門前の小僧になりたいくらげ

学究的な空気に憧れて専門家の周りに出没しては雑感を綴るブログ。化石鉱物系がやや多し、の予定。

日本古生物学会2017年会 in 福岡その1

2017年09月18日 | 古生物学・地学

 せがまれて行ってまいりました古生物学会、今年は会場が北九州市立自然史・歴史博物館でした。3会場に分かれて同時進行のため、どの発表を拝聴するかを息子その1と協議。将来新種の恐竜を見つけたいらしい(笑)息子のために恐竜関係はマストとして、この間関連地を訪れたばかりの美濃帯フズリナ関係の発表をメインにお話を伺うことに。学会自体は金曜日からあるのですが、息子その1は学校があるので土日のみの参加です。

 10日午前中はC会場で、生層序の部(敬称略)です。

C01  河野聖那・磯崎行雄・佐藤友彦・張興亮・劉偉  

    南中国雲南省小灌田セクションにおける下部カンブリア系の岩相およびSSF正層序

C02m 佐野弘好・太田泰弘・山哲男

         岐阜県舟伏山東部、美濃帯のペルム系円原石灰岩

C03w 太田泰弘・佐野弘好・山哲男

   岐阜県山県市円原地区で発見されたParafusulina属とCancellina属が共産する灰白色石灰岩の地質年代について

C04w 山哲男・佐野弘好・太田泰弘

   美濃帯のペルム系円原石灰岩から石サンゴ化石を発見

C05w 太田泰弘・佐野弘好・牧野帆乃香

   カナダ、ブリティッシュコロンビア州南部Cache Creek村近郊のMarble Canyon石灰岩から産出したNeoschwagerina属について(予報)

・・・備忘のためにも内容をもう少し詳しく書きたいと思ったのですが、ブログ掲載の許可を取っていないのでタイトルだけにしておきます。でも予想外にフズリナ関係の発表が多くて少々驚きました。C02mで2014年に学会で公表したものの続報とおっしゃっていたので、毎年ではないと思いますが、学会初心者にとっては聞いたことのある単語が多くて助かりました。そして発表後にぽそっとつぶやかれたことが「そこをもっと詳しく!!」という内容だったりして、、、ああ、もっとお聞きする時間が欲しいです。

 ランチョン小集会はお題が<みんなで語ろう「古生物の普及」>。すごく楽しそうだったんですが、会場が人でいっぱいで座席どころか立ち見できる隙間もなく、諦めました。

 


参加募集中〜2017.10.15学芸員と歩くふるさとの大地「東濃編」〜

2017年09月17日 | 古生物学・地学

 岐阜県博物館地学講座の「東濃編」が10月13日まで参加者募集中です。今回5回に分けて書いてまいりましたブログの「西濃編」と同じく同館学芸員のM氏がご担当です。興味を持たれた方はぜひ参加をご検討くださいませ。地学好きな方なら楽しい時間になること請け合い、です。

 

