私の部屋2

趣味のバイクネタが中心です。
ツーリングが大好きです。

初めての北海道ツーリングその9

2017年10月21日 | バイク

1994年8月19日。

遂に北海道最終日がやってきました。いい天気です。

札幌YHを出発し、まず札幌時計台に向かいました。どんなところだろうと期待して言ったのですが、ビル街の一角に地味に佇んで存在してました。

私達の他にもライダーが10人くらいいてましたが、ビミョーに拍子抜けした私達は、時計台の写真を撮るのを忘れてしまったようです。

時計台の次に、クラーク博士像を見に行きました。

像のまえできちんと撮りたかったんですが、やたらハイテンションのおばちゃんがいて、なかなか像の前から去ってくれなかったので、こんな構図になりました。

 

この後は、札幌の町中に戻って、名前は忘れたけどおいしいと聞いたラーメン屋さんに昼飯を食いに行きました。

店に到着したのはたしか11時前でした。開店前だったにもかかわらず、店の女将さんが「大丈夫だから入っておいで」と言ってくれて、私達二人だけ店に入りました。

ラーメンを注文して食べていると、女将さんが「遠くから来てくれたから」と言って大きな鮭の切り身をサービスで出してくれました。

二人でありがたくいただきました。北海道大好きです。

昼食の後はおそらく国道230号で中山峠を越えて洞爺湖まで南下し、昭和新山を見物しました。

上の写真と同じポーズしてますね…

ここに併設されている、三松正夫記念館も見学しました。

Wikiで調べると、記念館は1993年に開館したらしいので、ちょうどいい時に行ったみたいです。

ところで、帰りのフェリーは室蘭港から出るのですが、まだ時間に大分余裕が有ったので、東に向かって洞爺湖畔を通り、苫小牧に出て海岸線を室蘭まで戻るルートで走りました。

2000年に有珠山が噴火してエライ事になったので、多分この時通った支笏湖までのルートは無くなってると思います。

ところで苫小牧付近の海岸線は、荒涼とした草原が広がってましたが、今も変わってませんね。

そして夕方6時頃、私達は無事室蘭港に到着しました。

フェリーターミナルで晩飯を食べてフェリーに乗船し、いよいよ出港です。

フェリーが岸壁から離れていきます。

室蘭のユースホステルで会ったお姉さんに「最初で最後の北海道ツーリング」と言ったのも忘れて、「また来るからな」と叫んでしまいました。

「また来る」が実現するのは、これから15年も後になるとは、この時は思いもしませんでした。

フィルムカメラ時代なので、フェリー乗船時の写真なんか撮ってません。

昭和新山の写真がフィルムの最後でした。

8月20日の夜、フェリーは大洗港に到着し、その日の深夜、当時住んでいた栃木県小山市に無事帰還しました。

翌21日も休暇を取っていて、洗車やら洗濯やらを行って、体を休めました。

1993年3月に中型限定免許取得、同年8月に限定解除、1994年4月に初の1泊ツーリング、その次の宿泊ツーリング同年8月で10泊11日の北海道ツーリングでした。

いやー若いっていいですね。

でも、いろんなところを観光したから、走行距離3000km行ってませんでした。一日平均200km強くらいだったと思います。

この北海道ツーリングは、私の旅行に対する価値観を根底から覆すものになりました。

それまで私は、旅行とは観光場所、宿泊場所があらかじめ決まっていて、それらを繋ぐようにスケジュールを決めて巡って行くものと思ってたんですが、このツーリングは行きと帰りのフェリー以外は何も決まっておらず、現地で会った旅人たちから情報を仕入れて、天候と相談しながらルートを決めて、たどり着いたところで宿を取る、行き当たりばったりの旅だったのです。

凄く新鮮な感動を覚え、重い病気に罹ってしまいました。

このツーリングを決行してなかったら、もうバイクに乗ってなかったかもしれません。

やっぱりいいよ。北海道。

おしまい。

 

と、ここまで書いて、出発時のトラブルを思い出しました。

栃木から大洗まで走行していると、私のVF750Fに何度もガス欠症状が出て、止まってしまったのです。

ガソリンは十分入っているし、いったい何でやろと思ってたんですが、どうやら原因は私が後付けした燃料フィルターで、ここの抵抗が大きく、キャブに十分なガソリンを供給できていなかった様なのです。

