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【ハト派の重鎮】野中広務元官房長官死去、92歳…自身の戦争体験から、安全保障政策では常に「ハト派」を貫き、引退後も憲法改正に反対

2018-01-26 22:49:36 | 政治 選挙 

野中広務元官房長官死去、92歳
2003年に政界を引退しましたが、自身の戦争体験から、安全保障政策では常に「ハト派」を貫き、2014年、安倍内閣が集団的自衛権の行使を認めるため、憲法解釈を変える閣議決定をしたことについては、「暴挙」と批判していました。(TBSニュースより)

 
 

野中広務氏 死去 自民党幹事長や官房長官など歴任

自民党の元衆議院議員で、党の幹事長や官房長官などを歴任した野中広務氏が26日午後、京都市内の病院で亡くなりました。92歳でした。

野中氏は京都府議会議員や京都府の副知事を務めたあと、昭和58年に行われた衆議院旧京都2区の補欠選挙で初当選し、7回連続で当選しました。

平成4年に、当時の自民党竹下派が分裂した際、派閥の会長代行だった小沢一郎氏の派閥運営を批判し、「反小沢」の急先ぽうとして頭角を現しました。

平成5年に、自民党が野党に転落したあと、細川連立政権の打倒に向け、中心的な役割を果たし、自民・社会・さきがけの3党連立による村山内閣の誕生に貢献しました。
村山内閣では自治大臣・国家公安委員長として初入閣し、地下鉄サリン事件をはじめ、オウム真理教による一連の事件解明の陣頭指揮にあたりました。

平成10年に誕生した小渕内閣では官房長官として政権を支え、対立関係にあった小沢氏が率いる自由党との連立政権や公明党を加えた3党連立政権の発足にも力を注ぎました。

その後、自民党幹事長に就任した野中氏は、加藤紘一氏らが森総理大臣の退陣を求めて内閣不信任決議案に同調しようとした、いわゆる「加藤の乱」の対応にあたりました。

平成13年に小泉内閣が発足すると、野中氏は一貫して小泉総理大臣の政治手法を批判し、小泉総理大臣からは「抵抗勢力」として位置づけられました。

平成15年の自民党総裁選挙で、再選を目指す小泉総理大臣への支持が広がりを見せる中、「退路を断って、最後の情熱と志を小泉政権を否定する戦いに尽くしたい」と述べ、小泉総理大臣の再選阻止を目指しました。
しかし、小泉総理大臣は再選され、野中氏はその年の衆議院選挙に立候補せず政界を引退しました。

一方で、野中氏はみずからの戦争体験から、いわゆる「ハト派」の論客として知られ、引退後も憲法改正に反対する考えを発信しました。

また、地下鉄サリン事件の解明を指揮したことから、地下鉄・霞ケ関駅で行われる犠牲者の慰霊式に毎年、足を運ぶなど、弱者に対するまなざしを大切にする政治家としても知られました。

野中氏は民主党政権だった平成23年、土地改良事業を推進する団体の会長を続けるうえで、政治的に中立な立場を明確にしたいとして、自民党を離党しましたが、おととし6月に復党していました。

野中氏は去年11月、体調の不良を訴え、26日午後、京都市内の病院で亡くなりました。

古賀誠氏「昭和が遠くなった」

古賀誠元自民党幹事長はNHKの取材に対し、「92年の野中氏の人生すべてが政治であり、国と国民のことを常に考えていた。エピソードは数え上げればきりがなく、つきあいすべてがエピソードだ。また1つ、昭和が遠くなった。お疲れさまでしたと申し上げたい」と述べました。

亀井静香氏「巨星おつ」

自民党の政務調査会長などを務めた亀井静香氏は、NHKの取材に対し、「『巨星おつ』という言葉に、私の気持ちを込めたい。極めて寂しい。野中氏は、国家、国民のことを真剣に考えて活動してきた政治家で、尊敬していた。政治の裏方に徹していたが、裏方がいてこそ、表の政治が動くものであり、今は、彼のような骨太の政治家がいなくなり、残念だ」と述べました。

青木幹雄氏「惜しい方を亡くした」

自民党の参議院議員会長などを務めた、青木幹雄氏は「非常に残念で、惜しい方を亡くした。奥様が島根の方で、長い間、おつき合いをさせていただいた。心から哀悼の意を表したい」というコメントを発表しました。

