久万 ほうねんじ のブログ

法然寺でのスローなできごと。

永代供養に思うこと

2020年08月11日 | 日記
お盆参りも3日目になりましたが、ますます気温も上がっています。
台風の影響か夕立のような雨がザッと降ったりしますが、逆に湿度が上がってサウナのようになります。



↑檀家さんの軒先で見つけました。大きくなったツバメの子。近くに巣もなく、親の姿もありません。そろそろ巣立ちなんですね。
人間の巣立ちは約20年程かかりますが、ツバメは僅か20日程。
人間は親子の情が深いぶん「過保護」や「ひきこもり」「ニート」などの親離れ子離れができない家族も多いですが、ご先祖の事は「親まかせ」な家が多いと感じます。

お盆のお参りの中で、施主さんから「こないだ熱中症になって救急車で運ばれたんよ」「自転車でコケて骨折して入院しとったんよ」等の身の上話や、いつもの施主さんの姿が見えないので「今日は○○さんは?」と聞くと「施設に入ったんですよ…」と仕方ないことですが厳しい現実を聞かされることも少なくありません。

施主さんの世代交代も年々加速して増えていると感じます。

そのような長く先祖祀りをされてきた施主さんから「そろそろ後のことを考える歳になりました」と問い合わせを頂くのが『永代供養』『墓じまい』のことです。

10年前の着任当初から永代供養のご要望が多く、その必要性を感じて、5年ほど前から少しずつ受け付けの準備を進めました。
現在は、お位牌・ご遺骨共に永代供養を受けております。

親子の話に戻りますが、「子に負担をかけたくないので。」とおっしゃって永代供養の申し込みをされる方はすごく多いですが、一方で「私がやらなくては!」という強い責任感も感じます。
この強い責任感はどこから来るのか…。

『ご先祖と先立たれた旦那さんの想い』という風呂敷いっぱいの荷が、相談に来た小さなお婆ちゃんの背中に重くのしかかっているのが透けて見えることもあります。
(だいたい残されるのは、お婆ちゃんです。)
永代供養や墓じまいの法要が終わった後に涙を流している方もいらっしゃいます。
その涙の成分の半分以上が「安堵」であり、残りは「寂しさ」だと思います。




結果的に粗末になるような永代供養は推進したくはありませんが、後継ぎの無いご遺族にとって「自分や先祖の今後の事を元気な内に済ませておきたい。」という終活の大事な1つですので、そのお手伝いは積極的にしたいと思っています。

松山の正安寺にも今後、永代供養堂の建設計画もあるようですので、松山での永代供養をお考えの方は正安寺の住職にお問い合わせ下さい。

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