宜野湾市民大会:求めたのは当たり前の権利 保護者や市民600人、切実な声
「のびのび暮らせる空を返せ」「私たちが生まれた土地、ふるさとを返せ」。宜野湾市役所前で29日に開かれた「米軍基地被害から子どもを守り、安心・安全な教育環境を求める市民大会」で、集まった約600人が子や孫の未来を思いながら叫んだ。政治家が壇上に立つ集会とは違い、イデオロギーとは関係ない市民や保護者らの切実な声。墜落や落下物の恐怖におびえなければいけない異常な日常に怒り、人間として当たり前の権利を訴えた。
慌ただしい年末の曇り空の下、会場には多くの親子の姿があった。幼い子を抱いて参加した父親、子の手を握ったまま登壇者の訴えを聴いていた母親、冷たいアスファルトの上に座り込み「普天間基地即時撤去」のプラカードを掲げた市民や教育関係者たち。
普天間第二小学校の卒業生でわが子も通っているという父親はマイクを握り、「私が通っていた30年前と何も変わらない。すべての米軍基地はいらない」と毅然(きぜん)と訴えた。緑ヶ丘保育園に子どもが通う母親は「安心・安全な当たり前の空の下で、子どもを遊ばせたい」と涙をこらえた。
そんな大会の最中にも、落下事故を起こした同型機やオスプレイはわが物顔で上空を飛び交っていた。米軍機が上空を通過するたびに、顔を上げて空を不安げに見つめ、にらむ参加者。大会決議では「いつまで理不尽な生活を強いられなければならないのか」と日米両政府や無関心な人たちに怒りをぶつけた。
夫と娘2人と参加した女性(41)=宜野湾市=は、誹謗(ひぼう)中傷で二重の苦しみを抱える同園や同小の保護者の気持ちを思い「子どもが安心して過ごせるはずの場所で恐ろしいことが起こり、ショックが大きい。同じ親として心が痛い」と語った。
同小6年の娘を誘って参加した会社員の女性(46)=同市=は「今できることは集会に足を運び、事故へ抗議する声を上げることだと思い参加した。娘が、今日の大会で何かを感じてほしい」と話した。
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けどな ふうちゃん
沖縄を知るということは
ただ沖縄を知るということだけの話やない
沖縄を知るためにはずいぶん悲しい思いをしなくてはならないし恐いことにも耐えなくてはならんのや」
(灰谷健次郎「太陽の子」より)
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昨日(2017年12月29日)の米軍部品落下に対する抗議市民大会。
子どもの安全が最も守られなければならない場所で
起きた理不尽に対して怒りの声をあげるのは当然だ。
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『あり得ない事が起きた上にいわれのない誹謗中傷にどれだけ苦しめられてきたか』
保育園の保護者の声は胸を締め付けられる。
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この痛みに
〝同苦〟できない人がいることが今の日本の姿だ。
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『保育園上空の飛行禁止を求め、子ども達に堂々と
〝もう大丈夫だよ。空からは雨しか降ってこないよ〟と言えるように行動していく。』
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灰谷は作品の中で沖縄の言葉『ちむぐりさ(肝苦しい)』を紹介している。
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沖縄の言葉に〝かわいそう〟はない。
誰かの悲しみや苦しみを見ると自分も同じように『心=肝(ちむ)』が痛くなる。苦しくなる…。
それがウチナーンチュなんだ。