自由 小沢代表「信念の政治家」

自由党の小沢代表は「私が政治改革を志して、その道を進み始めた時から、考え方や政治的な立場は異なったが、その政治的手腕と力量にはほかの追随を許さないものがあり、同じ政治家として、いつも感服していた。ご自身の体験と経験に裏打ちされた深い哲学と思想を持たれ、常にそれに基づいて果断に行動されてきた信念の政治家であり、存在そのものに大きく重い説得力があったように思う」というコメントを発表しました。

立民 辻元国対委員長「平和のともし火消えた」

立憲民主党の辻元国会対策委員長は国会内で記者団に対し、「戦争体験者として、野中さんは日本の1つの良心であり、この時代にもう少し頑張ってほしかった。『戦争だけは絶対あかん』、『憲法9条は絶対守る』という意思が非常に強い方だったので、平和のともし火が消えてしまったのかなという気持ちで残念だ」と述べました。

京都 門川市長「志を引き継ぐ」

京都市の門川市長は「寂しいかぎりで、胸に大きな穴が空いたようだ。政治家として、人間として心から尊敬し、多くを学ばせていただいた。平和と人権を尊重し、社会的弱者に寄り添って、優しさあふれる政治家として生涯を貫かれた。高いお志に深く敬意と感謝を申し上げ、皆で引き継いでまいります」というコメントを出しました。

出身地では

野中氏の出身地、京都府南丹市園部町でもその死を惜しむ声が聞かれました。
60代の男性は「喫茶店でお見かけしたことがあり、私が目礼をしたら野中さんからも目礼を返していただき、いい人だなと思いました。国のために頑張った人で、園部町だけでなく日本の誇りだと思います」と話していました。
50代の男性は「地元に貢献した人で、地方議員から国会議員になってからも、園部町に尽力してくれました。芯が通っていて、自分がこうと思ったらやり遂げる方だった。亡くなられてとても残念です」と話していました。
 
 
 
 
 
 
 
 

ナチスと同じではないか!<私を返して・下>『旧優生保護法国賠訴訟』消えぬ差別 / 子ども 欲しかった ~健常者との間 まだ高い壁 2018.1.23 河北新報オンライン

2018-01-26 20:09:46 | 命 人権 差別

…兄夫婦から精神障害を理由に手術を迫られた。優生保護法が母体保護法に改定され7年がたっていた。
「障害者は結婚も子どもをつくることも許されないのか」。絶望した。
「法律が変わったのに、手術を強いられたのが悔しい。健常者と障害者の間には、まだ高い壁がある」文中より

 

<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(下)消えぬ差別/子ども 欲しかった

河北新報オンラインhttp://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180125_13057.html

2018年01月23日火曜日


避妊手術を強制された男性。当時の手帳(手前)には手術日が記されている
 

 旧優生保護法下で強制不妊手術を受けた宮城県の60代女性が30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。本人の同意のない手術により全国で約1万6500人、宮城県で約1400人が子を持つ人生を一方的に奪われた。母体保護法への改定後、障害を理由に手術を強いられた人もいる。偏見への恐怖で、これまで声を上げられなかった東北の被害者の実態から、今なお残る優生思想の陰を探る。(報道部・畠山嵩)


健常者との間 まだ高い壁

 使い古された2003年版の茶色の手帳。11月のページを開くと、26日の欄に鉛筆で書いた「手術」の二文字がある。避妊のためのパイプカット手術を受けた日だ。
 「子どもが欲しかった。だから結婚もした。手術は自分に対する殺人行為だ。忘れられるはずがない」
 岩手県に住む高橋功さん=60代、仮名=は、兄夫婦から精神障害を理由に手術を迫られた。優生保護法が母体保護法に改定され7年がたっていた。「障害者には子どもを育てられないという考えが絶対にあったはずだ」と推し量る。

 高校3年の時、統合失調症を発症。いじめなどが原因で幻覚を見始め、入院を余儀なくされた。高校卒業後は県内の大学に進んだが、なじめなかった。病状が不安定になり、半年もたたず退学した。
 母親が営む酒店の手伝い、機械を使ったプレス作業、役所の臨時職員、季節工…。生活のため、入退院を繰り返しながらできる限りの仕事に就いた。

