謡曲「高砂」で有名な高砂神社の高砂の松
「話は変わるけど、なぜ謡曲の『高砂』が結婚式で歌われるようになったのかしら? 前から気になっていたのよね」
どうやら、ヒメの次のミステリーの中では、結婚式で『高砂』が歌われる場面が出てきそうである。
「そういえば、ブライダル都市・高砂という看板がでていたわね」
マルちゃんはコンサルだけあって、街の観察が鋭い。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに、出で汐の、 波の淡路の島影や遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり」
カントクが渋い声で謡い、一同は不思議な顔で聞き入った。
「カントクって、いったい何歳なの?」
ヒメの質問は当然だ。
「おいおい、年寄り扱いしないでほしいね。僕はウエディング・マーチ世代だからね。このブライダルソングは戦前の世代でないと無理だよ。僕が覚えたのは、昔の結婚式場面の映画を撮った時に、ついでに覚えたんだ」
「それって、どういうストーリーなの?」
「九州の阿蘇宮の神主・友成が、旅の途中に有名な高砂の『尾上の松』を見ようと立ち寄った。すると、老夫婦が掃除していたので、彼らに『尾上の松と住吉の松は遠く離れているのに、どうして、相生の松というのか』と尋ねた。尉は、夫婦は遠く離れていても、心が通じ合うから相生の松と呼ばれていると説明した。友成が、あなた方は、どちらの方々であるかと問うと、老夫婦は、実は、相生の松の精だと明かし、住吉で待つと言い残し、小船に乗って沖に消えていった。友成は “高砂や この浦舟に 帆を上げて” と謳いながら住吉に向かい、住吉神社に着くと、住吉明神が現われ、神舞を舞って千秋万歳を祝った、というようなストーリーです」
高木はスマートフォンでホームページを検索した結果をそのまま紹介した。
「これって、いつ頃に誰が作ったの?」
マルちゃんは、何時、どこ、誰など、5W1Hにうるさい。
「謡曲『高砂』は世阿弥の作ですから、足利義満の頃です」
高木のマルちゃん対策は万全だ。
「世阿弥って、高砂とゆかりがあるの?」
ヒメの独特の変化球や暴投には、いつもウロウロさせられる。高木はあわててホームページを調べた。
「父の観阿弥は大和や京都で活躍していますから、この地とは関係ありません。ただ、母親が播磨国揖保庄生まれという説が有力ですから、この地にも関係が深かったと思います」
「石の宝殿のある伊保山は揖保と同じ名前ですし、揖保川流域には大国主伝承が色濃く残っています」
ヒナちゃんが補足してくれた。
「ということは、世阿弥は高砂や住吉で、相生の松を実際に見て、神主などの話を聞いて謡曲『高砂』を作った可能性が高い、ということになるわね」
ヒメは作家独特の見解を持っている。確かに、作家といえども、実際に調査しないで架空の物語を書くことは難しいことはよくわかる。
「阿蘇宮=阿蘇神社の神主・友成が、高砂神社と住吉神社を訪ねる、というのはスケールが大きいなあ。阿蘇神社も住吉神社も神主は古代から現代まで延々と続いているからなあ」
いつもは慎重な長老が神社話に乗ってきた。
「世阿弥はこの地で、別々に暮らしながら、年老いても愛し合う高砂の男と住吉の女の物語を聞いて、謡曲『高砂』を書き上げた、ということになるわね。その男と女って、いったい誰かしら」
どうやら、ヒメの次の小説では、謡曲『高砂』にちなんだ男女が登場しそうである。
「ホームページを見ていると、イザナギ・イザナミとしている説がありますね」
高木はとりあえず、情報として伝えておくことにした。
「それは無理。イザナギ・イザナミの神話は出雲の揖屋(いや)、スサノオを祀る熊野大社の前を流れる意宇川の河口部あたりの物語じゃあない。播磨と摂津にゆかりはないね」
マルちゃんは出雲の仕事が多いので詳しい。
「伊邪那岐・伊邪那美を『邪馬台国(やまたいこく)』読みすると、イザナギ・イザナギではなく、イヤナギ・イヤナミですから、揖屋(いや)に住んでいた男女の可能性が高いと思います。前に私たちが検討しましたよね」
ヒナちゃんが念押しした。
「住吉大社って、誰を祀っていたのかしら?」
ヒメの質問は終わらない。
「祭神は、第1本宮が底筒男命、第2本宮が中筒男命、第3本宮が上筒男命、第4本宮が息長足姫命 (神功皇后)です。この底筒男命・中筒男命・上筒男命は、イザナギの体に付いた黄泉の国の汚れた垢を洗い流した時に生まれたとされています。神社創建した神主の津守氏は天火明命の子孫とされています」
高木は基本的なデータだけを述べることに徹することにした。
※ 本ブログ中の文章や図、筆者撮影の写真は、ご自由にお使い下さい(ただし、出典を記載して下さい)。リンクもご自由に。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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「話は変わるけど、なぜ謡曲の『高砂』が結婚式で歌われるようになったのかしら? 前から気になっていたのよね」
どうやら、ヒメの次のミステリーの中では、結婚式で『高砂』が歌われる場面が出てきそうである。
