルちゃんは、今回は真面目に返球した。
「しかし、播磨総社では、置き山とは別に、毎年、神輿が巡幸しているんじゃない?」
カントクが面白い点を突いてきた。
「確かに、毎年11月の霜月大祭では、神輿は氏子町内を廻っているわよね」
ヒメの話だと、マルちゃんの神様の出前説になるではないか。
「しかし、近くの白浜の松原八幡神社の『灘のけんか祭り』は違うのよね。旧村の屋台がまず宮入し、神社の神様は3つの神輿に乗り、旧村の屋台と一緒に、近くの小高い御旅山の山頂の御旅所に登るのよね。山頂で神事が行われ、神輿と屋台は夕方に山を降りて帰るのよね。」
「その神輿と屋台って同じようなものなの?屋台って、車に載せた山車(だし)だと思っていたけど」
ちょうど、高木もマルちゃんと同じ質問をしたいと思っていたところであった。
「こちらでは、神輿も屋台も担ぐよね。太鼓とか、ふとん太鼓、ヤッサというところもあるわよ。カントクのところはどうなの?」 
「博多では舁(かき)山笠といって、舁(か)くね。やはり『山』と言うんだな。」
「『舁く』か『曳く』かより、山の役割の違いが気になるなあ。総社のような各地の神霊を迎える置き山と、神社の祭神が境内を巡幸する神輿、神社の祭神が氏子町内を巡幸する神輿、氏子が各村の神を神社に宮入させる神輿、神社から御旅山に神を運ぶ神輿、ざっと5種類もある。どう、整理できるかな?」 
指を折って数えながら、長老は問いを投げかけた。その口調は、またまた、みんなを生徒扱いである。
「動かない山と、動く山の違いが大きいんじゃない。各地の神々を呼び寄せる『置き山』と、神社に祀っている神霊を、いったん『舁き山』に移し、近くの山に担ぎ出して天に里帰りさせてパワーアップさせ、神霊がリフレッシュしたところで再び『山』に乗せて神社に帰る神輿、この違いが大きいんじゃない?」 
いつもながら、ヒメの推理は冴えている。
「置き山は神々の霊を天から招く依り代で、『舁(か)き山』や『曳き山』は神霊を神社から乗せ、旅立ちの場所である山や海岸に運ぶ乗り物、というわけじゃな」 カントクはいつもヒメへのフォローは素早い。
「神というのは、古代人にとっては霊(ひ)=祖先霊で、比婆(霊場)山などの神那霊山の頂きに降りてくるものでした。それを模して、『青葉山』や『一ツ山』などの置き山ができたと思います。
さらに、神那霊山に降りた霊を神社に移し、身近で日常的に祀る時代になって、年に1回、その霊を元の神那霊山、御旅山の上に運んで、天に里帰りさせて霊力を高める、という祭礼が生まれたのではないでしょうか?」 
優等生のヒナちゃんが早速、答える。
「毎年、神輿を御旅山に運ぶ祭りと、町内を練り歩く祭りとの関係はどうなの?」 
マルちゃんは当然の疑問をぶつけてきた。
「霜月というのは神在月―神無月ですから、全国の大国主やスサノオの子孫が出雲に集まるように、各地の大国主やスサノオの子孫が祭る神社では、神在月に神々を御旅山から出雲に送る、という祭礼に変わったところもあるのではないかと思います。町内を練り歩くのは、町内の小さな神社や家々に分かれて祀られているそれぞれのご先祖の神々をお宮に運んだり、パワーアップして出雲から帰ってきた霊をそれぞれの場所で迎える、という役割もあったのではないでしょうか?」 
ヒナちゃんはすっかり、皆のペースにはまってきてしまった。高木はヒナちゃんを「通説派」の仲間としてメンバーに誘ったつもりなのに、すっかり当てが外れてしまった。ちょっとこのあたりで牽制しておかなければ。
「白浜の松原八幡神社の祭神は誰ですか?」
「応神天皇と神功皇后、比(ひめ)大神だから、豊前の宇佐神宮と同じよね」 ヒメが答えた。
「応神天皇と神功皇后の時代と言うと、スサノオや大国主の時代とは、神社の創設はずっと後の時代になりますよね」 高木は少し反撃しておくことにした。
「比(ひめ)大神は、宗像大社に祀られているのと同じ比三神で、多紀理(たきり)毘売命、市寸島(いちきしま)比売命、多岐都(たきつ)比売命のことです。この3女神はスサノオの子とされ、そのうちの多紀理毘売は大国主の妻とされています。播磨はスサノオやその子の五十猛命と関係が深く、播磨国風土記によれば、大国主の妻の奥津島比売命こと多紀理毘売は、この地で阿治志貴高日子根神を産んだとされています。従って、この地では古くから比大神が祀られていて、後世に応神天皇と神功皇后が追加して祀られるようになった可能性があります」
ヒナちゃんは神社にはやたら詳しい、やぶ蛇であった。
「ボクちゃんの故郷の大和では、大物主と大国主、少彦名が三輪山の山頂の沖津磐座から順に、中津磐座、辺津磐座に祀られておる。これは、宗像3女神を祀る沖津宮、中津宮、辺津宮と同じ名称じゃ。スサノオの子の大物主=大年神と3女神に対して、同じ沖津、中津、辺津の名称が使われていることは、偶然とは言えないのじゃあないかな」
博多っ子のカントクが痛いところを突いてきた。
「古事記で『大神』というと、神話時代の出雲の神々の名前よね。『命』名の応神天皇や神功皇后の方が、後で祀られた可能性が高いことになるんじゃない?宇佐神宮で中央に比売大神が祀られ、左右に応神天皇と神功皇后が祀られていることから見ても、比売大神がメインの神ってことになるから、白浜の松原八幡神社の起源は古いと思うよ」
マルちゃんまで加わって多勢に無勢、高木は返す術もなく、完全に滑ってしまった。
「こちらに来て初めてわかったよ。すごいね、播磨は。『山』のルーツとも言える置き山があって、御旅山に担ぎ昇る『舁き山』もある。実に面白い」 一ツ山と三ツ山の模型を見てから、カントクのテンションはずっと上がりっぱなしである。
「播磨に曳き山、だんじりはないの?」
「ちょっと待って下さい。インターネットで調べてみます」
こういう時は、高木の出番である。
「ありました。姫路沖の家島に檀尻船があります。この家島神社では、大国主と少彦名、天満大神(菅原道真)を祀っています。それと、面白いのは丹波篠山の波々伯部神社(ほうかべじんじゃ)の檀尻山(だんじりやま)です。竹で山を作っていますから、総社の置き山と構造が同じです。スサノオを祀り、広峯神社から遷座したと言われています」
「姫路市は『置き山・舁き山・曳き山博物館』を作るべきじゃない?ヒメ、市長に言って見てよ」
マルちゃんは、いつもながらまちおこしコンサルらしい提案である。確かに、総社御門の資料室はレベルアップすべきで、高木も同感であった。財団から、姫路市に提案してもいいかもしれない。

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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