爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

「いまある物」に感謝する

2022-02-10 17:44:04 | 日記
「人徳」とは、人間が自然から得た物である。

徳とは「得」なのである。

自然から貰った物なのである。

「徳とは身に得る事なり」

これは名高い「韓非子」の言葉である。

徳とは天から自分の体に得た生命であると。

私たちの日常の生命活動は、全て天徳(自然・宇宙の生成力)に依って

夜になれば寝る。
朝になれば食べる。
食べれば胃が消化する。
腸が栄養分を摂って、エネルギーを体全体に働かせる。
血が運行する。
筋肉が力を逞しくする。

その筋肉だって、前頭筋、後頭筋、眼輪筋、口輪筋、笑筋、三角筋、大胸筋…と三百種以上の筋肉が働いて、笑ったり、泣いたりしている。

これらの働きと肉体を、一体誰が生成し、運行していると思っているのか。
自然から得た生命力でやっているのに、決まっている。

これは理屈ではない。
事実なのだ。

それなのに、生きている間に、その偉大な力に一度も感謝しない。

「徳を知る者は鮮し」ー宇宙がけしからんッと、怒っているぞ。

私たち人間は、男女が結婚し子どもを作っている。

人間の男女という存在は、真に貴重であるが、人間の力だけでは、赤ちゃんは作れない事を考えて欲しい。

私たちは毎日に自分の体力と能力を総動員して、社会生活を送って、他の動物には手の届かない、豊かな人生を全うしているが、空気が無くては生きて行けない。

太陽の光が無くては成長出来ない。

その事に気が付かずCO2で天空に穴を開けているから「無礼な事をするなあッ」と、宇宙がムカつくのだ。



理想論を出さない

2022-02-09 08:36:27 | 日記
ある時に人を思いやって、仁の道に生きるには、こうすれば良いんだよ…と、孔子の弟子の子夏がこう説いた。

「まずは博く学ぶ事だね」。

特にこの一回こっきりの人生を、怖れる事なく喜んで幸福に生きる為の、先人たちの知恵をよく学ぶ事だ。

学んでも分からない時は、正師に質問して十分に理解したまえ。

次に常に、この世の同じ時代に生きている人たちの幸福と安定の為に、自分なりに尽くす事を、深く覚悟しなさい。

その次には、あまりにも難しい哲学とか理念とかに、深入りしてはいけないね。

机上の空論を振りかざす様な事は、何よりも人に迷惑を及ぼすから。

人生をお互いに楽しく生きる為には、高遠な理想を振りかざして威張ってはいけない。

身近にいる妻がどんな苦しみを持っているか、子供たちが何に悩んでいるか、友だちがどんな苦難に直面しているか、自分の心は虚しくして、穏やかに皆なの意見を聞いてやる事だ。