夜になり暗くなって、もう諦めようと思っていた時に、燃料フィルターが怪しい事に気がつきました。でも、燃料フィルターを外すと、タンクからキャブまでホースが届きません。

その時、バッテリーのブリーザーチューブに耐油ホースを使ってたことを思い出し、外してみると、タンクからキャブまでの長さも十分足りることが分かり、ホースを交換し、難局を乗り切ることができました。

人間窮地に追い込まれたら、いろんな事を思いつくものですね。

 

 

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初めての北海道ツーリングその8

2017年10月20日 | バイク

1994年8月18日。

多分朝8時頃。バス旅行の人を見送ってから、宿のマスターと残った宿泊者全員で写真を撮りました。

ごらんの様にこの日も雨模様だったので、この日の写真はこれ一枚だけです。

ぼちぼちいこかは、この頃雄冬に有ったんですが、2000年頃に増毛に移転しています。

この宿には、2009年と2017年にも宿泊しました。

マスターも私もこの頃に比べるとさすがに「歳取ったなー」感が有ります。

そしてご多分に漏れず、雨なので写真がありません。

この後は日本海沿いに国道231号を南下し、小樽に向かいました。

昼飯に寿司を食べるのが目的でした。

小樽に着くまで雨脚は弱まることは無く、寿司屋の前でカッパを脱いで、二人でカウンターに座って寿司を食べました。

この後は余り走り回っても面白くなさそうなので、午後3時頃札幌のYHにチェックインしました。

札幌YHの受付で、防犯対策として向かいの有料駐車場にバイクを停めた方がいいと進められ、500円払って駐輪しました。

札幌YHは学生の合宿場の様な雰囲気で、ビルの中の大広間にたくさん布団を敷いて大勢で寝るパターンでした。

ペアレントってどこ?みたいな雰囲気でした。

部屋に荷物を置いたら、北海道最後の晩餐と言うことで、札幌ビール園で夕食としました。

ビール園では、YHの受付で出会って会話したオフ車でソロツーリングしてた兄さんと会ったので、同じテーブルで食事しました。

何回か書いてますが、カメラがデジタル時代に突入するまでは、料理の写真を撮るなんて発想は微塵も有りませんでした。フイルムが無くなったら終わりですからね。

そして夕食後、近くの歓楽街すすきのに行きたい気持ちがあったんですが、有ろう事かこの時は激しい睡魔が襲ってきて、YHに直行で爆睡してしまいました。

すすきのリベンジは、まだ果たせてません。

続く。

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初めての北海道ツーリングその7

2017年10月19日 | バイク

1994年8月17日。

浜頓別YHを出発して、最北端の宗谷岬に向かいました。

前夜、ユーノスロードスターの二人組から、「モケウニの沼に行ってみたら」と言われていたので、二人で気を付けながら走ったのですが、発見できずに宗谷岬まで行ってしまいました。

この時は、エサヌカ線が有ったかどうか分かりませんが、国道238号で北上してました。

宗谷岬手前の最北端のガソリンスタンドで給油して、証明書と貝殻のノベルティをもらいました。

で、初最北端の記念写真です。

雨は降ってなかったのですが、雲行きが怪しかったのでカッパを来てます。

この後、お隣のノシャップ岬に立ち寄りました。

今はきれいに整備され、土産物屋が建ってますが、当時はやや寂れた感のある、素朴な岬でした。

因みに2016年はこんな感じです。

当時はフェンスすら無かったんですね。

ノシャップ岬に有った食堂でウニ丼を食べて、オロロンラインを南下しました。

小雨が降る中でしたが、数え切れないくらい多くのバイクとすれ違い、手を降り続けながら走ったのを覚えています。

日本海側を南下しながら宿を探し、雄冬のとほの宿「ぼちぼちいこか」に到着しました。

大阪出身の私は、北海道でなぜかコテコテの関西弁の宿に、親近感を覚えました。

宿に荷物を置いて、マスターから海水浴場(多分別狩海水浴場です)が近くにあると聞き、バイクで20分ほど南に走り、短い海水浴を楽しみました。

ぼちぼちいこかには、ライダー、チャリダー、バス旅行者など、いろんな旅人が集まりました。

夕食は皆でジンギスカンを食べて、その後はマスターのギターリサイタルでした。

私も一曲弾かしてもらいました。

続く。

 

