こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

遠く離れた名山、両神山がシルエットとして、夕日の効果で浮かび出る(1月)

2025-01-04 | 山を眺める

今日アップします画像は2日の夕刻に撮った遠景です。このときは無風状態でしたので、わたくしは近くの桐生川沿いを歩きました。関東平野を隔てて100キロメートル以上離れた秩父地域(埼玉県)の山並みを遠望しながらでした。落日が迫まったとき、突然にも山並み方向の上空が厚い雲で覆われました。結果として、その雲と大学の建物(体育館)との隙間から、山並みが夕日を浴びる光景を眺める状態にわたくしは置かれました。いつもならば、人工物が大きくは入らないスポットに移動します。でも、ふと、この合間をスリットとして、これから現れる光景を眺めたくなりました。

 

厚い雲が反射板として働いたためでしょうか、この雲が無ければ見られないなような光景が現れました。秩父地域の名山「両神山(りょうがみさん、百名山の一座、1,724 m )」が、シルエットとして夕日の効果で浮かびあがりました。

100キロメートル以上も遠距離に位置している両神山が100メートル先の屋根の間近に。望遠による距離圧縮効果を思い切り楽しみました、絶好のチャンスと思いながら。

「きりゅう川」との銘板を画角に入れてみました(わたくしのこだわりです)。

 

クリックで、画像を拡大できます。

 

 

気象条件が良ければ、夕日の力を借りなくても両神山(1700メートル)を遠望できます。ところが、より標高の高い背景、奥秩父連山(2000メートルクラス)に埋没するために、両神山固有の形がはっきりとは見えません。ちなみに、埋没しないスポットで眺めた両神山の画像を添えます。ロウバイ(蝋梅)の名所、宝登山(秩父市)、1月下旬にて。

 

「私がいつも気をつけて見る山に、両神山がある。...... 大よその山は、三角形であったり屋根形であったとしても、左右に稜線を引いて山の体裁を作っているものだが、両神山は異風である。それはギザギザした頂稜の一線を引いているが、左右がブッ切れている。あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪奇なさまを呈している。古くから名山として崇拝されているのも、この威圧的な山容からであろう(深田久弥、日本百名山)」

 

画角を広げた画像をアップします。低い高度からの太陽光が、まさにライトアップとしての効果を見事に発揮しています。照らし出された背景の山並みは破風山(はふ)、百名山の一座である甲武信岳(こぶし、2,460 m)、三宝山、十文字峠などで構成されています。体育館とビルは大学の桐生キャンパス構内のものです。山並みは埼玉県・山梨県・長野県などの境になっています。

 

望遠での距離圧縮効果を利用して撮りましたが、この夕景は肉眼でもその視力に応じて気づくことができました。望遠で撮っている変人(?)に尋ねてみたかったのでしょうか、あの見事な光景はどこの山によるものと、通りかかった人々に声をかけられたました。遠く離れた秩父・奥秩父の山々が見えるのだとの答えに、驚きながらスマホで撮りはじめた人もいました。

 

帰るときにて、矢印は上の画像で望遠レンズを向けた方向です。

 

わたくしたちの街から関東平野を隔てて両神山など望めるのは、展望地点の標高が110メートルであり、海抜0メートル以下の地域を含めて関東平野の標高差が10メートル程度であるためです。わたくしたちの街は半扇状地に立地しています。自宅から中心街に自転車で向こうとするならば、往路では何らの抵抗を感じませんが、帰路では.それなりの脚力が求められます。

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2日16時過ぎ、桐生川中流域にて(桐生市)、望遠では 70-200 mm。

 

 


初日の出、彩雲を伴って (2025年)

2025-01-01 | 朝景

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

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今日は、概ね空には雲が浮かんいない天気になりました。勝手なことながら、適度に白雲が太陽の位置付近に浮かんでほしいと思いましたが。彩雲の出現を期待しているからです。

今朝は7時頃に、太陽が近くの山並みから昇りました。有難いことに、複数個の綿雲(積雲)日の出方向に流れてきました。結果として、「初日の出、彩雲を伴って」との状態にレンズを向けることができました。

 

初日の出と彩雲(空の色を気にしないで、露出をマイナスに設定して現像すると雲の縁は虹色を帯びます。でも、今日は元日ですので......)