日程:2017.10.15(日)9:30−16:30 

恵那総合庁舎駐車場 発 

①阿寺断層の遠望-②阿寺断層の断層崖Ⅰ-③阿寺断層の断層崖Ⅱ-④苗木城跡(苗木花崗岩)-

⑤ふな岩-⑥中津川市鉱物博物館-⑦岩山花崗閃緑斑岩-⑧博石館-⑨恵那峡-⑩傘岩・千畳敷岩

恵那総合庁舎駐車場 着


詳しくはこちらからどうぞ→岐阜県博物館公式サイト


2017.05.28 羽沢貝塚〜学芸員と歩くふるさとの大地「西濃編」その5〜

2017年09月17日 | 古生物学・地学

 2017.05.28 羽沢貝塚にて筆者撮影

 今回の岐阜県博物館講座もここが最後の地です。羽沢貝塚。現在の岐阜県海津市南濃町羽沢地区にある縄文時代中期後半(約4,500〜4,000年前)に形成され始めたとみられる貝塚です(貝層形成期は約2,500年前)。形成年代と貝塚の場所から、近隣の庭田貝塚※とともに6,000年前の最大海進時※から徐々に海が後退していく段階を示す遺跡と見なされています。大量のヤマトシジミをはじめとしてマガキ、ハマグリなどの汽水域の貝や、ウナギ、コイ、マイワシ、スズキなど魚の骨なども見つかっている主淡貝塚です。他に人骨や甕棺、土器や石器が見つかっています。考古学的に見るなら人骨や甕棺などの説明の方が多くなりそうですが、そこは地学ツアー、年代や地球全体の環境についてなど、かなりマクロな説明をしていただきました。

 実地を見た感想は・・・石碑の周辺に普通にヤマトシジミらしきものが散乱しています。とても数千年前の貝とは思えません。くらげびとが食べた貝だって庭先にほっておけば数ヶ月で白くなりますし(ハマグリとシジミで実証済み)、江戸時代に捨てられたものと言われてもうなずいてしまいそうです。なので見た目では年代を測定しづらい遺物でも年代を測定できる技術ってすごいなあ、と思います。

 最後に担当学芸員M氏のお言葉。

「この地学ツアーでは、地学というよりは考古学や日本史の分野である貝塚や堰堤、伝説故事ゆかりの地なども組み込まれています。地学は地層や鉱物など昔のことを知るためだけの学問ではなく、今の自分たちの生活にも密接に関わる、もっと言えば将来への指標ともなりうるダイナミックな学問であることを肌で感じていただきたいのです。」(すみません、表現が正確ではないかもしれません。)

本当にそのとおりだと思います。本ツアーに参加できてよかったです。

 岐阜県内唯一の海水産貝塚で貝層の形成は約5,000年前。扇状地の扇端部に位置している。県史跡。

 「最終氷期後の温暖化により大量の氷床が溶けて海面上昇が起き、日本では縄文時代前期にあたる約6,000年前にそのピークを迎えたとされ、これを縄文海進と呼んでいる。(中略)その最大時には濃尾平野地域では現在の大垣市付近まで海面が侵入した。(後略)」←講座配布資料より引用

羽沢貝塚

庭田貝塚

 

参考:学芸員と歩くふるさとの大地「西濃編」配布資料 May,2017 岐阜県博物館

   海津市公式HP内「羽沢貝塚」ならびに「庭田貝塚」


2017.05.28 羽根谷の巨石第一堰堤とさぼう遊学館〜学芸員と歩くふるさとの大地「西濃編」その4〜

2017年09月16日 | 古生物学・地学

 岐阜県博物館講座第4弾。ここまでくるともはや古生物学とは呼べないのですが、一応地学ツアーの一環なのでご容赦ねがいます。

 で、タイトルの羽根谷の巨石第一堰堤(はねだにのきょせきだいいちえんてい)って何?ってことなんですが。明治時代の木曽三川分流工事※で知られるオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケが携わった砂防施設の一つです。つまりは砂防ダムのことですが、最近では貯水ダムや多目的ダムとの混同を避けるために堰堤と表現されるそうです。

 場所は・・・その名のとおり岐阜県海津市南濃町にある羽根谷です。羽根谷は養老山地の扇状地にある谷の一つで、津屋川・揖斐川に対しほぼ直角に急勾配で合流しています。そのためこの地域は豪雨のたびに土砂が流出し、下流域に被害をもたらしていたそうです。これを防ぐ羽根谷砂防堰堤(第一堰堤)および羽根谷砂防堰堤は国指定有形登録文化財になっています。

 が。養老山系にある谷はもちろん羽根谷だけではありません。養老山系の砂防河川だけでも40を数えるこの地域では当然ほかにも堰堤が数多く築かれています。なのになぜこの2堰堤だけがクローズアップされるのでしょうか?それはこの地域では最も古い明治期に竣工された堰堤であり、当時主流の土堰堤が主構造(一部石積み)の工法ではなく巨石空石積であること、規模・石の大きさともに最大級で、保存度も抜群であること、だからだそうです。

