こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

桂戸不動滝での紅葉、群馬県みどり市(2015-16年)

2021-12-03 | 蔵出し

今年は撮るチャンスがなかった晩秋の彩りから

国道122号で渡良瀬川沿いを日光市方面に遡り草木ダムの近くで寄り道をすると、繊細な流れが印象的である滝に出会う。その名は桂戸不動滝(落差約20 m、群馬県みどり市東町座間 )である。滝は渡良瀬川支流の桂戸川に流れ落ちている。滝壺そばの展望デッキまでは遊歩道が設けられている。そして、滝の周囲にはカエデ(モミジ)やヤマザクラが自生している。

画像は2015年11月下旬に撮ったものである。カエデ(モミジ)の紅葉が盛りのときであり、絹地のような流れが紅葉の中に降り注いでいるような場面がとくに印象的であった。

 

 

 

今年も紅葉のときに再訪したいと思っていたが、都合でそのチャンスを失ってしまった。まことに残念である。

 

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早春のときに出会った滝の流れ(2016年4月)

午後4時半過ぎでは、流れが夕陽に染まった。

 

 

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撮影、2015年11月下旬、2016年4月上旬(いずれも、午後)、ホワイトバランスは太陽光または曇り。シャッター速度 0.5-4秒。


あるときに眺めた、浅間山と八ヶ岳連峰、鳴神山にて

2020-04-17 | 蔵出し

鳴神山(桐生市、980 m)は、花と展望の山である。わたくしたちは、この山でカッコソウ(固有種)、アカヤシオ、ヒイラギソウ、ヒトツバエゾスミレ、ヒメイワカガミ(白花))などの花や山頂からの広大な展望に心を動かされてきた。ここでは、かなり以前に撮ったものであるが、山頂で眺めた浅間山と八ヶ岳連峰の画像をアップする(撮影、2008年)。

 

浅間山(2,568 m)、榛名山、四阿山(あずまやさん、2,350 m、群馬・長野県)そして赤城山(鍋割山)

赤城山の裾野は広い(富士山のそれに次ぐ)。

 

噴煙たなびく浅間山

 

 

このときは、浅間山の活動が活発であり、山頂からの噴煙が長くたなびいていた。

 

 

八ヶ岳連峰(長野県)と県境(群馬・長野)の山々(荒船山など)

 

撮影、2008年12月中旬

 


美ヶ原での秋景、2010年10月 

2018-09-03 | 蔵出し

今日もまた霧に邪魔されたかと半ば諦めの心境に陥っていたとき、突然にも穂高連峰を覆い隠していた霧のカーテンが開きはじめた。私たちはカーテンよ完全に開けと願いながら、連峰の厳しい山容がはっきりと現れる瞬間を待った。

 

そして、王ヶ頭の先にある断崖の上で連峰の姿を眺めている人々がいることに気付いた。


残念ながら、その人々と出会うチャンスはなかった。もし出会っていたならば、この場面での感動と印象を互いに交換できたであろう。ともかく、この画面はいまでも脳裏に焼きついている。
 

 

「以前松本平の人々は、美ヶ原を東山、北アルプスを西山と呼んだそうだが、その西山の最重要部分、槍、穗高の連嶺を、東山からまざまざと眺めることが出来る。その豪快な山容を鑑賞するのに、最も適した距離である。その眺めに呆然としてから、眼を他へそらすと、別の山々が我も我もと名乗りをあげてくるのに接するであろう(深田久弥著、日本百名山(新装版)、新潮社、1993、61 美ヶ原)」

 

 

 

 

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撮影、2010年10月。


夕景、富士山の遠望、大平山(栃木)にて(フォトアルバム、2013年)

2017-12-16 | 蔵出し

栃木県栃木市の太平山(おおひらさん、346 m)は関東平野、富士山、筑波山の展望台として知られている。既に、それらの展望については記事にしているが、今回は2013年12月中旬に撮った富士山の夕景をアップする

落日のときが迫るにつれて大きく変化する富士山の色が、遠来のわたくしたちにとって印象的であった。

 

落日が迫ってきたとき。

 

落日が終わると、富士山のみが夕日を浴びる。冬に冠雪の斜面が夕日や朝日で鮮やかな紅色に染まる状態は「紅富士」と言われるようである。

 

