ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

50 イヤナギとイヤナミの天降り

2009-06-28 00:32:12 | 歴史小説
出雲大社(ウィキペディアより)

●ヒナ 19:59
イヤナギ(伊邪那岐)神とイヤナミ(伊邪那美)神は、「オノゴロ島」に天降り、天の御柱と八尋殿を見立て、御柱の回って出会い、多くの国を生んだとされています。

●ヒメ 20:01
「天離(あまざか)る鄙」「鄙離(ひなざか)る越」などと歌われているけど、「鄙」にかかる枕言葉の「天離る」と、この「天降り」との関係はどうなのかしら?

●ヒナ 20:03
「降る、下る(くだる、さがる)」も「離る(ざかる、さかる)」も同じ意味と思います。「くだる」=「さがる」=「さかる」=「ざかる」です。

●ヒメ 20:05
そうすると、日本海を「天」=「津島」から「天下る=天離る」と「鄙」に着き、さらに「鄙」から「鄙離る」と「越」(福井~新潟)に着くことになるわね。「鄙(ひな)」=出雲に決まりだわ。

●ボク 20:08
古田武彦氏がそのような説を述べています。古田氏の邪馬台国九州説は学会からは異端視されていますけどね。

●ヒナ 20:10
大国主が出雲から倭国に上る時に、妻の須勢理毘売(すせりひめ)が嫉妬して歌った歌に次のような一節がありますよ。
「吾が大国主、汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の埼埼 かき廻る 磯の埼落ちず 若草の 妻持たせらめ」
出雲から夫の大国主は「島の埼埼 磯の埼」の若い妻を打ち廻って、倭国に行ったというのです。この倭国へは海路を通って上って出雲から筑紫の倭国に行ったことになります。「上り」「下り」は対馬海流の上り、下りを示していますね。

●ボク 20:17
ほとんどの学者は、「天降り」を天上の国から地上の国への降臨ととらえて、8世紀に作られた架空の物語と見ていますよ。大多数の歴史学者が間違っている、といえるのでしょうか?

●ヒメ 20:19
「天上の国なんてないんだから、空想的な架空の物語である」というのは、論理になっていないんじゃあないの。
例えば、「天国なんてないんだから、キリストは空想上の人物である」というのと同じ論理になるわよね。そんなのは、世界では非常識でしょう?

●カントク 20:23
「地上の天津や天下りの物語をもとに、8世紀に天上の国が創作された」という仮説を本気で検証した歴史学者はほとんどいないんじゃないの。「韓国やギリシアの神話をもとに、天津や天下りの物語が創作された」という証明に明け暮れておる。

●ホビット 20:26
不思議ですよね。貴重な国費を浪費して、歴史学者の皆さんはそんな奇妙キテレツなことをやっているんですか。僕なんか、素直に「神話は歴史的事実を反映して作られている」と考えますよ。

●ヒナ 20:29
A仮説が定説であるというなら、A仮説、B仮説、C仮説・・・を全部検証して、A仮説が成立、他は棄却、という証明が必要だよね。

●カントク 20:31
古事記では大国主は180人(日本書紀では181人)の子をもうけたとされておる。「島の埼埼 磯の埼」の各国の若妻と2人の子をもうけたとすると、90国を支配していたことになる。魏志倭人伝で「旧百余国」を男王が「7~80年」支配していたというのと、ほぼピッタリと合うんじゃ。

●ボク 20:35
「天津」が「津島=対馬」である、ということはわかりましたけど、「天」=「対馬」ですか、それとも、もっと広い範囲ですか?

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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1 コメント

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須賀臣の伝言 (大刀両断)
2012-04-16 20:57:14
 五摂家が天皇と出雲の結びつきを弱めようとした、痕跡があって、和歌の枕詞「天離(あまざか)る」とくれば鄙が現れる。鄙とは都より複雑な都市構造をイメージする漢字であるのにもかかわらず、「田舎」を意味すると伝えられている。はたしてそうなのか?私の説によると、古代出雲王朝が想定される、現在の島根県安来市あたりのことをいっているのではないか?ここは島根県の東端に位置するが、鳥取県側で隣接する地帯が、日南だとか日野だとかとして、安来にあたかも日国なるものがあった雰囲気を漂わせる。日之国が日を根本とする日本という名に変わったのではとも幻想を抱く。
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