 ちなみに堰堤は大きく分けて透過型(permeable type)と不透過型(impermeable type)に分けられ、羽根谷の巨石堰堤は不透過型なのですが、このタイプだと土砂を完全に堰き止めようとするため下流の土壌がやせ細ってしまうこと、そしていずれ自らが堰き止めた土砂に埋もれてしまうので同一流域に次々に堰堤を作らなければならないことから、現在では透過型が普及してきているそうです。

                     

↑第一堰堤。スケールが伝わるでしょうか?↑第一堰堤から下流を望む↑国の登録有形文化財であることを示す看板↑竣工碑

  すぐ近くにあるさぼう遊学館は砂防堰堤と周辺の自然を題材に、土砂災害とそれに対する防災(砂防)を遊びながら理解していこうというテーマの施設で、この文章もここでいただいた資料を参考にして書いています。ありがとうございました。

 

 

 木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)を分離する近代技術を使った河川改修工事で、明治治水とも呼ばれる。

 

参考:学芸員と歩くふるさとの大地「西濃編」配布資料 MayJuly,2017 岐阜県博物館

   「養老山系の砂防(羽根谷)」発行年不明。内容を見るにおそらく1994年(平成6年)以降

   岐阜県土木部砂防課、岐阜県大垣土木事務所

 

 

 

 

 


2017.05.28 養老の滝〜学芸員と歩くふるさとの大地「西濃編」その3〜

2017年09月15日 | 古生物学・地学

 さて、次なる目的地養老の滝は言わずと知れた養老孝子の故事※を持つ、落差約32m、幅約4mの滝です。六国史の一つ続日本紀にも記され※、十訓抄や古今著問集、能の題材にも取り上げられているという、なかなか「古文の世界で有名な土地」なのです。くらげびとは地学的な説明は不得手なので、講座でいただいた資料を丸写しさせていただきます。

「隆起していった養老山地はその東側に急斜面を形成し、そこを深く下刻した谷の途中に大小の滝を形成しており、その一つが養老の滝である。ただし養老断層は、深く下刻した谷が大量の土砂を濃尾平野に向けて流出させて形成した扇状地に覆い隠されるような位置に走っており、山地内部へかなり入った地点にあるこの滝の形成には直接関与していない。」

・・・つまり、養老の滝は養老山地にある滝の一つであるけれど、養老断層によってできたものではないよ、ということですね。時間が押していて養老の滝まで行けなかったので、またゆっくり来ようと思います。ちなみに今年2017年は養老改元(西暦717年)から1300年経つそうで、町をあげて養老改元1300年祭なるものを催しているそうです。いつまでリンクが可能かわかりませんが、このページの下の方に公式サイトへのリンク貼っておきます。興味を持たれた方はぜひぜひ今年のうちに訪れてみてください!

※1 真面目に働く清貧な男に感応した天地が滝(もしくは泉)の水を酒に変え、男は酒好きな父に孝養を尽くすことができた。その話が時の天皇(元正天皇)にも伝わり、養老と改元された。という伝説。十訓抄や古今著聞集にも記されている。

※2 元正天皇の美濃国への行幸の際、美泉を訪って効能を得たことが詔として記されている。また、他にも数箇所記載がある。ただし続日本紀に記載されているのは美泉であって、滝ではない。

 

 参考:学芸員と歩くふるさとの大地「西濃編」配布資料 MayJuly,2017岐阜県博物館

    養老改元1300年祭公式サイト(公式サイト閉鎖につきリンク終了)  

      養老町観光協会公式HP 

    「続日本紀1」10,June,1986初版 平凡社発行(東洋文庫457)、訳注者 直木孝次郎 他