城館跡を訪ね歩いていると、その土地土地には、その城館にまつわる
様々ないわれが残されていることに気が付きます。
また、所在の分からなくなった城館を探す手掛かりとして、
城主一族ゆかりの神社仏閣、小さな祠を探すこともあります。
こうした事がらを調べるために、様々な市町村史、地誌を読むことになるわけですが、
埼玉県下の地誌を調べる際に、最も基本的で、なおかつ重要なのが、
『新編武蔵風土記稿』です。
この本は、昌平坂学問所地理局による事業として編纂された。編著者は林述斎で、
1810年から1830年の20年を費やして完成した大著です。
私の手元にあるのは、内務省地理局が編纂し、歴史図書出版社が発行したもの8巻本です。
1冊が2㎏もあるもので、あまりの厚さに取り扱いに骨が折れます。
『新編武蔵風土記稿』は、各村に提出させた地誌取調書上(ちしとりしらべかきあげ)に基づいて
編纂されたため、各村ごとの記述にバラツキがありますが、中に、うそなのか本当なのかわからないような話、
入るわけのない人物、正体不明の人物の事蹟が現れます。
中には滅びたといわれている一族のその後、末裔たちが登場することもあります。
例えば、県内各地に残る坂上田村麻呂の事蹟、しばしば彼と混同される藤原利仁の事蹟、
藤原不比等の墓、藤原兼実ゆかりの事蹟、平将門と将平の事蹟などです。
北条氏に滅ぼされたとされる鎌倉幕府の重鎮、比企一族の末裔とされる一族の消息なども、
非常に興味深いものです。
今回は「新編武蔵風土記稿を読んでみる」というカテゴリーを新たに設けて、私の個人的関心に基づいた
情報整理とその結果をアップしたいと思います。
様々ないわれが残されていることに気が付きます。
また、所在の分からなくなった城館を探す手掛かりとして、
城主一族ゆかりの神社仏閣、小さな祠を探すこともあります。
こうした事がらを調べるために、様々な市町村史、地誌を読むことになるわけですが、
埼玉県下の地誌を調べる際に、最も基本的で、なおかつ重要なのが、
『新編武蔵風土記稿』です。
この本は、昌平坂学問所地理局による事業として編纂された。編著者は林述斎で、
1810年から1830年の20年を費やして完成した大著です。
私の手元にあるのは、内務省地理局が編纂し、歴史図書出版社が発行したもの8巻本です。
1冊が2㎏もあるもので、あまりの厚さに取り扱いに骨が折れます。
『新編武蔵風土記稿』は、各村に提出させた地誌取調書上(ちしとりしらべかきあげ)に基づいて
編纂されたため、各村ごとの記述にバラツキがありますが、中に、うそなのか本当なのかわからないような話、
入るわけのない人物、正体不明の人物の事蹟が現れます。
中には滅びたといわれている一族のその後、末裔たちが登場することもあります。
例えば、県内各地に残る坂上田村麻呂の事蹟、しばしば彼と混同される藤原利仁の事蹟、
藤原不比等の墓、藤原兼実ゆかりの事蹟、平将門と将平の事蹟などです。
北条氏に滅ぼされたとされる鎌倉幕府の重鎮、比企一族の末裔とされる一族の消息なども、
非常に興味深いものです。
今回は「新編武蔵風土記稿を読んでみる」というカテゴリーを新たに設けて、私の個人的関心に基づいた
情報整理とその結果をアップしたいと思います。
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