●ヒメ 080911 8:03
今、新幹線で西へ向かっています。昨日の続きで、剣の動きを追ってみたいなあ。ボクちゃん、もし電車の中なら、気分転換にちょっと、説明してよ。
●ボク 080911 8:06
カントクお得意のトンデモ説が登場してきましたね。そのうちに、論争しましょう。
天叢雲剣は、崇神天皇の時に磯城の宮中からアマテラスの鏡と一緒に出されて、29か所も諸国を転々として、伊勢神宮に祀られます。
その後、ヤマトタケルによって、熱田神宮に祀られるようになった経過などは、昨日、書きましたよね。
●ヒメ 080911 8:09
おさらいはいいからさ、どこからこの剣が磯城の「ミマキイリヒコ」のところにきたのか、まず教えてよ。
●ボク 080911 8:06
いつもヒメ様は結論、一直線ですね。
この剣は、記紀によれば、スサノオからアマテラスに贈られています。その後、ニニギが天下った時に授けられたとされています。アマテラスの5代目の若御毛沼(ワカミケヌ、後世の神武天皇)が、薩摩半島から16年かけて大和に入って建国したことになっていますから、スサノオの剣も一緒に薩摩半島から運ばれたことになると思います。
しかし、多くの学者はこの神武東征は架空の神話と考えています(私もですが)。
すみません。駅に着きそうです。ひなちゃん、引き継いでくれませんか?
●ヒメ 080911 8:09
ひなちゃん、時間ある?畿内説だと、この剣はどうなるの?
●ひな 080911 8:11
おはようございます。化粧時間をカットする位の時間はあります。
畿内説の多数派だと、この剣は、後世の偽物ということになるでしょうね。箸墓に葬られた卑弥呼=天照大御神から天皇家に伝えられた、と考える人もいます。
●ヒメ 080911 8:13
お化粧時間を奪ってしまって、悪かったよね。すっぴんでもとびっきりの美人なんだからさ、許してね。
もう1つ。このヤマタノオロチの剣は、「三種の神器」として皇位継承の大事な御印の1つとされながら、なぜ、天皇の元に置かれていないのかしら。宮中にはコピーが置かれて皇位継承の儀式に使われ、本物はなぜ伊勢にまで移されたのか、知りたいなあ。
●ひな 080911 8:16
天叢雲剣が伊勢に移されたのは、恐らく、アマテラスの鏡が移された時に、一緒に移されたのだと思います。
記紀によれば、ミマキイリヒコイニエ大王(後に崇神天皇と命名)の時に、人民の半数以上が亡くなるという疫病が大流行し、それが三輪山に祀られている大物主の祟りとされます。この時、宮中に祀られていた大物主が宮中から出されて、大物主の子孫に祀らせたことになっています。その時に、一緒にアマテラスの鏡とヤマタノオロチの剣も宮中を出されたと考えられます。
あと、どなたか、バトンを受けて下さい・・・
●ヒメ 080911 8:25
大物主の祟りなら、大物主だけを宮中から出せばいいのに、なぜ、アマテラスの鏡や勾玉、スサノオからもらった大事な剣を一緒に宮中から出したのかしら?祟り神だけを出すのは分かるけど、祖先の霊のこもった大事な守り神の鏡や剣を宮中から出す、というのは理解できないわね?
特に、スサノオは、現代まで疫病封じの神とされて信仰されてきたじゃない。皇族も半数以上が死んだに違いないから、スサノオゆかりの剣を使って、宮中で大々的に疫病封じの儀式を行うはずじゃない。
●カントク 080911 8:38
二人の美人の頼みを絶対に断わらない、朝から浮き世離れして、2000年近くも前のことにうつつを抜かしている自由人は誰でしょう。ピンポン、わたくしです。
確かに、ヒメの言うとおりだよね。皇位継承の大事な証である「三種の神器」は祖先から代々、伝わった、皇室を守る大事な家宝だよね。それ宮中から出す、というのはわけがわからないよね。
●ヒメ 080911 8:45
もし、これが記紀のフィクションというなら、私みたいなかけ出しの小説家だって、もっとうまい嘘をいくらでも書けるわよ。
疫病封じのために、大事な家宝のアマテラスの鏡と玉、スサノオの剣を、人民のために伊勢に奉納して祀った、と書けばかっこいいじゃない。
●カントク 080911 8:38
どうも、天皇家はスサノオの2本の剣、天叢雲剣と十拳剣のどちらも粗末に扱っているよね。そればかりか、アマテラスの鏡も玉も、身近に置いていないし、代々の天皇は明治まで、伊勢神宮に参拝していないんだよ。
●ヒメ 080911 8:45
100人を越える天皇、全員なの?