紅富士がシルエットに変わる直前に、冠雪の姿をはっきりと遠望できるチャンスがあった。

 

マジックアワーでのシルエットは美しい。 

 


マジックアワーでの光景(色彩)。この場を離れるのが惜しい時間帯である。

 

 

2013年12月中旬、大平山の謙信平にて(謙信平との地名は上杉謙信がこの場所で兵馬の訓練したとのことに由来する)。EOS 6D、EF 70-200 mm F4L IS USM。


フォトアルバム、表磐梯と猪苗代湖(2011年夏)

2017-08-11 | 蔵出し

今週は、台風5号によるフェーン現象で焼け付くような暑さであった日(僅か1日間)を除いて、太陽がほとんど見えない空模様が続いている。そして、今朝は関東での日照時間が平年にくらべて50%程度に過ぎないと報じられた。そこで、かつて晴天のときに磐梯山の南側(表磐梯)で眺めた猪苗代湖などの美しさを回想してみた(撮影、2011年8月10日)。


猪苗代湖の全景(ゴンドラ山頂駅付近にて)。猪苗代湖は、国内で琵琶湖、霞が浦、サロマ湖に次いで大きい(周囲、約50 km)。このときは、猪苗代湖を磐梯山(標高、1,819 m)で眺めようかと思い、磐梯山の南側(表磐梯)から磐梯山ロープウェイで磐梯山の中腹(標高、1,250 m)に向かった。

 

猪苗代湖周辺は会津米の産地でもある。中腹で眺めても、稲の緑と湖面の色の対比が美しかった。湖の対岸は南側にて、郡山市などに属している。対岸の山並みはは標高1,000 m程度である。なお、猪苗代湖の水面の標高は514 mとのことだ。如何にも8月中旬らしい景観は、北関東・東北・磐越自動車道経由で長距離ドライブを強いられた私たちにとって、その甲斐があったと思わせるほど魅力に満ちていた。


猪苗代湖(東側)のクローズアップ。湖面には朝の日差しを受けて水蒸気が立ち上り、幻想的な雰囲気が漂っていた(午前9時頃)。


湖水は、強酸性の地下水や川水が流れ込んでいるために酸性となっているとのことである。そのため、鉄やアルミニウムなどの金属類はイオンとなり湖水に溶ける。それらの金属イオンは流れ込んでくる有機物やリンなどと結合して沈殿する。結果として、湖水はクリーンに保たれる。猪苗代湖の水の透明度が高いのは、この自然の浄化システムによると聞く。湖面の下側の直線部分は磐越自動車道である。

猪苗代湖のクローズアップ(西側、会津若松市側)。

この湖は大きいが、島は翁島(画面左中央)があるだけである。しかし、この島は渇水期には陸続きになると聞く。このときは満水であったのであろう。この島には、弘法大師についての伝説があるとのことだ。

この日、夏にしては視界が良く、遠方の山々まで遠望することができた。隣県(栃木県)との県境にある山々(会津、尾瀬、那須、日光など)も見えた。


さて、ゴンドラ山頂駅付近ではヤマユリが多く生えていた。花は最盛期にて、周囲にはユリの香りが漂っていた。(余談)ヤマユリは日本固有種である。

朝日を浴びるユリの花や蕾。ユリの近くでは、ヨツバヒヨドリやコバギボウシなどが咲いていた。


 

蕾の向く方向が面白い。

 


南側の麓で眺めた磐梯山。表磐梯側から見る磐梯山は、会津富士と呼ばれる姿そのものである。このときは山頂付近に飛行機雲が漂っていた。

 

 

ちなみに、北側(裏磐梯)から眺めた磐梯山。1888年での水蒸気爆発の跡が独特の山容となっている。

 お馴染みのアングルで。

 

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ロープウェイ山頂駅から山頂への登山路は「翁島登山路」と呼ばれていようだ(山頂まで、約2時間、健脚者向きコース)。登山路には、環境省の登山者数計測装置が設けられていた。

