ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

抱かれることは 美しい こと

2017年12月08日 16時39分25秒 | owarai
――抱かれることは 美しい
こと――

と、さりがなく言った君の
言葉に、嫉妬よりも深い悲
しみが、今僕を包んでいます。

あれから二年、僕の心の中に
住みついた、別れの日という
不安に怯えていました。
もしそれが、君の言葉に隠され
ているのなら、本当のことを
言って下さい。

僕が君に求め、君が僕求めた
愛は、束縛のない自由な愛だ
った筈なのに、その約束を壊
し始めているいるのは、この
僕の方かもしれません。

――抱かれることは 美し
いこと―― その言葉で君が
何を言いたいのか、そして
何をしたいのか・・・。
僕の知らない黒い影が、君に
忍びこんでいる気がするので
す。

「馬鹿ね」そんな心配なんか
して・・・。
今度逢った時、コロコロ笑い
ながらそう言ってくれたら
・・・。

今、こうして書いている手紙
の悲しい予感を、堀り起こさ
ないようにそっとしておきた
いのです。
明日は例の取材で、日本海を
直江津、親不知から金沢まで
行きます。

君と初めて行った、小さか旅
と同じコースです。
君が桂の木のポストから、この
手紙を開く頃は、汽車の中です
が・・・・。
金沢までの切符同封します。

――抱かれることは 美し
いこと―― 教えてください。

YouTube
Hooverphonic - Mad About You

https://www.youtube.com/watch?v=6EA-MIYY1bg

愛とは「心を並べて立つ」こと

2017年12月08日 11時00分16秒 | owarai
俳聖芭蕉が、大家となる以前の
ことである。「吉野の桜をぜひ見
たい」といって、伊賀から大和の
国に旅立った。

途中、ある村にとても孝行な娘が
いると聞いて、わざわざその家を
訪ねてみた。家も身なりもみすぼ
らしく、その貧しさのほどが容易
に知れた。

芭蕉は財布を逆さに振って一両を
取り出し、「どうぞこれで、ご両
親に好きなものを買ってあげて
ください」と、娘に押しつける
ように渡した。吉野まで行く旅費
は、もうない。

Uターンして帰ってきた芭蕉に、
ある人が、「せっかく行かれたの
に、惜しかったですね」といった
のに答えて、

「私は桜の美しさを見たくて旅
立ったのだが、桜よりももっと
以上の、人間の美しさを見るこ
とができた。だから、思い残す
ことはありません」

いまとは交通事情がちがうから、
もう一度行くというのは大変な
ことである。それでも、惜しく
なかった、という。いえる心が
あったからこそ、すぐれた句の
かずかずが生まれたのであろう。

芭蕉もまたしあわせな人であった。

愛とは、相手の眼を見つめること
ではありません。二人並んで、同
じ方向を向いて立って、一つのも
もをいっしょに見つめることです。

誰の言葉かを知らない。小員が落
語家を目指してときに聞いた先輩
の落語のまくらの話である。

相手と向き合って、たがいに眼を
見つめあうことが愛であるならば、
「愛は惜しみなく奪う」にもなり
かねないし、「自分だけがかわいい」
になる危険性もある。客観的な眼
も、

いのちの一体感も―――したがって
真正の愛が―――はじめて生まれた
のであろう。「我執を超える」ことが
できるのである。

この理は、男女の仲にかぎらず、ひ
ろく人間愛の全般に通じるものだ
と思われる。

芭蕉と貧しい孝女とは、ゆきずり
のアカの他人でしかなかった。
けれど、ともに人間として「一つ
のもの」―――善とか徳とか―――
を見つめる身であった。

それゆえ二人の心は、すぐに「並
んで立つ」ことができた。これが
できたとき、芭蕉の財布の一両が
孝女の家に移ることに、いかなる
不自然さもなかった。

孝女の心とハーモニーを奏でたとき、
芭蕉には一両の金も、吉野の花を見
ないことも、もはや惜しくなかった
のである。



「状況は心の投影だ」

2017年12月08日 05時41分43秒 | owarai
“ 状況は多面性をもっている
楽観的、悲観的、どう見るか
心を変えれば状況も変わる
状況はすべて心の投影だ“

どんなに嘆き悲しんでも、事実
としての状況は一つも変わらない。
だとすれば、見方を変えてみ
たらよい。

心を変えれば、状況の色あいも
変わり、意味も大きな変貌を
とげる。

人生観、歴史観、宇宙観、死生
観、すべて心の所産である。
ある状況をマイナス面からだけ
見ていたら、新しいものは何も
生まれない。不毛である。

よりよい人生を歩くために
プラス面、積極的に見られる
心の強靭さが望まれる。

それは逃げ腰にある弱い自分
との闘いを敢行し、それに
うち勝つことから始まる。
さあ、それを目指して闘い
の場に駒をすすめよう。