1994年8月19日。
遂に北海道最終日がやってきました。いい天気です。
札幌YHを出発し、まず札幌時計台に向かいました。どんなところだろうと期待して言ったのですが、ビル街の一角に地味に佇んで存在してました。
私達の他にもライダーが10人くらいいてましたが、ビミョーに拍子抜けした私達は、時計台の写真を撮るのを忘れてしまったようです。
時計台の次に、クラーク博士像を見に行きました。
像のまえできちんと撮りたかったんですが、やたらハイテンションのおばちゃんがいて、なかなか像の前から去ってくれなかったので、こんな構図になりました。
この後は、札幌の町中に戻って、名前は忘れたけどおいしいと聞いたラーメン屋さんに昼飯を食いに行きました。
店に到着したのはたしか11時前でした。開店前だったにもかかわらず、店の女将さんが「大丈夫だから入っておいで」と言ってくれて、私達二人だけ店に入りました。
ラーメンを注文して食べていると、女将さんが「遠くから来てくれたから」と言って大きな鮭の切り身をサービスで出してくれました。
二人でありがたくいただきました。北海道大好きです。
昼食の後はおそらく国道230号で中山峠を越えて洞爺湖まで南下し、昭和新山を見物しました。
上の写真と同じポーズしてますね…
ここに併設されている、三松正夫記念館も見学しました。
Wikiで調べると、記念館は1993年に開館したらしいので、ちょうどいい時に行ったみたいです。
ところで、帰りのフェリーは室蘭港から出るのですが、まだ時間に大分余裕が有ったので、東に向かって洞爺湖畔を通り、苫小牧に出て海岸線を室蘭まで戻るルートで走りました。
2000年に有珠山が噴火してエライ事になったので、多分この時通った支笏湖までのルートは無くなってると思います。
ところで苫小牧付近の海岸線は、荒涼とした草原が広がってましたが、今も変わってませんね。
そして夕方6時頃、私達は無事室蘭港に到着しました。
フェリーターミナルで晩飯を食べてフェリーに乗船し、いよいよ出港です。
フェリーが岸壁から離れていきます。
室蘭のユースホステルで会ったお姉さんに「最初で最後の北海道ツーリング」と言ったのも忘れて、「また来るからな」と叫んでしまいました。
「また来る」が実現するのは、これから15年も後になるとは、この時は思いもしませんでした。
フィルムカメラ時代なので、フェリー乗船時の写真なんか撮ってません。
昭和新山の写真がフィルムの最後でした。
8月20日の夜、フェリーは大洗港に到着し、その日の深夜、当時住んでいた栃木県小山市に無事帰還しました。
翌21日も休暇を取っていて、洗車やら洗濯やらを行って、体を休めました。
1993年3月に中型限定免許取得、同年8月に限定解除、1994年4月に初の1泊ツーリング、その次の宿泊ツーリング同年8月で10泊11日の北海道ツーリングでした。
いやー若いっていいですね。
でも、いろんなところを観光したから、走行距離3000km行ってませんでした。一日平均200km強くらいだったと思います。
この北海道ツーリングは、私の旅行に対する価値観を根底から覆すものになりました。
それまで私は、旅行とは観光場所、宿泊場所があらかじめ決まっていて、それらを繋ぐようにスケジュールを決めて巡って行くものと思ってたんですが、このツーリングは行きと帰りのフェリー以外は何も決まっておらず、現地で会った旅人たちから情報を仕入れて、天候と相談しながらルートを決めて、たどり着いたところで宿を取る、行き当たりばったりの旅だったのです。
凄く新鮮な感動を覚え、重い病気に罹ってしまいました。
このツーリングを決行してなかったら、もうバイクに乗ってなかったかもしれません。
やっぱりいいよ。北海道。
おしまい。
と、ここまで書いて、出発時のトラブルを思い出しました。
栃木から大洗まで走行していると、私のVF750Fに何度もガス欠症状が出て、止まってしまったのです。
ガソリンは十分入っているし、いったい何でやろと思ってたんですが、どうやら原因は私が後付けした燃料フィルターで、ここの抵抗が大きく、キャブに十分なガソリンを供給できていなかった様なのです。
夜になり暗くなって、もう諦めようと思っていた時に、燃料フィルターが怪しい事に気がつきました。でも、燃料フィルターを外すと、タンクからキャブまでホースが届きません。
その時、バッテリーのブリーザーチューブに耐油ホースを使ってたことを思い出し、外してみると、タンクからキャブまでの長さも十分足りることが分かり、ホースを交換し、難局を乗り切ることができました。
人間窮地に追い込まれたら、いろんな事を思いつくものですね。