 

昨年は、元日の夕刻に地震警報を知らせるエリアメールで心配が募りました。2011年3月11日、エリアメールを受けた直後、震度6強の激しい揺れを茨城県内で体験したからです(地割れ、地面の液状化、屋根瓦の落下、石塀の倒壊、一級国道での信号機停電など)。

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2025年元旦 (撮影 7時ごろ、桐生市にて、ホワイトバランスは太陽光(昼光)、1/1200〜1/2000秒、絞りf値 18、ISO感度 200

 


冬紅葉、散策路にて (12月)

2024-12-31 | 紅葉

間もなく、この曹洞宗別格地、鳳仙寺(ほうせんじ)から鐘の音が響いてきます。

 

桐生城は「山城跡」として保存されています。

撮影:12月29日、桐生市にて

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今年も拙ブログを読んでいただきありがとうございました。 来年も自分なりのペースで記事を投稿したいと思っています。よろしくお願いいたします。

  こつなぎ(Kotsunagi567) (「こつなぎ」は近くの山(鳴神山)の登山口付近の渓流にかかる小さな橋の名を引用しています) 

 


赤城山の上空に、水平に伸びる帯状の雲(12月)

2024-12-30 | 山を眺める

赤城山の上空や山腹ではさまざまな形の雲が発生する。この山が関東平野と日本海側まで続く山岳地帯との境界に位置しているからだ。平野から流れてくる気流は赤城山に沿って上昇する。一方、山岳地帯方向からの気流は赤城山を越えると下降する。どちらの気流にとっても、赤城山は気流の温度を著しく変化させるエネルギー障壁である。結果として、気流の温度は一気に10℃以上も変化する。 冷房が一般的でなかった頃、赤城山はわたくしたちにとって近場の避暑地であった。余談ながら、富士山は海方向からの気流が急激に4000メートル以上も上昇することにおいて、雲を生み出す「奇跡の山」である。

さて、今月上旬、帯状の雲が赤城山の上空で水平に伸びる景色が現れた。市内から見る赤城山の姿は上底と下底が長い台形状である。だからこそ、このような帯状の雲が生まれたに違いない。

 

最高峰の黒檜山(1828メートル、外輪山)には灰色の雲がかかろうとしていた。中央は長七郎山と地蔵岳(無線中継アンテナ、中央火口丘(ドーム))である。

 

 

雲の有様とともに赤城山が雪を被っていなかったことに、わたくしは感慨を覚えた。かつて、12月中旬に無雪状態の地蔵岳などの山頂を歩いたことがあるからだ。

 

帯状の雲は一種の波状雲に分類されるが、これに加えて新たな波状雲が伸びてきた。上昇気流に新たな乱れが生じたためであろう。

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画像は市内の別の場所で撮ったものである。彩りが残っている里山の奥に、山頂部が霧氷か雪を被っている赤城山・黒檜山、そして笠雲に見える厚い雲。今月の上旬ならではの風景である。

 

今年も今日を含めて2日間。原稿を書きながら眺めると、数本の飛行機雲が上空に伸びている。来年は巳年(へびどし)であるぞと強調するかのように。

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12月上旬、9時頃、桐生市にて。

 


束の間の冬紅葉、山城跡を囲む枯木立が朝日に染まって

2024-12-25 | 紅葉

このところ、夜間での冷え込みが厳しいために、山城跡は枯木立に囲まれるようになった。それでも、東側の山並みを越えて届く日射しが照らし出すと、枯木立もこの時季ならではの彩りを帯びている。この日、夜明けとともに山城跡はもや(靄)に包まれた。そして、靄は低い冬の日射しで淡い色に染まった。

枯木立は、東側の山並みを越えて届く日射しでライトアップされた瞬間、「冬紅葉」に変化した。赤色を帯びた靄が色フィルターとなって、青色系の太陽光が木立まで届かなかったためである。

 

枯木立がライトアップされる瞬間を待って..... 朝日に染まった靄の左奥には、鳴神山(980 m)

 

「束の間の冬紅葉」 部分的に残っている枯葉による彩りは鮮烈であった。

日射しが山腹まで届くと、この彩りは消えた。

 

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「冬紅葉」 木の種類により、また風当たりや日当たりの加減によって、冬になっても残っている紅葉を「冬紅葉」「残る紅葉」という(花の大歳時記、角川書店)。

「冬紅葉冬の光を集めけり(久保田万太郎)」

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12月下旬、早朝、桐生市にて