女性は男性よりも賢く、体力も遥かにしっかりしている。

子どもを産むという人類恒存の最尊のお仕事をなさって下さっている訳だから、充実した才知と体力を天から授かる。

ところが、女性が結婚して出産するや、そのエネルギーの全てを子育てに費やす為、社会生活におけるスタートラインは、男性よりもずっと後ずさりする。

この事は、時に大変な女性の苦悩となる。

男子たるもの、朝に夕に「ありがとう。お陰さまだよ」と言葉をかけたい。

そうすれば、女性は落ち込んだり、うつになったりしない。





古きものから学ぶ

2022-02-08 03:43:46 | 日記
孔子の言葉の中で、もっとも好まれている「温故知新」だ。

古くから今日まで伝わっている、思想や生き方を謙虚に学ぶ。

軽率な批判などをせずに、古典を正しく深く理解する。

その上で現実の社会をよく観察して、混乱や苦悩を収める新しい考えを、発見して行かなくてはならない。

孔子は「礼記」や「易経」に学んだ。

老子はこう言っていた。

孟子はこう言っていた。

吉田兼好はこう言っていた。

利休はこう言っている。

芭蕉はこう言っていると、そこにばかり停滞していたのでは、ほとんど意味がない。

過去の思想を十分に究めると共に、現代に即応した新しい物の見方や考え方を発見してこそ、学問という物の意義かある。

素晴らしい文化と伝統を持った国民は、それだけで何かに付けて心丈夫な筈である。

私の知友のアメリカ人は、いつもこう言っていた。

「日本は良いなあ、京都や奈良だけではなく、どこの県に行っても、江戸時代から続いている、寺や文化遺産が沢山ある。田舎の田んぼの畦道に立っているお地蔵さんでさえ、そこに天保十年などと刻んであるのを見ると、何故かホッとするんですよ。
アメリカには、新しいゴージャスな建物はいくらもあるが、古いと言っても百年かせいぜい二百年前の教会か、牧場の跡しかないんだよ。
日本人はもっともっと日本の文化・伝統をしっかり学んで、その尊さを自覚しないといけないんじゃない?」と。

確かに今日、日本人くらい自国の文化や伝統、培われてきた生活的思想に、無知な国民はいない。

古きに学ばず、テレビやインターネットだけが、物を見る窓であると。




他人の評価

2022-02-06 09:31:14 | 日記
いくら真面目に頑張っても、日毎に新しい苦しみや悩みが、押し寄せてくる。

ああ、やっと一難去ったと思うや、すぐに心配や悲しみが愚痴が出てくる。

滝に掛かった処で、座禅を組んだ処で、病んだ心が直ぐさま晴れる事はない。

「カーッ」と怒鳴って、嘆きや憂いを吹き飛ばすせッ…と言われて「カーッ」と思い切り大声を張り上げても、大した効果はない。

しかも、悩みをそのまま放っておけば、知らないうちにどんどん深く大きくなってくるから、困ったものだ。

孔子は「楽しみて以て憂いを忘る」と言っている。

心配事や悩みを失くすには、別に難しい修行は要らない。

人生に楽しむ時間を作る事だ。

自分の生活の中に、少しでも多く楽しむ時間を作れば、憂いは無くなる。

楽しむには、必ずしもお金は要らない。

もしお金が無いなら、水の美しい流れとせせらぎの音を楽しめばいい。

緑の山を流れる雲の姿を楽しめばいい。

それが出来るのが、人の知恵である。

楽しむ事の下手な人は、とかく責任感の強すぎる人が多い。

責任感というものは、社会生活の上で必要な倫理には違いないが、極端に完璧主義者の人は、責任感の為に常に重いプレッシャーを感じ、生きている楽しみを忘れてしまう。

さらに完璧主義者の人は、とかく他人が自分をどう見てるかを、気にしすぎている場合がほとんどだ。

人の目を受け流す事が出来ないと、悩みが溜まる。

そんな時には、波立つ大海原に両手をかざし、絶え間ない波音を楽しんでみては。













困った時こそ

2022-02-04 22:06:19 | 日記
人生は一回しかない。

一回こっきりの人生が終わったら、再び人間として、この世で生きる事は出来ない。

宇宙の生命の中で、私たち人間ほど沢山の宝を貰って、生きている者はいない。

宇宙が人に与えてくれた、その宝の中で最も貴重な物は「楽しむ事が出来る」という能力だ。

そしてもう一つ「楽しみて然る後に笑う」ー楽しんだ後で「笑う事が出来る」という能力なのだ。

人は笑えば笑うほど、元気になる。

人は楽しめば楽しむほど、幸せな気持ちになれる。

人生をうまく生きるには、さほど難しい哲学は要らない。

大いに楽しんで、思い切って笑って生活していればよい。

反対に「ああ、疲れた」「ああ、面白くない」「ああ、つまらない」と、ボヤけばボヤくほど、しょぼくれる。

孔子の言葉に「笑う事を厭わず」がある。

「忙しくて、笑ってなんかいられないッ」では困る。

「笑う門には福来る」を、自分の生活でしっかり実践したい。

バウムクーヘン屋さんで、とても流行っている店がある。

どこの出店にも沢山の人が並んでいる。

その中にも、いろいろな人がいる。

「おい、早くしてくれよ。新幹線の時間に間に合わないぞ」と、イライラして怒っている人。

「うえッ、この間はこんなに長い行列じゃなかった。ついてないね、今日は…」と、クヨクヨしている人。

「ほら、ご覧なさい。やっぱり美味しいのよ。こんなに並んでいるわ」と、ニコニコ笑っている人…など。