花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

あなたはマルティン・ニーメラーをご存じですか

2013年10月08日 | 日記

金精トンネル付近から見る男体山、最初は頭の上だけの
小さな雲だったが、やがて雲と霧で全身が覆われて見えなくなった。

マルティン・ニーメラーの書いた詩

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった)
(なぜなら)私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
(なぜなら)私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
(なぜなら)私は労働組合員ではなかったから

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった
(なぜなら)私はユダヤ人などではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった


ネットで調べると色々な訳文が載っていますが、その中から一つを
引用しました。またわかりやすくするため「なぜなら」という言葉を
付け加えてみました。

マルティン・ニーメラー、1892年生まれ1984年没
ドイツのルター派の牧師、最初はナチスの支持者だったが、後に
教会のナチ化に反対して、1937年から1945年まで強制収容所に収容
されて、かろうじて生還した。
牧師になる前は、ドイツ海軍のUボートの艦長(第一次世界大戦時)
という経歴を持っている。
1945年の終戦で強制収容所から生還した彼は、1950年代から平和主義者
反戦運動家として活動し、半核運動でも活動した。
元々は保守派でナチスの支持者だった。

この詩は、世界中で社会的無関心層に対する啓蒙として良く引用されている
という有名な詩だが、日本の現代社会でも次のような言葉に置き換えて
見るとドキリとするかも知れない

生活保護者が非難されたとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は生活保護者ではなかったから

原発の再開を決めたとき、私は声をあげなかった
なぜなら私は汚染地域ではなかったから




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