こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

ときには、ぶらりと撮ってみて

2024-06-02 | 雑感

先日、隣街(足利市、栃木県)での会合に参加するために、久し振りにJR両毛線を利用した。その際、ぶらりとした気分でスナップ写真を撮ってみた。

両毛線は桐生市内においても高架化されている。駅構内を出て速度を上げはじめる電車は、突然視界が開けるかのように、目抜き通り上の高架橋を通過する。しかし、高架橋からの眺めは数秒間の車窓限定版である。そのため、何気なく車外を眺めていると、この場面はほとんど印象に残らない。

直線状の道路は高架橋から2キロメートルほど北方向に伸びている。

「500メートルさきに「桐生伝統的建造物群」」との案内板が写っている。 

最奥の山並みは1000メートル峰の連なりである。その奥は日本海側の平野まで山岳地帯になっている。

 

到着した「211型6両編成」

桐生駅ホームにて(北方向)

 

 

足利駅までの途中で、赤城山の大きさを実感する。

 

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会合が終わった後、足利駅に近い史跡「足利学校跡」を撮ってみた。

 

文化庁指定「日本遺産 足利学校

宣教師フランシスコ・ザビエルは、日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学として、足利学校を世界に紹介した。

足利学校の創建については諸説あるが、15世紀、上杉憲実(のりざね)は学規を定め、現在「国宝となっている漢籍(かんせき)」を寄進するなどして足利学校を再興した。戦乱の時代においても全国から多くの学徒が集まった。その教えは、儒学を中心としながらも、易学・兵学・医学など多岐にわたり、日本最古の総合大学と呼ぶにふさわしいものであった。

江戸時代になると、足利学校は貴重な書籍の宝庫として幕府から保護された。足利学校の自由で開放的な学びと自学自習の精神は、近世の学校の原点と言える。明治5年に廃校。

足利市ホームページ文化遺産ホームページ「近世の教育遺産群 ...」から抜粋引用)

 

 

 

足利駅前にて

往年、このものは直流型電気機関車として、両毛線や高崎・上越・東北本線で活躍した。かつては、パンタグラフが残っている状態で保存されていた。

「現在でも完全形で静態保存されている貴重な存在です。」との説明文には似合いそうもない画像として、手持ちのカメラは機関車をディスプレイに映し出す。当方のカメラは非情である(苦笑)。

 

ー5月下旬ー

 

JR両毛線は「高崎駅(群馬県、北陸新幹線、上越新幹線、高崎線・上越線、信越線、吾妻線、八高線、上信電鉄)」と「小山駅(栃木県、東北・北海道新幹線、山形新幹線、秋田新幹線、東北本線(宇都宮線)、水戸線)」をターミナルとするローカル線である。しかし、同線は高崎市、前橋市、伊勢崎市、桐生市、足利市、佐野市、栃木市、小山市(合計人口は100万人以上)を結んでいる(一部、複線化)。足利駅の隣には「足利フラワーパーク駅」が新設されている。桐生駅は「わたらせ渓谷鐵道(旧JR足尾線、旧足尾銅山)」のターミナルである。