コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

1月8日、夜

2009-01-20 09:03:06 | Weblog
母の亡骸と親子3人が部屋に残りました。
『もう3人きりの家族になってしまったね~。何年一緒に居られるか分からないけれど、仲良く生きていこうね』

この部屋に入った頃から、
バ~ン、バ~ンと壁に体当たりや、
蹴飛ばすような大きな音が響きますが、廊下には人影もありません。
壁が揺れる事はありませんでした。

『もう少し静かにしてくれれば良いのに』と娘が怒りますが、音は鳴り止みません。
隣の部屋にも、
他葬儀の方達が泊まっているようですが、部屋の作りから音の出所は違います。

2人は8時頃家に帰りました。
今夜は線香を絶やさないように1人で番をしなければなりません。


静まりかえった夜の葬儀場
http://www.kiyoraka.jp/sikijo/kaikan/22_011.html

1月8日、夕方

2009-01-19 08:44:56 | Weblog
家族3人で葬儀を話し合い、義父と同じ家族葬に決めました。
小さくても会社を経営していますと、取引先から葬儀のFAXが送られてきます。

名刺交換をした位の間柄でも来ますし、
本人ならいざ知らず、ジイサンやバアサンの葬儀まできます。
まるで人の頭数を集め、自分の力を誇示しているかのように感じますし、
ヤクザの不祝儀集めのようだと思っています。

我が家で初めての葬儀ですから、神道を考えていました。
昭和天皇の葬儀をTVで観ていて、何と清々しい儀式なのだろうと感じたからです。

母が戸惑わないようにと云う妻の提案で、
母の実家と同じ浄土宗のお坊さんにお経を挙げて頂く事になりました。

式場の話では、お通夜と葬儀の2回だけ、
10分から15分のお経で、10万~15万が相場だと云われましたが、
お坊さんから15万~20万だと言われたそうです。
それにお車代として別途5000円でした。

5年前の義父の葬儀では、
家族葬など初めてですと言われましたが、
今では10家族の内4家族が家族葬だそうで、これも時代の流れでしょう、


家族葬の祭壇

1月8日病院内にて、

2009-01-18 10:56:06 | Weblog
『着替えさせますので、売店で浴衣を買ってきて下さい』と看護婦さん。
出来るだけ、年寄りくさくない花柄を選び、手渡しますと、
『入り口の近くで精算をして下さい』と言われます。

『手持ちで足りるのかな?』と思っている所へ、妻と娘が駆け付けました。

『手術をするか?と言われたけれど、断った』
『手術をすれば助かったの?』と娘。

『たとえ手術をしたとしても延命だけで、生き返る訳ではないから、おばあちゃんも喜ばないと思う。もし俺に何かあったとしも延命だけはしないで』と頼みます。
『私もそうして』と妻。

『生きる屍をさらしたくないし、生きている人達にも迷惑を掛けたくない』
『延命されている人の部屋って死臭がするね』と義父が話していました。

5年前、義父の葬儀の時に利用した、
長泉愛昇殿に連絡をし、霊柩車を回して頂きました。

病院の精算を済ませ、愛昇殿に着くと、
母は義父と同じ部屋に安置されていました。


三島のパン屋さん

医師へ意思を、

2009-01-17 09:14:48 | Weblog
『大動脈剥離です』
『え~?』

『CTの映像ですが、これが脊椎です。脊椎の後ろから来ている動脈の付け根が剥離しました。これが心臓です。心臓の周りを血が取り囲み動けなくなってしまいました。心臓マッサージをすると血が全身に回ってしまいます。大動脈の上部が剥離した場合は、胸が痛いなどの症状が出ますが、今回は心臓の付け根部分の剥離でしたので、痛みは無かったと思います。助かる可能性が有るのは、手術しかありません、手術をしますか?』

『今の話では即死ですね。苦しまないで良かったと思います。苦しませたくないのでしないで下さい』

CT画像で脳内も見れましたが、萎縮もなく綺麗な脳でした。

姉と母の実家の網代に連絡をしました。


静岡医療センター
http://www.hosp.go.jp/~tsh/top.html


三島の町並み

1月8日、病院内

2009-01-16 09:11:53 | Weblog
『救急車の後に続かないで、ゆっくりで良いので、落ち着いて運転して付いて来て下さい』
『一緒に救急車に乗り込んで下さい』と他の隊員。
『一緒に乗ります』

