KK @Trapelus
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高度成長期の深刻な環境破壊を経て、日本は「環境先進国」を自認してきた。しかし、ダイナミックに世界中を席巻する「脱炭素革命」に完全に乗り遅れた今となっては完全に「環境後進国」に堕ちたのだ!(S・M氏)
中日新聞(CHUNICHI WEB) http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018010902000090.html
2018年1月9日
パリ協定を境目に、地球を巡るお金の流れが変わり、世界の景色も変わり始めた。変われない日本を残し。
脱炭素、脱原発、いつやるの? 今年でしょ。
二一〇一年。つまり二十二世紀の初め。
三年前のパリ協定の約束通り、「温室効果ガス実質排出ゼロ」の脱炭素社会が実現していれば、恐らく歴史の教科書は次のように記すでしょう。
<二〇一五年暮れに芽吹いた脱炭素革命は、一七年に急加速、一八年に軌道に乗った>
パリ協定。二〇年に始まる温暖化対策の新たな国際ルールです。
そして授業で先生は、このように解説します。
「その“革命”がなければ、この社会は持続しなかった…」
十八世紀、石炭を燃やすことで始まった古い産業革命は、私たちが化石燃料や核燃料の呪縛から解き放たれて、太陽や風の力を操ることで終焉(しゅうえん)を迎えます。
脱炭素革命はすでにスタートしています。欧州はもちろん、トランプ政権の米国でも、お隣の中国でも-。
昨年の十一月、ドイツのボンで開催された二十三回目の温暖化対策会議(COP23)は、例年とはかなり違った印象でした。
パリ協定の運用ルールを話し合う議場の外、サイドイベント(関連行事)の会場にビジネススーツの男女が集い、情報を収集したり、投資先を探したり、商談を繰り広げたり-。パリ協定が生み出す巨大な脱炭素市場の熾烈(しれつ)な争奪戦は、とうに始まっているのです。
その中で日本政府は、高効率の石炭火力発電所の輸出による“貢献”をアピールし、世界から非難と言うより、嘲笑を浴びました。
石炭火力である限り、二酸化炭素(CO2)を排出します。パリ協定の要求は「低炭素」ではなく「脱炭素」なのだから。
「もはや途上国なのか」。日本から参加した数少ない企業のメンバーは、かつて「省エネ大国」、あるいは「環境先進国」と呼ばれたこの国の危機感の薄さ、いつの間にか開いてしまった欧米や中国との距離に打ちのめされました。
世界の景色は、予想以上に激しく変わり始めているようです。
アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで、世界最大級の太陽光発電所の建設が進んでいます。
世界有数の産油国が脱炭素の風を読み、再生可能エネルギーにかじを切り始めているのです。
太陽光パネルを供給するのは中国企業。安さだけではありません。砂漠の過酷な環境に耐えられる品質の高さが評価されました。
習近平国家主席自らが「エコ文明」の構築をうたうのも、環境対策だけのためではありません。巨大な市場があるからです。
電力の供給価格は一キロワット時二円台。日本の原発が生み出す電気の四分の一程度になるそうです。従来の常識、あるいは先入観が全く通用しない世界です。
脱炭素時代の投資家は、非脱炭素企業にお金を出しません。脱炭素を掲げる国際企業は、非脱炭素企業から、モノやサービスなどを調達できません。当然です。
脱炭素は今や、国際的なサプライチェーン(供給網)につながるためのパスポートになりました。
もう一つ日本がこだわりを持つ原発はどうでしょう。
「原子力産業の衰退は、地球規模で加速している。建設が始まった原子炉は一〇年の十五基から、一六年には三基、一七年は第三・四半期までで一基に減った。これは生き残るために必要な最低限の増加を下回る状況であり、原発は絶滅の危機に瀕(ひん)していると言える」
世界の原発を監視するフランス在住のエネルギーコンサルタント、マイケル・シュナイダーさんは、このように断言します。
福島原発の事故を契機に、安全対策の要求が高まって、原発一基の新設に一兆円の費用がかかるとされる時代です。世界的に見れば原発も、経済的には見合わない、時代遅れの電源になりました。
石炭火力と原発に寄り掛かる日本も、国際的には時代遅れとみられています。脱炭素、脱原発への挑戦なしに、技術立国日本の持続可能性はあり得ません。
思い出していただきたい。一九七〇年の米マスキー法。その厳しい排ガス規制に尻込みした米国自動車業界が、果敢に挑んだ日本に“王国”の座を明け渡すことになったのを。
高い目標を自らに課す国のみが技術革新を成し遂げる-。パリ協定が導こうとする世界です。年末にはそのルールが決まる年。先頭集団に食らいつき、未来の教科書に名を刻む、最後のチャンスになる年です。
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核兵器廃絶の署名を毎年国連に届けている高校生平和大使を、ノーベル平和賞に推薦する文書が今月20日にもノーベル委員会に送られることがわかりました。
ノーベル平和賞への推薦文は、高校生の支援者らが、推薦資格をもつ国会議員の賛同を取りまとめ、1月20日にもノルウェーのノーベル委員会へ送ります。高校生平和大使は1998年にインドとパキスタンの核実験に反対する運動から発足し、2001年からは核兵器廃絶を求める署名を集めて毎年、スイス・ジュネーブの国連欧州本部へ届けています。
これまでに集めた署名の数はのべ167万人以上にのぼり、国連の軍縮会議で反核・平和を訴える演説も行ってきました。推薦文は高校生平和大使の活動を「将来に向けても平和な国際社会の構築に、極めて重要な役目を果たす」としています。高校生平和大使の支援者は「ノーベル平和賞への推薦によって、高校生の核廃絶運動が認知され、世界中に広がれば」と話しています。
「高校生平和大使」とは
(引用元 http://peacefulworld10000.com/heiwataishi 高校生平和大使:高校生1万人署名活動)
1998年5月、核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドとパキスタンが相次いで核実験を強行し、被爆地の市民は核拡散に危機感を募らせました。
「ながさき平和大集会」(現在は「高校生平和大使派遣委員会」)に参加する約50の平和団体は、核の惨禍を知る被爆地ヒロシマ・ナガサキの声を世界に伝えるために、未来を担う若者を「高校生平和大使」として国連に派遣することにしました。
1998年から毎年、高校生平和大使は国連を訪問し、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えてきました。
1999年の第2代まではアメリカ・ニューヨークの国連本部へ、2000年第3代からは軍縮会議が開かれるスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問しています。高校生平和大使は国連では「ヒロシマ・ナガサキ・ピース・メッセンジャー」として認知され、その真剣な言動は国連で高い評価を得て大きな成果をあげています。
2007年にはブラジル・韓国から及びペルー籍の高校生平和大使が、2012年にはブラジルの高校生平和大使が参加しました。2013年第16代は、外務省ユース非核特使第1号の委嘱を受け、2014年には第17代高校生平和大使の代表が、民間人として初めて軍縮会議本会議場でスピーチを行いました。また、2012年10月には、高校生平和大使の活動について、外務大臣感謝状が授与されました。
高校生平和大使は毎年公募で選ばれます。国連から帰国後も各地での活動報告や修学旅行生との交流など、6月の結団式から約1年間活動します。