このルートを少し登ってみたが、登った範囲においてルートは木々の間をくぐっていた。今はどのような道になっているのであろうか。



2011年8月10日、午前(表磐梯、猪苗代湖)、午後(裏磐梯)。


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今週は、先の生検の結果にもとづき、X線CT(128列マルチスライス)、MRI(3テスラ)、骨シンチ(全身)、進行状態の判定、そして主治医からの治療方法の提案とのスケジュールに追われた。間もなく、患者としては手術、放射線治療、内分泌治療、監視療法のどれかを選択することなる。血液検査などを定期的に受けてきたことが早期発見につながったようである。

 


フォトアルバム(13)、冠雪の浅間山

2016-12-24 | 蔵出し

 

 

 浅間山と剣ヶ峰との対比

 

 このときは、浅間山の活動がやや活発であった。

店の背後で夕日を浴びる浅間山と自分達の車(シビックRS)。店の主人から、この付近で絵筆を握る人は多いと聞いた。

 

今年も残り少なくなった。しかし、間もなく新しい年を迎えるのだとの実感がわたくしには湧いてこない。それは定年そして非常勤として在籍するに及ばずとの年齢制限で、職場を今年3月に離れたためかもしれない。それでも、ときには若者たちの報告会とその後のコンパに参加するすると、ついつい自分の年齢を忘れて、その場の雰囲気を楽しんでしまう。出過ぎないように思いつつもである。

閑話休題、これからは近くで(ときにはやや近くで)眺めた山や花の画像をアップしたいと思う。今回は佐久市内で眺めた浅間山である。この山については、自分が小学生であった頃(何十年前であったろうか)からの思い出がある。たとえば、100 km以上も離れた場所に住んでいたにもかかわらず、火山灰が降ってきた。そして、ときには噴火音が響いてきた。

日頃、富士山を思わせような姿の浅間山を遠望している者としては、近くで見る山の姿に迫力を感じて感動し、そして畏敬の念を持たざるをえなかった。このときは、そのような思いで、わたくしたちは浅間山のビューポイントを探した。


撮影、2008年11月中旬、佐久市にて。


フォトアルバム(12)、雲海の彼方に見える山々、晩秋の赤城山にて

2016-10-18 | 蔵出し

今週から10月も後半に入った。何かと理由を見つけては億劫にしているために、私達は紅葉の山を歩くチャンスを失ってしまいそうである。ところで、赤城山ではアカヤシオの花の時季などに、私達は雲海の場面を撮ってきた。今回アップする画像は8年前に撮った晩秋での雲海である。

雲海の彼方に富士山、南アルプス、八ヶ岳連峰、北アルプス、浅間山、四阿山などが見える景色を、私達はいまだに記録メディアから消去することができないでいる。このときは、赤城山は東、南そして西側の三方が雲海で囲まれた。一方、北側には雲海が見あたらず、谷川岳、燧ヶ岳、至仏山などの姿がくっきりとしていた。赤城山・地蔵岳にて(標高 1674 m、山内では黒檜山(1828 m)に次いで高い)。


東方向
山頂に登る途中で、初めて見る大気現象に出会った。高さ1000 m付近に、ベルト状の界面が直線状に伸びていた。これは、逆転層の存在を強く示唆するものであった。蜃気楼でも見えるのかと半ば唖然としつつ、ベルトが山頂に着くまでは消えないようにと願いながら、私達は山頂へと急いだ

ベルトの下に見える山々。矢印で示した山は、左から加波山、鳴神山、筑波山である。逆転層の彼方に100 kmほど離れた筑波山が見えるではないか。私達は感動を覚えざるをえなかった。なお、鳴神山(980 m)は私達にとって近所の山である。


南方向

山頂に着いたとき、同伴者へのかけ声は雲海の対岸に富士山がくっきりと見えるぞ。急いで。」であった。富士山の手前の山並みは奥秩父連山である。赤城山と富士山との距離は160 kmほどである。

富士山がどの位の大きさで見えるだろうか。尺度となりそうなもの(者)を入れてみたが。右(山腹)の道は山頂への経路だ。


南西方向

雲海の対岸は南アルプスと八ヶ岳連峰である。矢印を付けた山は、左から間ノ岳、北岳、御座山、甲斐駒ヶ岳、そして赤岳である。南アルプスまでの距離は約140-150 kmだ。赤城山で、これらの山頂がくっきりと遠望できる機会は、雪山シーズンを除いて多くない。

