書き終えた手紙を丁寧に四つに
畳んで、封筒に入れた。
封をしたあと、そこに口づけた。
口づけながら、思い出していた。
自分のことを、人前で、あなたは
わたしからどう呼ばれたい?
結婚して、アメリカに来たばかり
の頃、彼にそう尋ねたことがあった。
彼はわたしの夫となったのに「ハズ
バンド」と呼ばれるのを嫌がった。
「それなら、恋人がいいの?ボーイ
フレンド」と呼ばれるのを嫌がった。
「それなら、恋人がいいの?ボーイ
フレンドって言いましょうか?」
アメリカでは、結婚はしていないけ
れど一緒に暮らしている恋人のこと
を、ボーイフレンド、ガールフレン
ドと呼ぶ。
「それも、いやだな」
「じゃあ、なんて?」
「ラバーがいいな。キミにもずっと、
僕のラバーでいて欲しいから」
ラバーというのは日本語に訳すなら
愛人、いや、情人のほうが、もっと
近いかもしれない。
愛し合ってはいるのだけれど、それ
は日陰の愛、というイメージがある。
向日葵とたんぽぽと、真夏の空と真
っ白な雲を、全部足してもまだ、
「それよりももっと明るい」と言える
ほどの明かるい性格をした人を、
わたしはそれでも「ラバー」と呼んで
いる。
わたしもまた、「妻」には到底ならな
い。すべてにおいて不器用だし、
妻としての役割とか責任とか、そういう
のを果たすのは苦手だから。
たとえば彼が光なら、わたしは一生、
彼の日陰でありたい。
たとえば彼が楽園であるなら、わたし
はその記憶でありたい。
彼のそばにいる時、わたしは性来の
わたしでいられる。生成りの女。シン
プルな女。でもとても熱い東洋のパッ
ションを秘めた―――。
彼の「愛人」でいたかったから、彼と
結婚した。結婚して九年が過ぎたいう
のに、彼はいまだわたしの「可愛い
人」。
目に入れても痛くないほど大好きな、
素敵な「夫」の手に、この手紙が
届きますように。思いを込めて、
切手を貼った。
わたしも封筒に貼り付いて、彼の
もとまで飛んで行けたらいいなと
思った。