 

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初めての北海道ツーリングその6

2017年10月18日 | バイク

1994年8月16日。

朝8時頃、層雲峡の民宿を出発しました。

ここから北上して、最北端方面に向かうのです。

朝は雨は降っていなかったのですが、旭川を過ぎる頃から雲行きが怪しくなり、音威子府、中頓別付近では、カッパを着て走りました。

この頃、カッパは持ってましたが、雨様グローブやブーツカバーを持っていなかったので、浜頓別YHに着く頃にはびしょ濡れになってしまいました。

写真ですが、YHに着くまで一枚も撮ってませんでした。

浜頓別YHについてしばらくすると、雨は上がりました。

この日は、ユーノスロードスターで旅する男性二人組と、GSX-R1100でやって来たライダーと話が盛り上がりました。

ロードスターの二人組は、普段は二人ともFJ1200に乗っているけど、片方のバイクが故障したので、車にしたそうです。

タンデムも考えたけど、やっぱり止めたとも言ってました。多分それは正解です。

YHで夕食を食べ終わると、ペアレントが、クッチャロ湖に夕日を見に行こうと誘ってくれました。

そして、ロードスターの人に撮ってもらった写真がこれです。

このツーリングでいちばんお気に入りの写真です。

忘れてたけど、こんな写真も撮ってました。

この日の写真はこれだけです。

浜頓別YHは、サイロの形をした建物が印象的だったんですが、2004年に閉館してしまいました。

ここもちょっと寂しい思い出の場所になってしまいました。

建物の写真を撮っておけば良かったです。

ところで、ロードスターの二人組の方が、彼らのカメラで写真を撮ってくれて、「後日送ってあげる」と言われたので住所を書いて渡したんですが、未だに送られてきません。あの写真は今はどこにあるんでしょうか。謎です。

続いたらいいな。

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初めての北海道ツーリングその5

2017年10月17日 | バイク

1994年8月15日。

羅臼のRH「赤い屋根」を朝6時30分頃出発しました。

もちろん、知床峠横断道路を走ります。

羅臼側から上ってウトロ側に下るんですが、途中で知床五湖の遊歩道を歩き、その後カムイワッカの湯まで走りました。

カムイワッカの湯までは片道10kmのダートで、谷側にはガードレールも無い結構ドキドキする道路でした。

滝壺が温泉になっていて、上流に行くほど湯が熱くなる、珍しい温泉でした。

岩肌を上ってちょうどいい湯加減のところに浸かりました。

でも、この辺りで撮った写真はこれ一枚だけです。

もっと撮っときゃよかった。

カムイワッカの湯までの道は、今では交通規制も掛かるし、危険だからと言う理由で、上の滝壺には行けなくなってるそうです。

上の滝壺に行くには、岩肌を登って行かなければならないのですが、もし転落して大怪我しても、救急車が来るまで1時間以上掛かりますからね。

この時行っといて良かったです。

温泉に浸かった後はウトロ側に降りて、オシンコシンの滝を横目に見て、網走に向かいました。

途中で撮った写真です。

これもどこか分かりませんが、トウフツ湖だと教えてもらいました。

グーグルアースで探してみました。多分ここです。

23年前には、家のパソコンでインターネットでこんなことができるなんて、夢にも思ってませんでした。

網走ではお約束の網走監獄に行ったんですが、写真を撮ってないみたいです。

と、ここまでは天候に恵まれたツーリングだったんですが、この後は雨に見舞われることになりました。

網走から層雲峡まで走ったんですが、層雲峡に近づいた辺りから、雨が降ってきました。

層雲峡では観光案内所で、民宿を紹介してもらいました。

よく覚えてないんですが、ここはどうやら「山小屋」という民宿のようです。

でも、今はないみたいですね。ちょっと寂しい。

宿で温泉に浸かる頃には大雨が降ってきたのですが、翌朝は上がってました。

ここで朝食を食べていた時、一組のカップルと同じテーブルになりました。

挨拶のついでに「ご夫婦ですか?」と聞くと「そうです」と答えてくれました。

彼らは車でキャンプしながら旅をしているけど、雨になったから宿を取ったと言ってました。

あのカップルは今どうしてるんでしょうか。

続くと思います。

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