「そういえば、ブライダル都市・高砂という看板がでていたわね」
マルちゃんはコンサルだけあって、街の観察が鋭い。
「高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに、出で汐の、 波の淡路の島影や遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり」
カントクが渋い声で謡い、一同は不思議な顔で聞き入った。
「カントクって、いったい何歳なの?」
ヒメの質問は当然だ。
「おいおい、年寄り扱いしないでほしいね。僕はウエディング・マーチ世代だからね。このブライダルソングは戦前の世代でないと無理だよ。僕が覚えたのは、昔の結婚式場面の映画を撮った時に、ついでに覚えたんだ」
「それって、どういうストーリーなの?」
「九州の阿蘇宮の神主・友成が、旅の途中に有名な高砂の『尾上の松』を見ようと立ち寄った。すると、老夫婦が掃除していたので、彼らに『尾上の松と住吉の松は遠く離れているのに、どうして、相生の松というのか』と尋ねた。尉は、夫婦は遠く離れていても、心が通じ合うから相生の松と呼ばれていると説明した。友成が、あなた方は、どちらの方々であるかと問うと、老夫婦は、実は、相生の松の精だと明かし、住吉で待つと言い残し、小船に乗って沖に消えていった。友成は “高砂や この浦舟に 帆を上げて” と謳いながら住吉に向かい、住吉神社に着くと、住吉明神が現われ、神舞を舞って千秋万歳を祝った、というようなストーリーです」
高木はスマートフォンでホームページを検索した結果をそのまま紹介した。
「これって、いつ頃に誰が作ったの?」
マルちゃんは、何時、どこ、誰など、5W1Hにうるさい。
「謡曲『高砂』は世阿弥の作ですから、足利義満の頃です」
高木のマルちゃん対策は万全だ。
「世阿弥って、高砂とゆかりがあるの?」
ヒメの独特の変化球や暴投には、いつもウロウロさせられる。高木はあわててホームページを調べた。
「父の観阿弥は大和や京都で活躍していますから、この地とは関係ありません。ただ、母親が播磨国揖保庄生まれという説が有力ですから、この地にも関係が深かったと思います」
「石の宝殿のある伊保山は揖保と同じ名前ですし、揖保川流域には大国主伝承が色濃く残っています」
ヒナちゃんが補足してくれた。
「ということは、世阿弥は高砂や住吉で、相生の松を実際に見て、神主などの話を聞いて謡曲『高砂』を作った可能性が高い、ということになるわね」
ヒメは作家独特の見解を持っている。確かに、作家といえども、実際に調査しないで架空の物語を書くことは難しいことはよくわかる。
「阿蘇宮=阿蘇神社の神主・友成が、高砂神社と住吉神社を訪ねる、というのはスケールが大きいなあ。阿蘇神社も住吉神社も神主は古代から現代まで延々と続いているからなあ」
いつもは慎重な長老が神社話に乗ってきた。
「世阿弥はこの地で、別々に暮らしながら、年老いても愛し合う高砂の男と住吉の女の物語を聞いて、謡曲『高砂』を書き上げた、ということになるわね。その男と女って、いったい誰かしら」
どうやら、ヒメの次の小説では、謡曲『高砂』にちなんだ男女が登場しそうである。
「ホームページを見ていると、イザナギ・イザナミとしている説がありますね」
高木はとりあえず、情報として伝えておくことにした。
「それは無理。イザナギ・イザナミの神話は出雲の揖屋(いや)、スサノオを祀る熊野大社の前を流れる意宇川の河口部あたりの物語じゃあない。播磨と摂津にゆかりはないね」
マルちゃんは出雲の仕事が多いので詳しい。
「伊邪那岐・伊邪那美を『邪馬台国(やまたいこく)』読みすると、イザナギ・イザナギではなく、イヤナギ・イヤナミですから、揖屋(いや)に住んでいた男女の可能性が高いと思います。前に私たちが検討しましたよね」
ヒナちゃんが念押しした。
「住吉大社って、誰を祀っていたのかしら?」
ヒメの質問は終わらない。
「祭神は、第1本宮が底筒男命、第2本宮が中筒男命、第3本宮が上筒男命、第4本宮が息長足姫命 (神功皇后)です。この底筒男命・中筒男命・上筒男命は、イザナギの体に付いた黄泉の国の汚れた垢を洗い流した時に生まれたとされています。神社創建した神主の津守氏は天火明命の子孫とされています」
高木は基本的なデータだけを述べることに徹することにした。
※ 本ブログ中の文章や図、筆者撮影の写真は、ご自由にお使い下さい(ただし、出典を記載して下さい)。リンクもご自由に。
資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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幾多の伝染病を潜り抜けて来た~生き残り。
因幡の白兎伝説→疱瘡・麻疹?の治療方法。
アシハラのシコツオ→天然痘の傷痕。
コノハナサクヤ姫は美人。石長姫は不細工(疱瘡の跡??)
だから、播磨系列は伝染病に強い??魔除け・護符。
結局、コノハナサクヤ姫しか貰わなかったから~藤原4兄弟は天然痘で全員死亡。
天皇家の寿命が半分に成った(確率的に50%の死亡率)
美人薄命。
昔から、お寺の僧侶は長生きだった~それが原因か?