 40代の時、当時勤めていた製作所で出会った女性と結婚を考えた。女性は統合失調症を患い、似た境遇。女性の両親も了承し、1995年に同居を始め、97年に披露宴を挙げた。
「子どもはつくるな」「籍は入れるな」。幸せな家庭を築こうとした矢先、兄夫婦は容赦ない言葉を浴びせた。仕方なく内縁関係を続ける中、女性は妊娠。1週間で流産した。兄夫婦の強い勧めで、女性は卵管を結ぶ不妊手術を受けた。ショックで病状が悪化し、再び入退院を繰り返すようになった。
 「パイプカットしないと一生入院させる」。披露宴から6年後、入院先で兄夫婦が主治医に告げた。同席したケースワーカーの女性も「とにかくパイプカットしなさい」と迫った。盛岡市の病院に移り、病室を訪れた兄夫婦と母親に無理やり同意書に印鑑を押させられた。


 2003年11月26日。車いすに乗せられて手術室に入り、局所麻酔をかけられた。暴れると、もっとひどい仕打ちを受けると思い、抵抗しなかった。「障害者は結婚も子どもをつくることも許されないのか」。絶望した。

 男性は今、生活保護を受けながら1人で暮らす。宮城県の佐藤由美さん=60代、仮名=が国に補償を求めて提訴することは知っている。被害者は声を上げるべきだし、国と闘うべきだと思う一方で、自分は優生保護法に基づいて手術されたわけではない。常に「救われない」との思いに駆られる。
「法律が変わったのに、手術を強いられたのが悔しい。健常者と障害者の間には、まだ高い壁がある」


[母体保護法]旧優生保護法が目的として定めていた「不良な子孫の出生防止」が障害者差別に当たるとの強い批判を受け、同法を改定する形で1996年に制定された。「目的」の条文から優生思想に基づく部分を削除したほか、知的障害や遺伝性疾患を理由に認めていた本人の同意に基づかない不妊手術など、優生思想に関連する規定も全て除かれた。

 

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ナチスと同じではないか!<私を返して・上>『旧優生保護法国賠訴訟』命ある限り訴える~葬られた生/幸せも夢も無駄に 2018.1.21 河北新報オンライン

ナチスと同じではないか!<私を返して・中>『旧優生保護法国賠訴訟』偽りの台帳 / 本人同意なく手術 ~強制的で人権を無視 2018.1.22 河北新報オンライン 


<ナチスと同じではないか!>わが日本とは実に恐ろしい国=合法的に女性の同意なしに16,500人に強制避妊手術を行った。衝撃です。 2018.1.25 武田 康弘

<ナチスと同じではないか!>”障害者の生殖機能はなくてよい”~旧優生保護法のもと同意なしに、宮城県内859人に強制不妊・避妊手術を。最年少は9歳 2018.1.25 河北新報

 

 

 

 


ナチスと同じではないか!<私を返して・中>『旧優生保護法国賠訴訟』偽りの台帳 / 本人同意なく手術 ~強制的で人権を無視 2018.1.22 河北新報オンライン 

2018-01-26 17:59:44 | 命 人権 差別

「問題は本人の同意なく強制的に、未成熟の段階で手術されたことだ。人権無視以外の何物でもない」と語る路子さん。「裁判を通じて実情を訴え、障害者が生きやすい社会につなげたい」と誓う(文中より)


<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(中)偽りの台帳/本人同意なく手術

河北新報オンラインhttp://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180125_13056.html

2018年01月22日月曜日


国と闘う由美さん(右)と路子さん。優生手術台帳(手前)には手術理由が「遺伝性精神薄弱」と記されていた
 

 旧優生保護法下で強制不妊手術を受けた宮城県の60代女性が30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。本人の同意のない手術により全国で約1万6500人、宮城県で約1400人が子を持つ人生を一方的に奪われた。母体保護法への改定後、障害を理由に手術を強いられた人もいる。偏見への恐怖で、これまで声を上げられなかった東北の被害者の実態から、今なお残る優生思想の陰を探る。(報道部・畠山嵩)

強制的で人権を無視

 「お姉さん、何運んでいくー」。宮城県内の自宅で昼食の支度をしながら、佐藤由美さん=60代、仮名=が同居の義姉路子(みちこ)さん=同=に元気良く声を掛ける。「お茶わん頼むね」と路子さん。実の姉妹のように仲の良い2人は、国と闘う同志でもある。
 由美さんは、1歳で受けた口蓋裂(こうがいれつ)手術の麻酔が原因とみられる重度の知的障害があり、込み入った会話は難しい。30日、旧優生保護法による不妊手術の補償を国に求める全国初の訴訟を仙台地裁に起こす。意思をうまく伝えられない由美さんに代わり、路子さんが支え続けて提訴に至った。
 優生手術台帳によると、由美さんは15歳の時、県内の公立病院で不妊手術を受けた。路子さんがその事実を知ったのは1975年に嫁いできた直後。風呂に入る由美さんに、へその下から縦に10センチ超の傷があるのを見つけた。
 義母から不妊手術による傷だと説明されたが、詳細は分からずじまい。義母は2年前に亡くなり、手術の理由を知る人がいなくなった。「なぜ手術する必要があったのか」。疑問が常に頭を離れなかった。