車で移動中も隊員は、交代で心臓マッサージをし続けています。
口には酸素吸入のパイプを咥えられてた母。

救急室に一緒に入りますが、
CTスキャンを行うと云われ、母は台車に載せられ直ぐに出て行きました。

『廊下でお待ち下さい』と言われ、待っていると、
杖をついて歩いている、女性から声を掛けられます。
『私です』

『えっ、どうしたの?』余りの痩せ方で一瞬分かりませんでしたが、名前を言われ思い出しました。
彼女は以前、会社で事務をしていた女性です。

『脳梗塞で入院しているんです』
『え~、でも何でもない感じだけど』と、全身を見回します。

『倒れて直ぐに処置をしたので軽かったんです。杖が無くても大丈夫なんですが、念のためです』
『そ~、良かったね~!』

『先生がお話があるそうです』と呼ばれ、お互いに会釈をして別れました。
脳梗塞も発見が早ければ、殆ど後遺症が無いんですね。

静岡医療センター
http://www.hosp.go.jp/~tsh/top.html


電信柱がなくなり綺麗になった三島市街地

1月8日午後

2009-01-15 09:05:16 | Weblog
母の横に座り、心臓に触りましたが、動いていません。
鼻の下に手をかざしましたが、息をしていません。

『もう死んでるね~、、、』と、言う以外、言葉が見付かりませんでした。
『そう云えば、唇の色が変わってる』

そこへ救急隊員3名が到着しました。
『この方が医師です。この方の言われる通りの事をしますが、宜しいでしょうか?』
『はい、お願いします』

『心臓マッサージ、それから電気ショックを与えます、危ないので身体から手を離して下さい』
『はい』

『電気ショックは止めて、心臓マッサージだけにする。受け入れ先の病院が見付かりました。静岡医療センターです。一緒に付いて来て下さい』
http://www.hosp.go.jp/~tsh/top.html
『はい』


三島商工会議所入り口
質問に対し、仕事の手を休め、分かる人を探して下さいます

1月8日昼過ぎ

2009-01-14 08:59:43 | Weblog
会社で、鶴田、関と3人で、
昼食を済ませ終わった所で、携帯がなりました。

『なに?』
『直ぐ来て!』と妻からでした。
『分かった』と、車に乗り込み家に向かいました。

『何処にいるの?』と、強い口調の妻から2回目の電話。
『駐車場に車を入れた所だよ』と、急いで階段を上ります。
会社から家まで車で10分以内の距離です。

母の部屋には、休みの娘の姿が見えます。
部屋に入ると、倒れている母の側で、
妻は電話を握り締め、誰かと話をしています。

『おばあちゃんが倒れて、救急車を呼んだけど、まだ来ないの、心臓マッサージをしろと言われたんだけど、遣り方が分からなくて、分かったらやって』
『分かった!』


整備され綺麗になった三島駅北口
http://mishima.ikidane.com/eki-kita.html

慢性的な寝不足

2009-01-13 09:20:43 | Weblog
晩ご飯は、7時頃終わり、母は布団に入ります。
22時~23時頃、
朝と勘違いして顔を洗いに起きてきます。
『おばあちゃん、今は夜中よ。2人ともこれから寝るところ』と、言われ、
『あ~、そうかね。まだ夜なんだ』と、布団に入る感じでした。

夜中の1時頃、今度は新聞を取りに起きだします。
当然新聞は着ていません、そうすると又布団に入ります。

今度は3時頃起きだし、新聞を取りに行く、
来ていないと5時頃起きだし、取ってきて又布団に入る状態でした。
真っ暗闇の夜中ですから、電気をつけます。
パチパチと電気をつけたり消したりの音で、眠れなくなります、、、

会社に行かなければならないので、僕は夜11時頃布団に入ります。
その後を、妻が母のために起きている、
と云うような感じで、2人とも慢性的な寝不足でした。


三島駅北口
綺麗になりました、30分以内でしたら駐車場が無料です
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn004926.html

1月8日の朝

2009-01-12 12:40:50 | Weblog
いつものように会社に出掛けようとすると、
妻に呼び止められます。
『今日でお飾りは終わりなので、出掛けに外してね。それから日曜日はドンドン焼きなので持っていってね』
『良いよ~』

もう去年位からでしょうか、
母に朝ご飯を食べさせるのは僕の役目です。
妻が用意したご飯を温めるだけですから、簡単と言えば簡単なんですが、
母を起こし、薬を飲ませ、食事の順番です。

母は、昼夜の区別がつかなくなり、夜中に起き出す状態でした。
ここ3~4ヶ月は、特に酷くなっていました。
朝ご飯を食べ眠り、昼ご飯を食べて眠り、
夕ご飯を食べて眠る、一日中寝ている状態で、
気分が良く天気が穏やかですと、庭の草取りや枯葉拾いでした。


三島市こも池
三島市観光協会
http://www.mishima-kankou.com/

社長の年収

2009-01-09 12:17:12 | Weblog
妻は、この店にちょくちょくランチをしに行くようで、
秋葉原の事件前にも派遣労働者の首切りの話を聴いていました。

『トヨタで首切りが始まるらしいわよ』
『へ~、どうして知ってるの?』

『裾野でランチをしていたら、隣のオバサン達が話していたのよ、自動車が売れないらしいわ。やけにトヨタの事に詳しくて、課長級は車で来るけど、部長以上はヘリコプターで来るそうよ』
『経費で落ちるから良いんじゃないの』

1部上場企業の社長の年収が、
2500~4000万円に集中していた時代は、もう昔の事だったのでしょう。

当時、異業種交流の社長達の年収と、
さほど変わらないなと、云う感じでした。

アメリカ企業の社長達の年収には今も驚かされますが、
日本も近付きつつあるのでしょうか、


三島の町の中にある、チョットした粋な風情