●カントク 080911 8:46
そうなんだ。大海人皇子(後の、天武天皇)は、伊勢を通りながら、遠くから遙拝しただけだし、その妻の持統天皇も伊勢行幸を行いながら、伊勢神宮に参拝した記録がない。。
これは、実に不思議なことなんだ。弘文天皇(大友皇子)の位を奪おうという天下分け目の戦い、壬申の乱を前にして、祖先のアマテラスに戦勝祈願をし、自分の方が正当な後継者である、と大義名分を掲げる、というのが普通だと思うんだ。
●ヒメ 080911 8:58
私の書きかけの作品、『壬申の乱殺人事件』に重なってくるわよね。
カントク、どうやら何か知っていそうね。しかし、取材に備えて眠ります。続きは今晩ね。 (日南虎男記)
今、新幹線で西へ向かっています。昨日の続きで、剣の動きを追ってみたいなあ。ボクちゃん、もし電車の中なら、気分転換にちょっと、説明してよ。
●ボク 080911 8:06
カントクお得意のトンデモ説が登場してきましたね。そのうちに、論争しましょう。
天叢雲剣は、崇神天皇の時に磯城の宮中からアマテラスの鏡と一緒に出されて、29か所も諸国を転々として、伊勢神宮に祀られます。
その後、ヤマトタケルによって、熱田神宮に祀られるようになった経過などは、昨日、書きましたよね。
●ヒメ 080911 8:09
おさらいはいいからさ、どこからこの剣が磯城の「ミマキイリヒコ」のところにきたのか、まず教えてよ。
●ボク 080911 8:06
いつもヒメ様は結論、一直線ですね。
この剣は、記紀によれば、スサノオからアマテラスに贈られています。その後、ニニギが天下った時に授けられたとされています。アマテラスの5代目の若御毛沼(ワカミケヌ、後世の神武天皇)が、薩摩半島から16年かけて大和に入って建国したことになっていますから、スサノオの剣も一緒に薩摩半島から運ばれたことになると思います。
しかし、多くの学者はこの神武東征は架空の神話と考えています(私もですが)。
すみません。駅に着きそうです。ひなちゃん、引き継いでくれませんか?
●ヒメ 080911 8:09
ひなちゃん、時間ある?畿内説だと、この剣はどうなるの?
●ひな 080911 8:11
おはようございます。化粧時間をカットする位の時間はあります。
畿内説の多数派だと、この剣は、後世の偽物ということになるでしょうね。箸墓に葬られた卑弥呼=天照大御神から天皇家に伝えられた、と考える人もいます。
●ヒメ 080911 8:13
お化粧時間を奪ってしまって、悪かったよね。すっぴんでもとびっきりの美人なんだからさ、許してね。
もう1つ。このヤマタノオロチの剣は、「三種の神器」として皇位継承の大事な御印の1つとされながら、なぜ、天皇の元に置かれていないのかしら。宮中にはコピーが置かれて皇位継承の儀式に使われ、本物はなぜ伊勢にまで移されたのか、知りたいなあ。
●ひな 080911 8:16
天叢雲剣が伊勢に移されたのは、恐らく、アマテラスの鏡が移された時に、一緒に移されたのだと思います。
記紀によれば、ミマキイリヒコイニエ大王(後に崇神天皇と命名)の時に、人民の半数以上が亡くなるという疫病が大流行し、それが三輪山に祀られている大物主の祟りとされます。この時、宮中に祀られていた大物主が宮中から出されて、大物主の子孫に祀らせたことになっています。その時に、一緒にアマテラスの鏡とヤマタノオロチの剣も宮中を出されたと考えられます。
あと、どなたか、バトンを受けて下さい・・・
●ヒメ 080911 8:25
大物主の祟りなら、大物主だけを宮中から出せばいいのに、なぜ、アマテラスの鏡や勾玉、スサノオからもらった大事な剣を一緒に宮中から出したのかしら?祟り神だけを出すのは分かるけど、祖先の霊のこもった大事な守り神の鏡や剣を宮中から出す、というのは理解できないわね?
特に、スサノオは、現代まで疫病封じの神とされて信仰されてきたじゃない。皇族も半数以上が死んだに違いないから、スサノオゆかりの剣を使って、宮中で大々的に疫病封じの儀式を行うはずじゃない。
●カントク 080911 8:38
二人の美人の頼みを絶対に断わらない、朝から浮き世離れして、2000年近くも前のことにうつつを抜かしている自由人は誰でしょう。ピンポン、わたくしです。
確かに、ヒメの言うとおりだよね。皇位継承の大事な証である「三種の神器」は祖先から代々、伝わった、皇室を守る大事な家宝だよね。それ宮中から出す、というのはわけがわからないよね。
●ヒメ 080911 8:45
もし、これが記紀のフィクションというなら、私みたいなかけ出しの小説家だって、もっとうまい嘘をいくらでも書けるわよ。
疫病封じのために、大事な家宝のアマテラスの鏡と玉、スサノオの剣を、人民のために伊勢に奉納して祀った、と書けばかっこいいじゃない。
●カントク 080911 8:38
どうも、天皇家はスサノオの2本の剣、天叢雲剣と十拳剣のどちらも粗末に扱っているよね。そればかりか、アマテラスの鏡も玉も、身近に置いていないし、代々の天皇は明治まで、伊勢神宮に参拝していないんだよ。
●ヒメ 080911 8:45
100人を越える天皇、全員なの?
●カントク 080911 8:46
そうなんだ。大海人皇子(後の、天武天皇)は、伊勢を通りながら、遠くから遙拝しただけだし、その妻の持統天皇も伊勢行幸を行いながら、伊勢神宮に参拝した記録がない。。
これは、実に不思議なことなんだ。弘文天皇(大友皇子)の位を奪おうという天下分け目の戦い、壬申の乱を前にして、祖先のアマテラスに戦勝祈願をし、自分の方が正当な後継者である、と大義名分を掲げる、というのが普通だと思うんだ。
●ヒメ 080911 8:58
私の書きかけの作品、『壬申の乱殺人事件』に重なってくるわよね。
カントク、どうやら何か知っていそうね。しかし、取材に備えて眠ります。続きは今晩ね。 (日南虎男記)
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