赤城山との位置関係をはっきりとさせるために、山内の山頂、荒山と鍋割山を入れてみた


雲海の彼方に八ヶ岳連峰が見える景色は詩情をそそるような気がする。赤岳(南八ヶ岳、左側の矢印)から蓼科山(北八ヶ岳、右側の矢印)に加えて、荒船山(テーブル状)と妙義山(岩峰)が見える。両山の高さ(それぞれ、1300、1100 m)から判断すると、雲海の高さは1000 m程度であろう。

 

西方向

雲海に浮かぶ、浅間山、蛇骨岳、籠ノ登山(東と西の二峰)そして湯の丸山(なだらかな山頂)が美しかった。これらの手前に見える榛名山なども魅力的に見えた。

私達にとって、山頂での褒美は篭ノ登山の右に奥穂高岳(推定)と湯の丸山の右に槍ヶ岳がかすかながらも視認できたことであった。

矢印は、それぞれ奥穂高岳、槍ヶ岳、北アルプスの稜線である。

 

パノラマ画像。浅間山の左側には乗鞍岳が見える。

 地蔵岳で見る四阿山の裾野は伸びやかだ。四阿山の両側には北アルプス連峰が見える。右側の雪を被った岩峰は鹿島槍ヶ岳である。

 

西北から北方向

こちら側には雲海がなかった。そして、苗場山から、谷川岳、巻機山、武尊山、至仏山、燧ヶ岳などまでが稜線の景色を構成していた。

パノラマ画像


苗場山から谷川岳まで

 

撮影、2008年11月中旬赤城山地蔵岳にてCanon、Powershot G7(1000万画素)、画像処理ソフト Adobe Lightroom CC(2015)

(2016年10月16日、再処理)。


カシミール 3D のホームページ(パノラマ展望図集(全国の山頂から))には、つぎの説明がある。「黒檜山は展望の名山である。国内3000 m峰14座のうち12座までが見えることが確認されている。」

地蔵岳からは何座が見えるだろうか。



フォトアルバム(10)、初夏の赤城山での雲海、2012年

2016-06-11 | 蔵出し

赤城山を構成している峰は標高2,000 mに満たない。そのためであろうか、赤城山で山全体を囲むほど広範囲な雲海を眺めるチャンスは多くない。ここでの画像は2012年6月中旬に撮ったものである。このときは、赤城山が大海原に例えてもよいほどの雲海で囲まれた。地蔵岳(1,674 m、旧中央火口丘)の山頂で撮った雲海の画像をアップする。

黒檜山(1,823 m、旧外輪山、最高峰)や駒ヶ岳(右側)などの背後に広がる雲海。水面は大沼である。雲海の奥に見えるのは袈裟丸山や日光連山である。


雲海は日差しで輝き始めた。正面奥の尾根は五輪尾根、右端は黒檜山(1,828 m)である。かなり霞んでいたが、燧ヶ岳、至仏山、武尊岳、谷川岳などが雲海での対岸になっていた。


南方向の雲海。近くの前橋市、高崎市、伊勢崎市などは全く見えなかった。これらの市街地での天候は曇りであったと、後日に聞いた。雲海の上に富士山や奥秩父の山波などが見えることを期待したが.....。たまたまのことであろうが、山頂に登ってくる人はしばらくの間いなかった。


雲海で囲まれた荒山(左)と鍋割山(右)。


北東方向(駒ヶ岳、小沼、長七郎山、覚満淵、鳥居峠、小地蔵岳など)

左奥には、袈裟丸山が見える。

 

鳴神山(980 m)など、自宅近くの山々は雲海に沈んでいた。雲海が標高1,000 m以上で広がっていたのであった。このとき、家人から自宅付近(東、約 40km )の上空は厚い雲で覆われているとの知らせを受けた。

 

鳥居峠付近での雲海

 

西方向では、子持山(1,296 m)(手前)、小野子山(1,208 m)(奥)、そして榛名山(1,450 m)などが雲海での島となっていた。

 

この後、私は長七郎山で雲海の光景を眺めた。つづく


RAW画像を再現像(2016年6月11日)。