 2015年、強制不妊手術の被害を訴えていた飯塚淳子さん=70代、仮名=が日弁連に人権救済を申し立てたことを知り、「妹も同じだ」と気付いた。17年6月に手術に関する資料の開示を県に請求。翌7月に開示された台帳を見て、怒りがこみ上げた。
 「遺伝性精神薄弱」。申請理由の欄に、そう記されていた。由美さんの障害は口蓋裂手術が原因で、他に精神障害のある親族もいない。併せて請求した医学判定記録の成育歴には、遺伝性負因は「陰性」と明記されていた。「台帳と違う。全部うそじゃないか」。憤りを隠せなかった。
由美さんは22~23歳の頃、地域の知り合いを通じて縁談話が持ち上がったが、子どもが産めないことを理由に破談になった。30歳前には卵巣膿腫で右卵巣を摘出。医師には不妊手術が原因となった可能性を指摘された。「妹は卵巣摘出まで日常的に『おなか痛い』と言っていた」と振り返る。

 優生保護法が母体保護法に改定されて20年が過ぎた今も、地域の人から「障害者はどうやって生活しているんだ」と言われることがある。法律から障害者差別の言葉が無くなっても、障害者を差別する思想は残っていると実感する。
「問題は本人の同意なく強制的に、未成熟の段階で手術されたことだ。人権無視以外の何物でもない」と語る路子さん。「裁判を通じて実情を訴え、障害者が生きやすい社会につなげたい」と誓う。


[優生手術台帳]
強制不妊手術の対象者の氏名や住所、手術申請理由、手術場所といった個人情報が記された書類。優生保護法施行以降の優生保護申請書綴(つづり)や優生手術審査会関係綴の内容を転記した物で、永年保存することになっている。宮城県は台帳を保存しているが、1962年度分の申請書、審査会の両綴を誤って焼却処分したため転記できず、現在は63年度以降の台帳しか残っていない。

 

 

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ナチスと同じではないか!<私を返して・上>『旧優生保護法国賠訴訟』命ある限り訴える~葬られた生/幸せも夢も無駄に 2018.1.21 河北新報オンライン

2018-01-26 17:07:10 | 命 人権 差別

<ナチスと同じではないか>・・・戦後の話です。
都道府県設置の審査会が認めれば本人の同意なく不妊手術をできると規定。12条は遺伝性疾患以外でも、保護者の同意と審査会の決定があれば手術ができるとした。

53年の国の通達は、手術のために身体拘束や麻酔の使用、被害者をだます行為も認めていた。

 

<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に

河北新報オンラインhttp://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180125_13055.html

2018年01月21日日曜日

かつて診療所があった場所を指し示す飯塚さん。建物は消えても、手術の記憶は残っている

 
 

飯塚さんへの優生手術の必要性を認めた宮城県の判定書。「精神薄弱者」「軽症魯鈍」の文言が記されている

 

旧優生保護法下で強制不妊手術を受けた宮城県の60代女性が30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。本人の同意のない手術により全国で約1万6500人、宮城県で約1400人が子を持つ人生を一方的に奪われた。母体保護法への改定後、障害を理由に手術を強いられた人もいる。偏見への恐怖で、これまで声を上げられなかった東北の被害者の実態から、今なお残る優生思想の陰を探る。(報道部・畠山嵩)


命ある限り 被害訴える

 愛宕橋(仙台市太白区)を越え、路地に入った先に駐車場が広がる。ここには1962年6月から約10年間、宮城県が運営する強制不妊手術専門の診療所があった。
 「何も知らされず子どもを産めない体にされた。人生が全て無駄になった」
 飯塚淳子さん=70代、仮名=は16歳の時、卵管を縛る手術を受けた。軽度の知的障害を示す「魯鈍(ろどん)」が理由。「遺伝性の障害はなかったのに」。今でも怒りで声が震える。
 7人きょうだいの長女として県沿岸部で生まれた。父親が病弱で家庭は貧しかった。民生委員から「生活保護を受けているなら、優生手術を受けないと」とでたらめな説明をされ、中学3年の時に仙台市内の特別支援学校に移された。
 卒業後は知的障害者の職業訓練をする「職親」の下、住み込みで働いた。「他人の子だから憎たらしい」。背中に馬乗りになった職親の奥さんに言われた。ある晩、つらさのあまり逃げ出したが、すぐに連れ戻された。

