コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

新人中の新人でした、

2020-06-29 15:37:54 | Weblog

カウンター長が、仕事をしている所を観る事がありませんでした。

各階のカウンターの仕事を管理するのですから、

全てのパフェやサンディーなどが、

綺麗・確実・手早く出来る人達だったのでしょう。

その中でも、カウンター長の長は、現場事務も含め王城全ての管理者でした。

 

確か僕が、1番最後に入った新人で、ボーイNo.99番、一番大きい番号でした。

当然、教えて貰うだけ、命令されるだけでした。

ボーイの胸に付けられたNo.が小さいほど、ベテランでした。

 

No.1の番号を付けたボーイは、

出たり入ったりしている人だと分かりました。

僕が入った時は居なくて、入店3日後にで戻って来ました。

 

『お前、出て行く時は、名札を置いて行けよ』と云われていました。

小柄で痩せて、小さく気が弱そうな人で、30才位だったと思います。

ボーイの経験は長そうで、トレーや冷タンの扱いは見事でした。

 

『お前、どこに行ってた?今度やったら1番若い番号に戻すぞ!』と、

ボーイ長やカウンター長にからかわれていました。

 

彼は、首都高速のキップ係をしていたと云いました。

『料金を払って、直ぐ切符を捨てる人がいるんだよ、その切符を拾って、

次の人に渡すと、その人が払ったお金を貰えるじゃん』と、

自慢げに話していましたが、多分、バレテ辞めさせられたんだと思います。

 

あの頃の首都高速料金は、¥150だったと思います。

『1日やると3000円位になったよ』と云っていました。

上りと下りに一人ずついますから、1つのゲートで¥6000/2人でしょうか?

全ての料金所でやっていたでしょうから、1日何十万円の損害だったでしょう、

 

入店して、1週間位すると仕事内容が、だいぶ分かってきました。

全員が嫌いで、したくない仕事があるのが、分かりました!

 

 

 


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