 63年1月、県の精神薄弱更生相談所(当時)で知能検査を受けさせられた。判定書は「身体的異状認めず」「態度良好」とする一方、「魯鈍」「優生手術の必要を認められる」とも記載。間もなく、行き先や目的を告げられないまま奥さんと愛宕橋を渡った。
 診療所には、なぜか父親もいた。言葉も交わさず病室に入ると、注射を打たれた。気が付くと病室のベッドで寝ていた。その間の記憶はない。後日、実家で偶然、両親の会話を聞き、子どもを産めない体になったと知った。
 生理のたびに耐え難い激痛に襲われた。仕事もままならず、介護職の夢も断念した。卵管の糸をほどくため東京都の病院を回ったが、縛るよりはるかに難しく、無理だった。子どもは諦めきれず、23歳の時に養子をもらった。
 「国に補償と謝罪を求める」と決意し、20年ほど前に名乗り出た。日弁連に人権救済を申し立てるなどしたが、国は「当時は合法」の一点張り。他に訴え出る仲間も現れず、独りで声を上げ続けた。

 昨年7月、宮城県在住の佐藤由美さん=60代、仮名=が被害を公表した。「新しい人に出てきてほしかった。頑張り続けたかいがあった」。涙が止まらなかった。由美さんは30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。
 自分は訴訟に参加できない。手術理由などを記した「優生保護申請書綴(つづり)」を県が焼却処分し、証拠がないためだ。左胸には乳がんを抱えるが、訴訟に懸ける思いは誰よりも強い。
「人生を奪った国はきちんと責任を取るべきだ。自分が死んでも被害者が国を追及できるよう、命ある限り被害を訴える」


[強制不妊手術]
「不良な子孫の出生防止」を目的に1948年施行の優生保護法の下、母体保護法に改定される96年まで実施された。優生保護法4条は遺伝性疾患を持つ患者に、都道府県設置の審査会が認めれば本人の同意なく不妊手術をできると規定。12条は遺伝性疾患以外でも、保護者の同意と審査会の決定があれば手術ができるとした。53年の国の通達は、手術のために身体拘束や麻酔の使用、被害者をだます行為も認めていた。

 

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<ナチスと同じではないか!>”障害者の生殖機能はなくてよい”~旧優生保護法のもと同意なしに、宮城県内859人に強制不妊・避妊手術を。最年少は9歳 2018.1.25 河北新報

2018-01-26 15:32:44 | 命 人権 差別

<ナチスと同じではないか!>
”障害者の生殖機能はなくてよい”
~旧優生保護法のもと、同意なしに強制不妊・避妊手術を・・・

 

<強制不妊・避妊手術>宮城県内859人 旧優生保護法 最年少は9歳

河北新報オンライン http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180125_13023.html

2018年01月25日木曜日

 

 「不良な子孫の出生防止」が目的の旧優生保護法で1963~81年度、宮城県内で少なくとも859人が強制不妊・避妊手術を受けていたことが24日、県への取材で分かった。最年少は9歳だった。同法は年齢制限の規定がなく、法の目的達成のため行政側が手術を推し進めた可能性が浮かび上がった。
 県内で手術を受けた人の数はグラフの通り。県が所有し手術の申請理由などが記された63~86年度の優生保護台帳に基づき、県が集計した。
 手術者が1人の年度を除く各年度で女性が半数を超え、女性に対し積極的に不妊手術を実施したことがうかがえる。全体の約37%に当たる320人が男性で、男女問わず手術が行われた実態も明らかになった。
 63年度と74年度には、それぞれ9歳女児が不妊手術を受けた。手術理由とされた「遺伝性精神薄弱」は、この2人を含む771人(全体の約90%)の手術理由になった。
 旧優生保護法による強制手術について、立命館大生存学研究センターの利光恵子客員研究員(生命倫理)は「『障害者の生殖機能はなくてよい』という差別と偏見に基づいた非人道的な措置だ。(都道府県が設置した)優生保護審査会が手術を認めたことに驚きを禁じ得ない」と指摘する。
 強制手術を巡り、宮城県内の60代女性が15歳時に不妊手術を強いられたとして、国に補償を求める全国初の訴訟を30日、仙台地裁に起こす。